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猫と裏の話

本日は四話投稿します

新着から来た方は注意してください


 さらに次の日、紅葉さんが帰るまであと一日になった。

 その日は特別することもなくて、朝からずっと二人で家にいた。


 紅葉さんはいつものように食事を作ってくれて、それ以外の家事もしてくれて……僕はそれを手伝ったり、庭の手入れなどをして。


 いつもと同じ時間があった。この一カ月ほど繰り返してきたこと。

 ただ居心地が良くて、ずっとそんな時間が続けばいいと思い――。


 ――でも、時間は過ぎる。


「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様です」


 気付けば、夕飯が終わっていた。

 僕の目の前には空になった器が並んでいて、右手には紅葉さんが淹れてくれたお茶がある。


 ……もう、すぐそこに来ていた。


「……明日は、忙しくなるかもしれませんので、今言っておきますね。この一カ月、ありがとうございました」


 そんな話はしたくなかった。

 出来るならこのままずっと家にいて欲しい。一緒に過ごしたい。そう思う。


 帰ってくるまでにどれくらいかかるのだろう。

 そう考えると不安になる。みっともないかもしれないけれど……でも、僕は笑顔で別れた人と、もう二度と会えなくなる事を知っているから。


 僕はかつて、記憶の中で笑顔で笑っている人と、棺桶の中で眠っている人を同じように見ることが出来なかった。


「……うん、こちらこそ」


 でもそれでも……そう言ったのは、落ち着いて言葉を返せたのは……きっと僕が一応は大人だからなのだろう。


 我慢することを知っている。現実を見ている。取り繕うということを学んでいる。

 だって、理想だけで生きていけるほど人生は甘くない。


 ……本当は、そんなものかなぐり捨てて行かないでくれと言いたいのだけど。


「楽しかったです。里の穏やかな時間とは違う、変化に満ちた生活でした」


 僕だってそうだ。紅葉さんが来てから僕の生活は変わった。

 ただ起きて、会社に行って、寝て。それだけだった毎日が驚くほどに変わって。


「でもそうやって楽しんでいられたのも、あなたが優しい人だったおかげですね」

「……そんなことは」

「いいえ、だって、人とはモノを区別する生き物です」


 紅葉さんは語る。

 ある程度生きた妖怪ならわかることですが、と。


「表面上は、普通に見えるかもしれない。敬意をもって接してくれるかもしれない。でも、必ず線がある」

「……」

「己とは違う生き物なのだという線、己とは違う価値観を持つのだと言う線。それがあるから……私たち妖怪は、なかなか心から信頼されることはない」


 ……。


「……かつての話です、私はそれなりに親しくしていた人々に料理をふるまったことがあります」

「?」

「……なかなか、手を付けてもらえませんでした。皆、隣の人の顔を伺うようにキョロキョロとして……その時は分からなかったのですが、彼らは私が作ったものに毒が入っているのでは、と思っていたようです」

 

 ……それは。


「もちろん、そんな人間ばかりではありません。中には、里の若いのが結婚したように理解のある人間もいます。……しかし、そういう人間が少数派なのも、確かです」

「……」

「妖怪ですから。人ではないですから。そういうものです。そういうものでした。私の長い生涯で親しくなった人間は数居りますが、しかし私を妖怪だと知った上で、友と呼べる人間はほとんど居りません」


 何も言えない僕に、紅葉さんは一口お茶を飲む。

 ……そして、一拍置いて、口を開いた。

 

「……でも、だから。それを知っていたから、あの日驚いたんです」

「え?」

「覚えていますか? 私がここに来た次の日のこと」


 言われて記憶をたどる。

 でも、大したことは思いつかない。


「あの日の朝、あなたは私に家の鍵を渡しました」

「……あ」

「本当に驚きました。まさか妖怪に……それも会ったばかりの妖怪に鍵を渡す人がいるなんて、と」


 あれは……でも。

 一緒に住む以上は必要だと思って。


「ええ、そうですね。ですがそう思ってくれることが、嬉しかったのです。私を妖怪ではなく……一緒に暮らす、ただの紅葉として見てくれたことが」


 ……あの日の僕は、どう思っていたんだろうか。


「……」

 

 ……でも、確かに妖怪だということは気にしてなかったかもしれない。それよりも、誰かと一緒に暮らすという方に意識が向いていたから。


 情けないことかもしれないけれど、ずっと一人で生きていた僕にとって、妖怪であることよりも誰かと同居する方が大事件だった。


「その後を見ていても、あなたは私が妖怪だと知ってはいても、永い時を生きていると知っていても……それはそれとして、私を私として見てくれていました。……だから、居心地が良かった」

「……」

「……あなたは、私が作った食事も美味しそうに食べてくれたから」


 紅葉さんの視線が手元にある皿に向く。

 そこには空っぽの皿があって……嬉しそうににっこりと笑った。


「……紅葉さんの料理はおいしいから」

「ありがとうございます。その言葉が、一番嬉しいです」


 何と言えば良いか分からず、そんな当たり障りのないことを言うコミュ障な僕に、紅葉さんは笑いかけてくれる。


「……あら、お茶がもうないですね、淹れましょうか」


 紅葉さんがそう言って立ち上がる。

 そして、皿と急須をもって流しへと向かった。

 

 ……褒められたんだろうか。褒められたんだろうな。

 さっきの話は多分そういうことだった。


「……」


 ……少し、照れた。


 

