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猫と付喪神の話

この話は本日二話目です

 人は、慣れる生き物だ。

 例えば、学校を卒業して初めて就職したとき。


 慣れない格好に、慣れない仕事。

 上司は少しでもこちらを使えるようにしようと厳しくするし、こちらは必死に食らいつこうと思って、でもそれはとても大変だ。


 地獄だと思い、初日の夜には止めたくなる人も多いと聞く。

 ……しかし、多くの人は一週間もすれば慣れ始めて、一カ月もすればそこそこ働けるようになる。


 どんな環境にも、案外慣れてしまうのが人間という生き物らしい。

 

 そしてそれは僕が出会った彼女に関しても同じなのだろう。

 突然始まった彼女との生活も、時間が経てば慣れてくる。

 

 ……まあ、もちろん仕事と違って嫌ではなかったけれど。



 ◆


 

「……もう、九時か」


 休日の朝、目が覚めて時計を見るともうそんな時間になっていた。

 のそのそとベッドから抜け出して、背伸びをする。


「紅葉さんは……とっくに起きてるだろうな」


 紅葉さんが家に来て、もう数日。

 彼女がいるということにも、だいぶ慣れて来た。


「……くぁ」


 欠伸をしつつ部屋から出る。

 そして水でも飲もうとリビングへ足を向け――。


 ああ、と気付く。

 先に顔を洗わないと。


 以前は出勤直前に顔を洗っていたけれど、紅葉さんはどうやら起きてすぐに洗うのが普通だと思っているそうだ。

 そうしないと、彼女が言うには、しゃっきりしないらしい。


 ……まあ、別に構わないんだけど。

 僕としては大してこだわるような事でもない。


「……冷たい」


 洗面所で顔を洗い、タオルで拭く。

 そしてリビングへと向かった。


「あら、おはようございます。今日は遅いのですね」

「おはよう……今日は休日だから」


 リビングでは紅葉さんがテレビを見ていた。

 テレビの前に座布団を敷き、そこに正座しながらお茶を飲んでいる。


「すぐに朝食の準備をしますね」


 紅葉さんが立ち上がり、台所へと向かっていく。

 結局、料理は紅葉さんに任せっきりになっていた。というか、家事全般を任せることになっている。


「その、今日もありがとう」

「いえいえ、これが私の仕事ですから」


 紅葉さんがコンロに火をつけ……ふと気付く。

 今、机の上に食器が二人分並べられた。


「……あの、もしかして紅葉さんまだ食べてない?」

「ええ」


 時計を見る。

 もう九時を十分くらい回っていた。


「待ってくれたの?」

「はい、家主様より先に頂くわけにはいきませんもの」


 そんな前時代的な……とは思うものの、よく考えてみれば、紅葉さんはおそらくその前時代から生きている人だ。

 本人から聞いたわけではないけれど、ここ数日でその辺りはなんとなく理解している。


 ……実際何年生きているんだろう、と思うものの、流石に質問は出来なかった。


「その、先に食べてもらってもいいけど」

「そういう訳にはいきませんわ?」


 そして、これもここ数日でわかったことだけれど、彼女は結構強情なところがある。

 順番に厳しいというか……食事だけでなく色々なことを必ず僕の後にしようとする。なんにせよ一番は家主のものです……みたいな感じで。

 

