猫と迷子の話
そこに僕が辿り着いたとき、すでに日はかなり傾いていた。
駅近くの駐車場に車を止め、小走りに待ち合わせた場所へと向かう。
「……すぐに見つかるといいけど」
電話を貰ってから、もうかなり長い時間が経っている。
ゆっくりでいいとは言ってはいたけれど、出来る限り急いだほうがいいだろう。
――多分、迷惑をかけたくないと思ってるだけだろうし。
「……」
駐車場前の信号を渡り、駅へと続く階段を駆け上がる。
そして人の流れに紛れつつ周囲を確認しながら建物に入ると――。
「――いた」
幸いなことに見つけやすい場所にいた。
入り口傍の階段の横。彼女はそこにある柱にもたれかかるようにして立っていて。
……安心する。もし会えなかったらどうしようかと思った。
「紅葉さん、よかった」
「あ――」
駆け寄り、声をかけると、俯いていた顔が上がる。その大きな目が僕の顔を見た。
黒い瞳は少し潤んでいて……きっと心細かったのだろう。
僕にも経験がある。
子供の頃、親とはぐれて迷子になった時の記憶。知らない場所に一人放り出されて――しかしどうしていいかわからない。
――世界で一人ぼっちになってしまったような、そんな感覚があった。
「……ご、ごめんなさい」
「いいよ、大丈夫。疲れただろうし、帰ろう?」
頭を下げようとする紅葉さんを止めて、出口へと促す。
別に僕は怒っている訳ではないし――ここは人目が多い。下手に目立つと、面倒なことになる可能性があった。
「近くに車を止めてるから。そこまで歩ける?」
「はい……大丈夫です」
元気のない紅葉さんを車まで誘導しながら、ふと上を見る。
……そこには大宮駅と書かれていた。
◆
大宮駅は埼玉県の駅で、目的地である地図の場所は東京都。
紅葉さんは全然違うところに辿り着いていたのだけど、話を聞く限り、その原因はちょっとした不注意だったようだ。
最初、東京都上野の駅で降りた紅葉さんは、当然のように困り、迷い、駅員さんに助けを求めたらしい。
そして目的のホームまで案内してもらい、電車を待って――目についた売店で買い物をしている内に、ホームの右と左を間違えてしまったようだ。
駅員さんの指示とは違う電車に乗った紅葉さんは、しかし全く気付かず、延々と運ばれ、気付いたときには終点の埼玉県大宮まで来ていた、と。
……東京の駅の厄介さが良く分かるエピソードだ。
「この度は誠に申し訳ありませんでした……」
「いやいや、大丈夫だから頭を上げて」
リビングで深々と頭を下げる紅葉さんをなだめながら、熱いお茶を差し出す。
いつもなら私が淹れます、とすぐに歩き出すところが、今日はおとなしくお茶を啜っている辺り、その疲労具合が伺える。
「うぅ……暖かい……」
目にちょっと涙が浮かんでいる。
どれだけ辛かったんだろうか。
「ありがとうございます……もう家に帰れずに野垂れ死ぬのかと思いました……」
「そんな大げさな」
「大げさではありません! なんなんですかあれは! 右を見ても左を見ても人、人、人! 建物の中はどちらを向いても同じような光景が続いていて、私本当に前に進んでいるのか分からなくなりました!」
……まあ、分からなくはない。
僕も初めて東京駅に行ったときは何度も同じところをぐるぐる回ってたし。
「あなたにも迷惑をかけて……申し訳ありません」
「大丈夫大丈夫」
「こんなことなら意地を張らず、最初からあなたについて来てもらうべきでした……」
「……」
……それは、そうだろうね。
「笑ってくださいませ……愚かな猫と……」
「いやいや、そんなことは」
笑ってくれと言われて本当に笑うわけにもいかず、少ない語彙を駆使して紅葉さんを慰める。
……なんとか紅葉さんが気を持ち直した時には、完全に日が暮れていた。
◆
「今日は外食にしようか」
ようやく落ち着き、ふと時計の針を見るとその短針はもう七を回っていた。
