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猫と予定の話


 壁に掛けられたカレンダーをなぞる。

 “あの日”から縦に四つ下がって――横に二つ動かす。


「……」


 そして、次に今日の日付を確認して……。

 ……残りの日数は三日だった。



 ◆



「……あと、少しですね」

 

 朝食後、紅葉さんがそう呟く。

 その視線は壁のカレンダーに向いていて……僕もその視線の先を追いかけた。


「その、紅葉さんの予定が聞きたいんだけど……」


 随分ざっくりした聞き方だな、と自分でも思いつつ、しかし、詳しく聞くのも難しい。僕は妖怪の村のことも良く分からないからだ。

 話には聞いているけど、それがどこにあるのかさえ僕は知らない。


「そうですね……」


 告白した日から数日が経つけれど、僕は今日、初めて紅葉さんにその日の予定を聞いた。


 もっと早く聞くべきだったかもしれないとは思う。

 ……しかし、あちらに帰る日のことというのは少し聞き辛い所もあって――。


「予定通り里に戻ろうと思います。薬も届けないといけませんし」

「うん」

「それで、その後なんですが……で、出来る限り早くこちらに戻ろうかと」

「――うん」


 こちらに戻る。

 その言葉が嬉しい。一カ月前なら絶対にありえなかった言葉だ。

 

「なので、その時に……お、お返事をしますね」

「……あ、ああ、うん」


 気恥ずかしい。でもとても嬉しく思う。


「……その。待ってるよ」

「……はい」


 なんとなく頭を手でかき混ぜる。

 ……しばらく、部屋に無言の時間が続いた。



 ◆



「その、おそらくですが、それほど時間はかからないと思います。数週くらいで……多分」

「……そうなの?」


 少しして、お茶を片手に紅葉さんと会話する。

 紅葉さんは指先を顎に当てて、何かを思い出すような仕草をした。


「前例がある話ですので。……まあ、これまではずっと見送る側だったのですが」

「そ、そうなんだ」


 トーンが一つ下がった言葉に少し気押されつつ、考える。

 ……前例がある、ということは妖怪と人間の結婚はそれなりにあることなのだろうか。紅葉さんの口調からはそんな印象を受ける。


「妖怪の村は不便ですからね……出たがる妖怪は後を絶ちません。しかし、身寄りも学もない妖怪が人の世に出ようと思えば、出来ることは限られます」

「……ああ」


 里を出るために結婚するのか……。

 なんというか、妖怪のイメージにそぐわない現実的な話だった。


「若いのが数年に一人は出ていきますので……そのせいで村の妖怪の数が減って困るという側面もあるのですが」


 ……若い人間の流出に困る過疎村かな?

 ……いや実際に過疎村なのか。


「若いのが良くて、私がダメという道理もありません。なので問題はせいぜい里長位でしょう」

「里長?」

「ええ……彼女を張り倒して来なければなりません」


 張り倒すとは。


「絶対に色々言ってきますよ、あれは。バ、ババア歳を考えろとか、若い燕を捕まえたとか、老いらくの恋はみっともないとか……!!」


 許せません!! と紅葉さんがこぶしを震わせている。


「私のことババアって、あれだってもう三百は超えているんですよ!?」

「……」


 何か言ったら藪蛇になりそうな気がして、お茶を飲みながら曖昧に返事をしておく。

 いつか思ったように、妖怪の里は愉快なようだった。


 ……というか、紅葉さん里長より年上なのか。



 ◆



 人間と妖怪との結婚であることとか、それに伴う障害とか。

 実はそういうのを色々考えていたのだけど、紅葉さんの話ではそういう心配はあまりなさそうだった。


 安心しつつ、しかし、現実に迫ってきている期限を思い出す。


 あと、三日。 

 

 今日は普通に仕事なので、実質あと二日と言えるだろう。

 たとえ一時的だったとしても、その後には紅葉さんはいなくなる。


 まあ、紅葉さんはそれほど時間はかからないと言うし、すぐに帰ってくるとは言っていた。……でも、それも具体的な日数を言えない位には不確かだ。


 一体何週かかるのか、それとも、もしかしたら何カ月になってしまうのか。

 ……わからない。全くわからない。


 だから僕は――。


「明日から休みが欲しい?」

「はい、突然で申し訳ないのですが、どうしてもお願いしたく」


 ――今日、覚悟を決めて職場に来ていた。

 

 目の前の上司に頭を下げる。

 社会人として非常識なことを言っている自覚はある。でも、どうしてもお願いしたかった。


 ダメと言われたら土下座をするくらいの覚悟はある。

 ……まあ、実際にしたら上司も困ると思うのでやらないけど。でもその後の土日を無給で出勤しろと言われたらやろうと思う。


「別にいいぞ」


 しかし、僕の意気込みとは裏腹に、あっさり許可がもらえた。

 あまりにも軽く言うので、拍子抜けしてしまうほど。


「いいんですか?」

「いいよ。今暇だからな」


 まあ、そうだ。

 今は繁忙期ではなくて、休みを取っている社員も多い。


 皆、代わる代わる休みを取っている。

 取ってなかったのは僕だけだ。


「言いたくなかったら言わなくてもいいけど、なんかあったのか?」

「……その、なんといったらいいか」


 紅葉さんとの関係をどう説明していいのかわからなくて、言葉を濁す。


「言い辛いってことは冠婚葬祭じゃないのか」

「……そうですね、もっと個人的なことです」


 いや、ある意味婚なんだろうか。

 でもまだちゃんと返事をもらったわけじゃないし。


「そうか、まあいいんじゃないか? お前全然休み取らないし」

「……」

「無理して働いてもろくなことないぞ。休めるときは休んどけよ」

「……はい」


 話が終わり、上司に軽く頭を下げて自分の席に戻る。


「……」

 

 ……あの上司、思っていたよりも良い人だったのかもしれない。

 今まで知らなかった。業務上の話しかしてこなかったからだ。


「……でも」

 

 ……知れて良かった。そう思う。

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