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猫と夢と現実の話

本日は四話投稿します

新着から来た方は注意してください


 夢を見た。

 どうしようもなく、悲しい夢を。


 ◆

 


『今日で、一年か』


 惰性のように、カレンダーにバツ印をつける。

 あの日から毎日印をつけ続けたカレンダーは、もう数か月前に新しいものに変わっていた。今目の前に吊るされているものは新しく用意された物だ。


『…………はあ』


 すっかり染みついた溜息は、誰にも聞かれることなく空中に消えていく。

 ガリガリと頭を掻きながらリビングを歩くと、ふと台所が目に入って来た。


『……』


 なんとなく近づくと、鍋の上にうっすらと埃が積もっていた。

 そういえば、しばらく掃除はしていなかったかもしれない。


『綺麗にしとかないと……』


 意味もなく呟きながら、流しに持っていき、洗剤で洗う。

 軽く水ですすいで、コップと箸しか置かれていない食器乾燥機の中に立てかけた。


 これに意味はあるのだろうか。そう思いながらも、しかしそのままには出来ず、これも惰性のように続けている。


『……』


 一年、一年だ。

 もしかしたら、紅葉さんみたいな妖怪には短い時間なのかもしれないけれど……。


『……はあ』


 また溜息をつきつつ、頭をかき混ぜる。


『何もできないのが、辛いんだよね』


 最初の一カ月は、大人しく待っていた。二カ月を過ぎたころには、なんとなく近隣の山を歩くようになった。そして半年が過ぎた頃、ついに耐えられなくなり、あの退魔師がいた換金所に向かって――。


 ――しかし、そこはもぬけの殻になっていた。

 雰囲気の悪い階段の下には、随分前に放置されたと思われる店の残骸と、真新しい吸い殻がぽつぽつと落ちていて。


『……』


 ……結局、僕は何も出来ずに帰って来た。


『……』


 ……最近、暇な時間に思うことがある。

 あれは全部嘘だったんじゃないかと。実は全ては僕の妄想だったんじゃないかと。


 だって、もうほとんど残っていない。

 あの日掃除していってくれた風呂もトイレも窓も、一カ月もしないうちに僕が掃除し直した。最初はちらほら落ちていた長い髪の毛も掃除を繰り返すごとに見なくなっていって――。


『……』


 紅葉さんの痕跡が、消えていくのが辛かった。

 でも、僕にはどうすることも出来ない。


『……はあ』


 何度目かの溜息の音だけが部屋に響いていた。



 ==============



 ――時は流れる。

 一年は二年になり、二年は三年になる。時は止まることなく重なり続け――。

 

『――これ、もうずっと前に賞味期限が切れてるじゃないか……』


 台所の掃除をしているときに、ふと気付いた。

 棚の片隅に置かれた調味料、その期限がもう何年も前に切れていることに。


『……僕は何年もの間、使えない調味料の埃を拭いていたのか』


 棚の中を確認すると、ほぼ全ての調味料の期限が切れている。

 そんなものを掃除の度にいちいち拭いていた僕は、誰が見ても馬鹿そのものだっただろう。


『……捨てたほうがいいよね』


 捨てることに躊躇いを覚えつつも、こんなもの、もう使えるわけがない。

 後生大切に抱えていても、いつか虫が湧くのを待つだけだ。


『……はあ』


 溜息を吐きつつ、一つ一つ捨てていく。

 中身が液体の物は捨てるのも面倒で……。


『……』


 一時間後、ようやく片づけ終わって、ごみ袋の口を縛る。

 そしてなんとなく振り向くと――。

 

『――ああ』


 空っぽの棚がそこにはあった。

 僕ではない誰かの並べた調味料は、もうごみ袋の中だ。


『これで、もう』


 視界の端に映るカレンダーは、もう何度交換しただろう。

 こうしてまた一つ、彼女の痕跡が家から消えていって――。


 ――目頭が、久しぶりに熱くなった。



 ◆



 ――そんな、夢を見た。


「最悪だ……」


 心臓がバクバクと鳴るのを抑えながら、視線を時計から離せない。

 部屋の壁に取り付けられたデジタル時計には、何度見ても夢とは違う日付が表示されている。


 ――紅葉さんが帰ったのは、昨日だ。


「……はー」

 