なので、紅葉さんにそう声をかける。
色々あって疲れているだろうし、落ち込んでいる紅葉さんの気分転換になればと思ったからだ。
「はい……行ってらっしゃいませ」
「……いやいや、紅葉さんもだよ?」
当たり前のように送り出されそうになって、慌てて訂正する。
僕一人でなんて、いける訳がない。
「……え? 私もですか?」
なんで意外そうな顔をしているんだろう。
疲れているのも気分転換が必要なのも紅葉さんの方だろうに。
「そんな……こんな愚猫にそんな贅沢必要ありません……」
「そんなことないって」
「私は棚の下のツナ缶を舐めさせてもらいます……」
紅葉さんの落ち込みようが酷い。
顔を上げたので少しは持ち直したのかと思ったけど、実は全然だったらしい。
「大丈夫、誰にだって失敗はあるから」
「……うぅ」
というより、前回はここまで酷くなかったと思うんだけど。
スマホの時も似たようなことをしてたけど、すぐに普段通りになっていたのに。
「あなたにこんなに迷惑をかけて、そんな顔の皮が厚い真似は出来ません……」
「いやいや、それこそ気にしなくていいよ」
「……え?」
迷惑をかけると言うのなら、きっと僕の方がかけている。
この前風邪を引いたときのあれを迷惑と言わないのであれば、他に何と言えばいいのかわからない。
あの日、僕は一日中寝ていて、紅葉さんは一日中僕の世話をしてくれていた。
それと比べれば今日のことなんてなんでもない。ちょっと車を出して数時間走らせただけだ。単純に時間だけ比べても紅葉さんの負担の方が大きい。
「僕の方こそ、紅葉さんに迷惑をかけてるよ」
そもそも、この二種間紅葉さんはいつも家にいて僕の世話を焼いてくれた。
それだって見方を変えれば迷惑をかけていることに他ならない。
……そしてそれに僕がどれだけ救われたか、嬉しかったかなんて今更考えるまでもないだろう。
「紅葉さん、いつもありがとう」
「……」
「紅葉さんが居てくれるから、僕はこの二週間毎日楽しかった」
だから、ちょっとした迷惑なんて気にしないで欲しい。
そう思って、紅葉さんの目を見る。
……そういえば、紅葉さん以外でこうして目を見ることが出来る人なんて、他にいるだろうか。
「だから、落ち込まずに笑っていて欲しい。僕は紅葉さんの笑顔が好きだから」
「……っ」
ボッチで、コミュ障で、ろくでもない僕だけど、そんな僕でも紅葉さんが笑ってくれているから、僕は安心していられる。
ただいまと言って、笑顔でおかえりと言ってもらえる。それがどれほど幸せなことか、一度失った僕はよく知っているから。
「紅葉さん、僕は――」
「わ、分かりました、分かりましたから! もう大丈夫です!」
気が付くと紅葉さんの顔が赤くなっていた。
「も、もう! もうっ! 今の男の子は斯様に真っ直ぐに人の目を見て言うのですか!」
「……えっと」
紅葉さんがとても慌てている。
何故だろうと思い、少し考え――。
「――ちょっと恥ずかしいこと言ったかな」
「ちょっとではありません!」
勢いで話していたが、冷静になると結構すごいことを言っていた。
考えてみれば、笑顔とはいえ人に好きなんて言ったのは初めてかもしれない。
――人を好きになったことはあっても、それを伝えたことなんてなかった。
「もう……恥ずかしいです」
「…………ははは」
「……でも、ありがとうございます」
照れくさくて、頭を掻く。
なんだか僕も恥ずかしくなってきた。
……まあでも、紅葉さんが元気になってくれるなら、そんなことは大したことじゃ無いとも思う。
「じゃあ、どこかに食べに行こうか。紅葉さんも一緒に」
「……はい」
その言葉で話が終わった。
外に出る準備をすると、今度は紅葉さんも身支度を始める。
――二人で家を出て、飲食店が並んでいる方へと歩く。
紅葉さんは当然のように僕の隣を歩いてくれて……それが嬉しかった。




