猫が説明する話
始まりは半年くらい前の事でした。そんな言葉から話は始まった。
とある妖怪の住む村で、ある呪病――まずこの時点でよくわからないが――が流行った。それは感染力は弱いが決して治らず、長期間に渡って高熱が出る呪いだったという。
気付いたら広がっていたその病に対し、しかし妖怪たちは有効な対策が取れず、すぐに村中に呪いが広がってしまったらしい。
「とはいえ、最初はそこまで問題なかったのです。感染力が弱かったので、病人が出ても他の者で補える程度でした」
そう、紅葉さんは言う。
しかし、それも時が経つにつれて変わって来た、とも。
あまり増えないが、しかし治らないので患者数が増える一方になってしまったようだ。
それで、最終的には大勢の妖怪が呪いに倒れ、死者こそ出なかったが村の生活が立ち行かなくなってしまった。
「幸い、一月ほど前に呪い師を捕まえることが出来たので、これ以上呪いは広がりません。しかし、一度かかった呪いが解けるのには時間がかかります……大体一年くらいでしょうか」
その期間、病人だらけの村をどうするかと話し合い、そして決まったのが――。
「――医者ですか?」
「ええ、名のあるお医者様に来ていただきました。そして診てもらったところ……熱を抑えるのに人間の薬が良く効くと教えていただきまして」
昔からある煎じ薬が効かなかったので困り果てていたのです、と彼女がため息を吐く。
「お医者様が持って来て下さった薬で村は持ち直しました。しかし薬は限りがあり、無くなってしまうとまた倒れる者が出ることになります」
……なるほど?
つまり、さっきの薬が欲しいというのは……。
「……それで、直接買いに?」
「そうなんです。そして薬というのはこれです」
そう言って彼女が差し出したのは、見たことがある感じの一般的な解熱鎮痛薬だった。それもドラッグストアとかで売っているようなやつ。
「……そういうことですか」
人間の薬、妖怪にも効くのか……。
ちょっとした衝撃を受けながらも、無理やり事実として受け止める。
さっきの話も、妖怪の住む村だの呪い師だのと物語の中の住人がいくつも出てきたわけで、それを考えたらきっと同じようなものだろう。どちらも理解の外という意味で。
「それで、こっちに一カ月を目安に滞在する予定なのですが……一つ問題がありまして」
「……それは?」
「宿が無いんです」
宿?
「お金……というか換金できるものは持っているのですが、一カ月も宿屋に泊まるとかなりの費用になります。それは薬を買うお金でもありますので……」
「はい」
「どなたか、泊めて下さる方はいないものかと……」
彼女はそう言って、こちらを見る。
黒の瞳としっかり目が合った。
「……」
……ああ、もしかして。
ここまで言われたらなんとなく話が分かって来た。
「……この家に?」
「はい、お願いできないでしょうか?」
申し訳なさそうに彼女が言う。
「もちろん、タダで泊めろとは言いません。あまり大金は用意できませんが、代わりに空いた時間に家事くらいはさせて頂きます」
「……なるほど」
……そういうことか。
とりあえず話は分かった。
一応今の状況に納得もできた。
彼女はどうやらこの家を宿にしたいらしい。
意味が全く分からない状況から脱して少し安心する。
「――」
――しかし。しかしだ。
問題は、彼女の言っていることだ。
彼女を、妖怪を家に泊める。
「……」
……それは、大丈夫なんだろうか?
彼女にも、彼女の村の状況にも同情はする。でもそれとこれとは別だ。
受け入れた場合、僕は一カ月妖怪と同じ家で生活することになる。
そんなことをして何か問題が起こったりしないだろうか?
妖怪と人間。完全な異文化コミュニケーションになることが想像できる。トラブルが起きる可能性は高いんじゃないだろうか?