 ◆



 少しして、戻って来た紅葉さんがお茶を淹れてくれる。

 そして、向かいの席に座った。


「この際なので、全て話してしまおうと思うのですが……実は、私は本来薬を買いに来るような立場ではないのです」

「……そうなの?」


 立場じゃないって……つまりもっとお偉いさんだということだろうか。

 実はちょっと気になっていたことでもある。この前、里長にババ……お年寄り扱いされている、と言っていたから。


 里長より年上って、なら紅葉さんの立場は一体? ――と。


「じゃあどんな立場なの?」

「……まあ、ありていに言うと……代ですかね」

「……ごめん、聞こえなかった」


 よく聞き取れずに聞き返す。

 すると、紅葉さんは言い辛そうに目を背け……もう一度言った。


「せ、先代の、里長です……」

「……」


 ……なるほど。それはお偉いさんだ。


「あ、もちろんそれで嫁入りが出来なくなるということではありません。実権はすべて今の里長の方に移っていますので」

「あ、ああ、それなら良かった」

 

 安心してくださいねと笑う紅葉さんに、笑って返す。

 ……まあ、それは確かに安心した。


 ……そして少し納得する。

 以前、換金しに行ったとき。退魔師の人が『あの』化け猫紅葉と言っていたのはそういうことだったのか、と。


「じゃあ、なんでそんな紅葉さんが薬を買いに来たの?」

「それは……」


 問うと、紅葉さんは目を伏せる。


「耐えられなくなったから、でしょうか」


 耐えられなくなった?

 ……何に?


「あなたは覚えていますか? 私が以前、子供を育てていたという話を」

「……覚えてるよ」


 百五十年前に子供を拾ったという話だと思う。

 そして、その子を五年間育てていた、と言っていた。


「その子は……七つの時に流行り病で亡くなりました」

「……」

「私は何もできなくて……ただあの子が衰弱していくのを見ていることしかできなかった」


 それからでしょうか、と紅葉さんが呟く。


「病で苦しんでいる者を見るのが、どうしても辛いのです。思い出して、耐えられなくなる」

「……うん」

「だから、里で熱病が流行って、多くの者が倒れて……それでも、状況がひっ迫していたころは頑張れたのです。でも落ち着いて、薬を飲めば大丈夫ということになると……」


 ……なるほど。

 それで、耐えられなくなった、と。


「こちらでもあなたが風邪を引いた時はどうしようかと思いましたけど……」

「それは、申し訳ないです」


 おまけに僕は病気を押して仕事に行こうとしていたわけで。もしかしなくても、あの時の僕は紅葉さんの地雷を踏みまくっていたのだろう。


 ……そういえば、あの時紅葉さんの目の色が物理的に変わったりしていたような。


「いえ、それはいいのです。それよりもあなたが無事に治って安心しました」

「……紅葉さんのおかげだよ」

「そうですか? ならよかった。

 ……それに、あの時あなたが治ってくれたから、少し気が楽になった気がします。――ああ、病気って治るんだ、と。そう思えました」


 当然ではあるんですけど、と紅葉さんが笑う。


「……」


 当然ではある、当然ではあるけど……しかし、紅葉さんはそれを実感できなかったのかもしれない。子供が治らず亡くなって……今回の呪病とやらも完治するまでに一年かかると言っていたから。


「だから、無理して私が出て来たんです。……本当は私よりずっと、街に慣れた子もいたんですけど」

「……まあ、紅葉さんだけだと換金所まで行けなかったしね」

「そ、それは言わないで下さい!」


 もう! と怒る紅葉さんに謝りながら考える。

 確かに、今思うと杜撰過ぎるかもしれない。なにせ里の住民の生活が懸かっているのに出て来たのが電車に乗れない紅葉さんだ。


 妖怪の里が完全に街と隔絶したところにあるのならまだしも、数年に一回嫁が出て行ってるそうだし……ああ、そういえば写真も現像しに行ってるとか……。


「でも、そうか。じゃあ、僕が紅葉さんに会えたのは、本当にいろいろな事が重なりあった結果なのか」

「それは、そうですね。私も少し前までは、こんなことになるなんて思ってませんでした」


 事が事なので幸運とは言い辛いけど、でも様々な偶然の末に今この時がある。

 そう思うと、なんだかとんでもないことが起きたような、そんな気がした。


「里の皆、驚くでしょうね……肩を落として出ていった私が結婚相手を見つけて帰ってきたとなれば」


 ふふふ、と紅葉さんが笑っている。

 というか、返事は帰った時と聞いていたけど……紅葉さんはもう結婚する前提で話している。それがとてもこそばゆく、嬉しい。


「特に里長です。あれは絶対に驚くでしょう――あんぐりと顔を開けている姿が目に浮かぶようです。そしてきっと、『嘘だ!』なんて叫ぶのでしょうね……。ふふふ……そこに私はこれを突き付けてやるのです」


 そう言って手に持っているのは、先日撮った写真だった。

 リビングのソファに隣り合って座る僕たちの姿が映っている。


「ふふふ……見ていなさい! これで里の最年長はお前ですよ! これまで言われたこと、そっくりそのまま返してやりますから!」

「ほ、程々にね」

「もちろんです! ただ容赦はしません!」


 程々にはならないようだ。

 

 ……しかし、紅葉さんとその里長の人はよほど仲がいいのだろう。

 いつもとは違う顔で笑う紅葉さんは、どこか外見相応に見えた。


  

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