 それを確認し、全身から力が抜ける。

 本当にろくでもない夢だった。


「……勘弁してほしい」


 紅葉さんがいない間も頑張ろうと思ったらこれだ。

 そんなことは無いと信じているけど、それでも足が竦んでしまいそうになる。

 

「……起きよう」


 気合を入れて、立ち上がる。

 まだ立ち上がれるので、胸を張って生きられるはずだ。


 そう自分を鼓舞しつつ、紅葉さんに呆れられないようにと歩き出した。


「……よし」


 手をドアノブにかけ、開ける。


「……ん?」


 ――と、どこかから、良い匂いがした。


「――」


 すぐに何の匂いかを悟り、驚く。

 だってこれは、昨日まで毎日嗅いでいた、みそ汁の。


「……紅葉さん?」


 思わず呟いて、すぐにそんな訳は無いと頭を振る。

 紅葉さんがいるわけがない。そんなわけがない。


 ……だとしたらこれは、幻覚ならぬ幻臭というものなのだろうか。


「……まさかここまで参っていたとは」


 自分の精神状態が疑わしくなる。

 朝の夢もこの精神状態のせいなのだろうか。


「……はあ」


 自分のこれからに不安を覚えつつ、階段を下りる。

 下に一段一段降りるごとに、匂いはどんどん強くなっていって――。


 ――パタパタというスリッパの音も聞こえて来た。


「……本当に、紅葉さんがいるみたいだ」


 そんな訳は無いんだけど、でも信じてしまいそうになる。

 もしそうだったらどれだけいいかと、そう思いながらリビングの扉を開けると――。


「――え?」


 一瞬、思考が止まる。

 そこには無いはずの、赤い色が見えたから。


「あっ……お、おはようございます……」

「――」


 ――紅葉さんが、そこにいた。

 見慣れた姿の紅葉さんがそこにいる。いつもの赤い服の上に、エプロンをかけている姿。


 それは、昨日まで毎日見ていたものだ。

 でも今日は見られないはずの姿。


「……夢?」

 

 ふと、思う。

 これは夢なのだろうか。さっき見た悪夢のように、今度は幸せな夢を見ている?


「ゆ、夢じゃないですよ?」

「でも、紅葉さんが居るはずないでしょ?」

「……う、確かにその予定だったのですが……」


 それとも幻覚なんだろうか。

 でも、目の前で少し恥ずかしそうにしている紅葉さんは、確かにそこにいるように見えて――。

 

「色々お話することはありますが……その前に、顔を洗ってきてください」


 目の前の紅葉さんの両手がこちらに伸びる。

 

 ――ぺたり、と両頬に感触が伝わった。

 小さく、でもとても暖かい感触。確かにそこにあると、そう思えるような。


「……あ、ああ、うん、そうだね」

「はい」


 何なのだろうか、これは。

 狐に化かされているような気分になりつつ、部屋から出る。……いや猫に化かされていると言った方がいいのか?


 ……そんなつまらないことを考えつつ、夢見心地のまま、僕は洗面所へと歩いて行った。


 

 ◆



 これは現実か、それとも夢か。

 

 顔を洗ってすっきりして……。

 ……でも先程と何も変わらない光景に悩みながら、リビングの椅子に座る。


「色々ありまして」


 紅葉さんが語りだしたのは、家を出た後の話だった。

 人間なら三日はかかる道のりを乗り越え、昨日、紅葉さんは里に戻った。


 そしてそんな紅葉さんを出迎えたのは……宴会をしている妖怪の姿だったらしい。


「その、実は退魔師経由で私とあなたの話が伝わっていたようでして……」

「……あ、なるほど」


 紅葉さんが必要だと言うので、僕たちの件は事前に退魔師に伝えられていた。


 そして里に一つだけある黒電話は、退魔師ならば繋ぐことが出来る。

 そのため、毎月行われている定期報告の一環としてそれが伝えられたようだ。


「もう飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで……まさか、里に帰って最初にすることが酔い潰れた者の介抱だとは思いませんでしたよ」


 大変でした、と溜息をつく紅葉さんの顔には、しかし笑顔が浮かんでいる。

 

「でも……皆、おめでとうと言ってくれました」

「……それは、嬉しいね」


 はい、と紅葉さんが微笑む。

 照れくさそうな、でもとても嬉しそうな、そんな顔だ。


「その席で、私とあなたのことを根掘り葉掘り聞かれまして」

「……それは、ちょっと恥ずかしいな」

「ふふ……でも、あなたは結構好評でしたよ?」


 ……本当だろうか?

