猫と居眠りの話
「今日は電車に乗って買いに行こうと思うんです」
それは週の真ん中の朝だった。
朝食の後、ふと紅葉さんがそれを口にした。
「……電車?」
「はい、そろそろ歩いて行ける店では一通り買ってしまったので」
ああ……まあこの辺り田舎だから店も少ないし。
そりゃあ、真面目に回って歩いたらすぐに終わってしまうだろうけど。
特に、ここ数日は紅葉さん真面目に買って歩いてたみたいだし。
今もリビングの隅に買って来た薬が積み上げられていた。
「……いやでも、大丈夫?」
先日のことを思い出す。
あの時の紅葉さんは、なんというかあまり電車に向いてなかったというか。
「あれから考えたんですけれど、あれは人の多い場所に行ってしまったからではないかと」
「……それは、確かにそうかも」
実際に、初日に上野までは問題なく辿り着けているわけで。
東京まで行かなければそこまで迷うこともないのかもしれない。
「なので、今日は隣の駅まで行ってみようかと」
「まあ、大丈夫だとは思うけど……でも休日まで待ってくれたら僕も付き合うよ?」
荷物持ちくらいならするし、そもそも休日なら僕が車を出すことも出来る。
歩いて回るよりも、きっとよっぽど効率的だ。
「大丈夫です。あなたにそこまで迷惑をかけるわけにもいきません」
「僕のことは気にしなくてもいいけど」
しかし、紅葉さんは首を横に振る。
「そういう訳には。あなたにはお仕事もあるのですから」
「……」
「あなたに迷惑をかけるわけにはいきません」
繰り返すように紅葉さんが言う。
……どうしてだろう。ここ数日、紅葉さんは迷惑という言葉をよく使うような気がする。
元々紅葉さんがたまに言っていた言葉ではあるけれど、それよりもさらに。
……あの、換金しに行った日からだろうか?
でもあの時は特におかしな様子はなかったと思うけど……。
「僕は迷惑なんて思ってないよ?」
「……ありがとうございます」
僕の気持ちを伝える。
でも、紅葉さんは笑顔でお礼を言うだけだ。
「……紅葉さん」
「……あ、そろそろお仕事の時間じゃないですか?」
どうしたものか、と考えている間も時間は過ぎる。
後ろ髪を引かれるような思いはあっても、仕事に行かないわけにもいかなかった。
働かなければならない。社会人の辛いところだ。
◆
「ただいま」
家に帰り、挨拶をする。
まだ早い時間だ。仕事が順調に進んだのであっさり帰ってこれた。最近はこういうことも増えたように思う。
「……?」
あれ、と思う。いつもなら紅葉さんがすぐにおかえりと返してくれるのに。
今日はどういう訳か何の声も聞こえてこない。
「……紅葉さん?」
聞こえなかったのだろうかと、玄関に上がり、廊下を歩む。
その先にあるリビングからは明かりが漏れていて、おそらくそこに紅葉さんがいるのだと思われた。
「……紅葉さん?」
扉を開ける。
そして、部屋の中を確認し――。
「――あ」
気付く。
部屋の端、ソファの上に赤い色が見えた。
「……」
状況をなんとなく察して音を立てないようにゆっくりと近づく。
部屋の中を服が擦れる音だけが響いた。
「――」
「すー、すー」
ソファの上で、紅葉さんが寝ていた。
両手と両足を畳むように丸まって、静かに寝息を立てている。
「……」
……毛布を掛けてあげた方がいいかな。
先日の僕じゃないけれど、紅葉さんが風邪を引いたら困る。
「……」
音を立てないように離れる。
きっと疲れているのだろう。ここ数日、紅葉さんは忙しそうにしていたから。
「……やっぱり大変だよね」
今日こうして寝ているのも、そのせいなのだと思う。
毎日毎日、知らない場所へ向かって、そこで買い物をするのは苦労も多いのだろう。
……特に、今日なんかは電車で買いに行ってるし。
「……」
今日は仕事があったからなあ……。
それが無かったら付いて行けたのに。
朝は紅葉さんも近場だから、と言っていたけど、やはり疲れたのだと思う。電車で一度ひどい目に遭ってるし。
「でも、それでも一人で電車に乗れるんだから紅葉さんすごいよね」
この辺りは路線も一つしかないし、東京と違って駅の構造も単純だ。
だから紅葉さんも大丈夫と言ったのだと思う。
でもやっぱり、そもそもの話として、紅葉さんは経験がないだけで根本的に要領のいい人なのだろう。
「っと、毛布は……」
押入れの扉を開け、薄手の毛布を取り出す。
そしてそれを持ってリビングへと戻った。
「すー、すー」
「……」
紅葉さんの元に戻り、起こさないように注意して毛布を掛け――。
……しかし、紅葉さんってこうしてみると小さいなあ。
普段から小柄だけど、今みたいに丸まって寝ているとさらに小さく見える。
これで何百年も生きているというのだから、妖怪というのはやはり人とは違う存在なのだと思う。
「――んぅ?」
「……あ」
……失敗したかもしれない。
体に毛布を掛けると、紅葉さんがうっすらと目を開けた。
「……あなた、は」
「……」
紅葉さんが呟き、半開きの目が僕を見る。
その様子はなんとなく、ぼうっとしているように見えて……寝ぼけているのだろうか?
「ああ……私は……」
「……紅葉さん?」
目は覚めているように見える。
でも、動きは鈍くて、口調もいつもよりふわふわしていた。
「……私は、あなたに迷惑をかけていないでしょうか」
「……え?」
紅葉さんが、ゆったりとした口調のままにそう言った。