それでなくてもボッチの僕だ。コミュニケーション能力の無さには自信がある。
何かやらかした時にどうなるかわからない。
会社ではないのだ。化け猫相手にトラブルが起きた時のマニュアルなんてどこにもない。
……そもそもなんで僕なのか。それもわからない。
他にも人間は沢山いるのに、その中から僕を選んだ理由はなんなのか。
もっといい人もいると思うし……。
……正直、断ったほうが無難だと思う。
「……」
……しかし、問題はこれは断ってもいいことなのか分からないことだ。
ごめんなさいと言った途端、彼女の態度が豹変してしまう可能性だってある。
相手は妖怪で、人ではない化け猫だ。
先も考えたように、きっと価値観が違う。彼女がどんな価値観を持っているかわからないし、どこに地雷が埋まっているかもわからない。
先程から会話している限りでは、話は通じそうに見えるけれど……。
……でも、まだほんの一時間やそこらだ。
そんな短い時間で相手の人柄を見抜く力は、自分には無い。
「……」
……わからない。全くわからない。
どうすればいいのか、何が正解なのか。
断るべきか、受け入れるべきか。
しばらく悩み、頭を必死で動かして――。
「……」
――でも。
わからないからこそ。
一つ、浮かんできた考えがあった。
それは、これまでの人生で僕がしてきたことだった。
「……その」
「はい」
悩み、考える。
でも、結論は出ない。おそらく出ることじゃない。
……それなら。
「……わかり、ました。お受けします」
「まあ! 本当ですか?」
わからないときは、人の役に立つ方を選んだ方がいい。
そうするのが一番角が立たないからだ。
人に好かれることが出来ないなら、せめて嫌われないように。
……僕はそういうふうに生きて来た。
「ありがとうございます。村に住まうものの代表としてお礼申し上げます」
「……いえ」
……まあ、家に泊めるだけだ。
色々無視すればそういうことになる。
スペース的な問題は、幸い部屋も空いている。
その点だけは大丈夫だろう。
「ご迷惑はおかけしないようにしますので。よろしくお願いしますね?」
「はい、こちらこそ」
言葉を交わしながら、相手の顔を伺う。
目の前にいる少女は胸の前で手を合わせてニコニコと笑っていた。
「……」
……なんとなく、その笑顔を見て。
……ふと、この人可愛いな、なんて思った。
半分ヤケになっている自覚があった。
色々悩みすぎて、疲れたからかもしれない。
改めて見ると、彼女は妖怪だからか外見が驚く程に整っている。
まだ幼い顔立ちを、さらさらと流れる黒髪が飾っていて、猫の時とは違う黒い瞳がこちらを見つめていた。
その目と見つめ合う。
笑った顔。悪意はかけらも見られず、どこまでも穏やかだった。
綺麗な目。
真っ黒な瞳は、しかし宝石のように輝いて見える。
「……」
――あんまり酷いことには、ならなさそうかな。
なぜか、そう思った。
そして、そう思った自分に驚く。
どうしてだろう?なんでそう感じた?
先程まであんなに警戒していたのに。自分の感情の流れが理解できない。
「……?」
分からない。もしかして彼女が可愛いからだろうか。
そうだったとしたら、思っていたよりも自分は単純だったことになる。
……なんて、現金な人間だ。
内心、自分にため息をつく。
「……今日から住むのですよね?
では空き部屋があるので案内します」
自分自身への失望を誤魔化すようにそう言い、立ち上がる。
すでに彼女に部屋を貸すと言ってしまった。
それなら急いだほうがいいだろう。
なので、彼女を促し――ふと、一つ思い立った。
それは先程も少し気になっていたことで、説明の中では明かされていないことだった。
「聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「どうして、僕のところに来たんですか?」
事情を聞いた限り、他の人でも良かったはずなのに。
「……それは、ですね」
「はい」
「あなたが、寂しそうな顔をしていたから」
……え?
耳を疑う。
寂しそうな顔?
それは、どういうことなのか。
彼女は僕を見ている。
その両目は細められていて、変わらず微笑んでいた。
「――案内、お願いできますか?」
「……え、は、はい」
言われて、歩きだす。
しかし、頭の中では先程の言葉がグルグルと回っていた。
……寂しそうな顔をしていたから?
それはどういう意味なのか。
「……」
わからない。
何もわからないが……。
僕はきっと、よっぽど情けない顔をしていたんだろう。そのことだけはわかった。