 言うなれば序列みたいなものかもしれない。

 彼女の中にそれがあって、それを必ず守ろうとしているのだろう。


「お腹空かない?」

「いいえ、そんなことはありません……それに、食事は一緒に食べたほうが美味しいでしょう?」


 にっこりと笑って、紅葉さんが言う。……それは、まあ理解できた。

 確かにそうだ。一人で食べるより、こうして紅葉さんと一緒に食べたほうが間違いなく美味しい。


「……」


 ……それなら、僕が早く起きないとダメかな。


 結局、そうすればいいだけの話だった。

 紅葉さんに気を遣わせるくらいなら、自分が少し努力したほうがいいだろう。


 具体的に言えば、明日から。

 生活は改めるのが早ければ早いほどいい。


「お茶をどうぞ」

「ありがとう」


 朝ごはんが出来上がるまでの間に、紅葉さんがお茶を入れてくれる。

 それを啜りながら、彼女の背中を見た。


 初めて見た時と同じ赤いワンピース姿。背中からは前につけたエプロンの紐が伸びていて、ゆらゆらと揺れている。


 足元には先日用意した踏み台があって、それに乗ったり下りたりを繰り返しながら動く姿はそれなりに忙しなく見えた。


 小さな背中が、右へ左へと動いている。


「……」


 ……手伝った方がいいとは思うけれど。

 しかし、当の紅葉さんに断られてしまったので、どうすればいいのかわからない。


 実際に手伝おうとしたら、男はドンと座って待っていてください、と言われて追い出されてしまった。


「……」


 手元を見る。

 淹れたばかりのお茶が湯気を立てている。


 完全に上げ膳据え膳で、なんだかダメ人間になりそうだった。

 

 ……いや、元々そうだったのでは? と言われるかもしれないが、家事くらいはしていたのだと答えたい。



 ◆



 食後、自室へと戻る。

 皿洗いくらいはしようと思ったが、紅葉さんから追い出されてしまった。

 笑顔でダメという彼女には逆らえないと学びつつ、仕方なく引き上げる。


 そして、部屋でのんびりしていると扉がコンコンと叩かれた。


「今よろしいでしょうか?」

「大丈夫だよ」


 スマホを机に置きつつ返事をする。

 すると、紅葉さんが扉を開け、顔を覗かせた。


 今日も何か質問があるのだろうか。

 初日にテレビを見て以来、紅葉さんはこうして分からないことがあると僕を訪ねてくるようになった。


 ……まあ、僕としても家事でお世話になっている身だ。

 質問されるのは決して嫌ではないわけで。


「一つお伺いしたいことがあるのです……あなたの仕事着のことなのですけれど」

「うん」

「あの白い服、綺麗に皴が伸びていますが、どうやっているのでしょう?」

 

 白い服……ワイシャツの事だろうか。


「あれなら、クリーニングの店にお願いしてるけど」

「……なるほど、あれは店の仕事だったのですね」

「アイロンも一応あるけど、手間がかかるから」


 アイロンは社会人になったばかりの頃に買って……しかし面倒くさくなって一度も使っていなかった。クリーニングに頼んでも一カ月三千円もかからないし。


「あいろん?……何でしょう、それは」

「アイロンはこう……皴を伸ばす機械だけど……知らない?」

「聞いたことがありません」


 紅葉さんはその大きな目をぱちぱちとさせている。

 どうやらテレビと同じで知らないようだった。やはり、妖怪の里にはあまり機械の類は無いのだろう。


「これだよ」

「これが……」


 首を傾げる紅葉さんに見せるため、押入れからアイロンを引っ張り出した。

 そしてそれを手渡すと、不思議なものを見るような眼でアイロンを見ている。


「これは……ほとんど使っていないのでしょうか?」

「え、ああ、うん」

「困りました……これでは使い方が分かりません」

「……?」


 ……使い方?


「それなりに使われた物なら、付喪神がいるので教えてくれるのですけれど……」

「……付喪神?」


 付喪神というと……あれだろうか。

 昔から在るものに、意思が宿るという、あの。

 

 ……え、付喪神って本当にいるの?

 紅葉さんの口調ではそのように聞こえる。


「もちろんいますよ。早い遅いはあれど、形あるものにはいずれ必ず魂が宿ります。人には難しいかもしれませんが、私のような妖怪なら話をすることも」


 質問すると、そんな答えが返って来た。

 なんだか、物の扱いが変わってしまいそうな話だ。


「この家にあるものは、以前より丁寧に使われていたようなので、皆素直に使い方を教えてくれました」


 物持ちがいいのですね、と紅葉さんが笑う。

 

 ……それは、きっと両親の事だろう。二人はなんでも大切にする人達だった。


 そのためかこの家には古いものも多くて、僕も二人に倣って壊れないように使っていた。

 ……思い出の品を壊すのが忍びなかったからだ。

 