 ちょっと信じられないけど、でも僕にはそれを確かめる方法は無い。

 

「それで、しばらく話をしていたら、一名を除く全員が仕事なんてどうでもいいから、さっさとその……お、夫の元に戻れと言ってくれまして……」

「……そ、そうなんだ」


 夫かあ……随分と照れ臭い響きだ。

 背中がむずむずとしてくるような、そんな感覚。


 …………あれ、一人以外?


「里長以外はみんな言ってくれました」

「……あー」

「あれは最後まで、おめでとうも言ってくれませんでしたね……」


 ……まあ、聞いてる限りだとそんな感じはしていたけど。

 仲が悪いとかではなく、逆に仲が良すぎると言うか。


「彼女だけは、その、結婚の話も信じてなかったんです。私が肯定しても信じなくて……大きな声で『嘘だ!』と」


 それは、いつか聞いた紅葉さんの予想通りだ。


「なので写真を突き付けてやりましたら、口をあんぐりと」

「……はは」

「でもそれでも認めなくて、最後には失礼なことまで言い出したので張り倒してきました」


 あなたの分もです、と紅葉さんが言う。


「……僕の分も?」

「ええ。だって、あれがすごく失礼なことを言うので。あなたに遊ばれてるだけ……とか、私みたいな、バ、ババア……が相手にされるはずがないとか、ち、ち、ちんちくりんのくせに体型を考えろとか!」


 思い出したのか、段々ヒートアップしてきて、拳が震えている。

 まあ、確かに失礼だ。

 

「あ、挙句の果てには、すぐに浮気されるとか、今この瞬間も女を連れ込んでるとか!」

「そんなことはしないよ」

「ですよね! …………他の女の匂いもしませんし」

「……」


 ぼそりとちょっと怖いことを言われた気もするが、気にしないことにする。

 

「まあ、そんなこんなで、里長以外の皆に背を押されて帰って来たんです」

「……そうだったんだ」


 なんというか……こうしてちゃんと説明されると実感が出てくる。

 最初は夢なんじゃないかと思っていたけれど、どうやらそれは違うようだった。


 ……じわじわと、喜びが湧いてきた。


「そうか、そうだね」


 これは、現実だ。

 そう信じることが出来る。紅葉さんは今傍にいる。


「え?」


 ――と、紅葉さんが驚いたような声を上げる。

 その視線は僕ではなく、天井に向いていて――。


 ……あ、もしかして。


「――その、家に聞いたんですけど……私がいなくなって、この一日あなたの元気が無かったと……」

「あー、うん……そうだね」


 想像していた通りに、家の付喪神から情報が漏れていたようだ。

 でも、それは事実だ。自分自身、情けない姿をさらした自覚がある。


「紅葉さんがいなくて、すごく寂しかったんだ」


 だから、どうせ隠しても伝わると思って、正直に伝える。

 そうだ。僕は寂しかった。今日の朝にはあんな夢を見るくらいに。


 また会いたくて、顔を見たくて仕方なかった。


「う、またあなたはそんなことを、正面から」


 紅葉さんが少しのけ反る。

 

「……ちょっと、恥ずかしいこと言ったかな」

「ちょっとじゃありません! もう!

 …………………………………………でも、私も寂しかったです」

「――」


 小さく、でも確かにそんな声が聞こえてきて――なるほど、これは恥ずかしいかもしれない。嬉しいけど、恥ずかしいし照れくさい。


 ――でも、もっと聞きたいとも思ったので、これからも言い続けようと思った。


「……一日なのに、寂しかったのです」

「僕もだよ」

「……だから、返事をしてもいいですか?」


 ――それは。

 紅葉さんが何が言いたいのか、理解できた。


「うん、じゃあもう一度僕から伝えてもいいかな?」

「え……はい、ではお願いしてもいいですか?」


 一度、咳払いをする。

 こんな重要な場面で噛みたくないから。


「紅葉さん、あなたが好きです。僕と結婚してもらえませんか」

「――」


 ――そして、それに対する返事は。


「はい、不束者ですが、よろしくお願いします」


 そんな言葉と、紅葉さんの満面の笑顔だった。

 

 

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