「……」


 ふと、気付く。

 要するに、紅葉さんは他の電化製品もそうやって使い方を知ったのだろう。


 考えてみれば不思議なことだった。

 アイロンもテレビも知らない人が、冷蔵庫やコンロなどを使っているのだから。


 ……もしかしたら、テレビを知らなかったのは、あれに付喪神が付いていなかったからかもしれない。そういえば買ってまだ二年も経っていないはずだ。

  

「そういうわけで、これまで物の使い方には困っていなかったのですが、この……アイロンはちょっと。どうやって使うのでしょうか? いえ、そもそもこれであんなに綺麗に皴が伸びるのでしょうか……」

「村にはこういうものを使っている人はいなかったの?」

「ほとんど無いはずです。人が入る場所でもないですし、電気もないので」


 ……まあ、妖怪の村に電線が張られているイメージは無いけれど。


「それでも、一人二人はこういうことを知っている者が居りましたが、私とはあまり接点もなく……」

「……なるほど」


 しかし、困った。

 紅葉さんがペタペタと触っているアイロンだけれど、僕も使い方なんて知らない。知っているのは電源の入れ方だけだ。


 中学生の時に一度授業でやった気もするけど、すでにどこかに飛んでしまった。

 大人になって、買って使い方を調べようとしたのはいいけれど、すぐにクリーニング店の方が便利だと分かったので放置していた。


 母もアイロンは持っていたけれど……あれは確か祖母から受け継いだものだったというので母方のおばさんに渡したような。


 ……使えない僕が押入れに入れておくより、使いたい人に渡した方がいいだろうと思ったから。


「……」


 ……とりあえず、動画でも探してみるか。

 多分、誰かが使い方動画とか上げてると思う。



 ◆


 

 とりあえず紅葉さんを僕の部屋に案内し、モニターの前に座ってもらった。

 そして電源を入れると、企業のロゴが表示され、それを紅葉さんは興味深そうにのぞき込んでいる。


「このテレビで使い方を見るのですか?」

「これはテレビじゃなくてパソコンだよ」

「ぱそこん……」


 何が違うのか、と言いたげな紅葉さんを横目にマウスを操作し、動画サイトを開く。

 その説明は難しい。少なくとも今すぐにできる気はしない。

 後でと言って、今は動画を優先することにした。

 

「色々書いてあるのですね……ちかちかします……」

「慣れないと目が疲れるかも」


 紅葉さんは目を白黒させている。

 カチカチと変わっていく画面に混乱してるのかもしれない。


 操作していくと、目的の動画はすぐに見つかった。

 とりあえず一番人気があるものをクリックすると、すぐに映像が始まる。


「なるほど……なるほど?」


 動画を再生すると、紅葉さんはじっとそれを見つめている。


「……?」

 

 ふと、何か動いていると思ってそちらを見る。

 机の下で紅葉さんの足がぶらぶらと揺れていた。

 

 この机も椅子も僕の身長に合わせているので、紅葉さんにはサイズが合っていない。僕と紅葉さんは身長が四十センチ位違う。


 ……少し、子供みたいだなと思った。

 普段が大人っぽい態度なので、ギャップを感じる。


「……」


 しばらく経って、映像が終わる。

 紅葉さんは一度頷いて、言った。


「アイロンとは火熨斗のことだったのですね。形は全く似ていませんが……」

「ひのし?」

「昔からある皴伸ばしです。あれは炭ですが……今は電気なのですね」


 変わったものです、と感慨深そうだ。

 学ぶことが多いです、とも。

 

 そして、ぽんと飛び降りるように椅子から降りると、扉へ向かって歩いていった。


「使い方は分かりましたので、あのワイシャツ……とやらの洗濯は任せてください」


 そう言って、部屋から出ていく。

 その背中で、長く伸びた黒髪が後を追いかけていった。


「……ひのし」


 あとに残された僕は、目の前のパソコンでその名前について調べる。


 ……江戸時代とか書いてあった


 

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