猫と換金の話
しばらく額を触れ合わせて。
ふと、遠くから子供の大きな声が聞こえて、それをきっかけに体が離れた。
「……」
少し、疑問に思う。
これは一体何だったのか。もちろん嫌ではないが、しかし不思議に思うのは間違いない。
「……そろそろ、だと思うのです」
紅葉さんが小さな声でつぶやく。
それに対し、何が? と質問しようとして――。
「――そろそろ、薬を買い集めようと思うのです」
「……」
そう、先に答えが帰って来た。
一瞬、理解出来ず……しかしすぐに理解する。してしまう。
……薬を買い集める、それはつまり――。
「もう、こちらに来て二週間になります」
「……」
――終わりが近づいていることを意味していた。
この生活の終わり。紅葉さんは当初の予定通り薬を買い、そして元いた里に帰っていく。
最初から決まっていたことだ。
紅葉さんはこの家に一カ月滞在するのだと、一番初めにそう言っていた。
「……そう、なんだ」
お腹の辺りにズン、と重い物が圧し掛かる。
突然襲って来た現実が酷く苦しい。無意識に目を逸らしていた。考えたくなかったからだ。
……紅葉さんがいなくなるなんて、想像するのも嫌だった。
たった二週間前に初めて会った人が、今はもうこんなに大きな存在になっている。
「……」
……一月が、近づいていた。
◆
「それで、薬を買うために、まずお金を用意する必要があるのですが」
「……そうだね」
少し吐き気がするのを抑えながら、返事をする。
悲しいし、辛いけれど。でも今はまだ、紅葉さんはここに居るのだから。
「……何かあてはあるの?」
お金はどこかから沸いてくるものじゃない。
紅葉さんの為なら僕がある程度工面してもいいけれど、それにだって限度はあるし。
「はい、もちろん。ただ、里には今の人が使うお金はほとんどなかったので、換金する必要があります」
これです、と紅葉さんが鞄から何かを取り出す。
そして差し出されたのは、紫の布が巻かれた小さな包みだった。
「一昔前の物になるのですが……」
紐を解き、丁寧に広げていく。
すると、中から出て来たのは――。
「――小判?」
「ええ、私が人に紛れて暮らしていたころの物です」
金色に輝くそれに、少し驚く。
こんなもの歴史の教科書でしか見たことが無い。
「……本物……だよね」
「贋金ではないはずです。城下町の大店で受け取ったものですから」
重さもありますし……と一つ手に取って差し出してくる。
恐る恐る受け取ると、それからは見た目よりも重い感触が帰って来た。
……金は比重が重いと聞いたことがある。
「金は今でも価値があると聞いているのですが、間違いないのでしょうか?」
「……そうだね。むしろ当時よりも価値があるんじゃないかな」
金はそれだけで価値があるし、小判ともなればおそらく歴史的価値もあるだろう。
当時から生きている紅葉さんが言うのなら間違いなく本物だろうし、ぱっと見では状態も悪くない。……これ、素手で触ってもよかったんだろうか。
「これだけあれば、薬を買うのに困りませんか?」
「どれだけ買うつもりかは分からないけど、解熱鎮痛薬の百や二百じゃお釣りが出ると思うよ」
包みの中に入っていた小判は全部で十枚。
そしてその下に大きなもの――大判と言うのだろうか――が一枚。
少なくとも十万や二十万ではないだろう。
単純な金の重さだけでもそれ以上行くはずだ。
「……よかった。安心しました。では明日にでも売りに行きますね」
紅葉さんが丁寧に金貨を包みなおし、鞄に入れなおす――その姿を見て一つ疑問に思った。
「売りに行くって……どこに?」
売る店とかは分かっているんだろうか。
古物商? それとも貴金属店? そのどちらだったとしても僕には馴染みがないのでよくわからない。
「実は里を出る際に退魔師の方から物を売るならここで、と指定されていまして。なので場所も分かっているんです」
紙を一枚手渡される。
そこには詳細な地図と店の名前、そしていくつかの注意点が書かれていた。
「……こんなことまで決まってるんだ」
「なんでも、妖術で騙される人が出ないように……と言うことだそうです」
紅葉さんが苦笑する。
「昔は妖怪がやりたい放題してましたから」
「……例えば?」
「石ころをお金の代わりに使ったり、殿様に化けて町人に無体なことをしたり、でしょうか」
……なるほど。
「身から出た錆です、仕方のないことなのでしょう。私とて妖術を使って人を騙したことが無いとは言えません」
「……」
「やんちゃしていた時代もありました」
まあ、人に歴史あり、と言うことなのだろう。
聞きたいような、しかし聞いてもいいのかわからないような……そんな気分だ。
「私としてもちゃんと買い取ってもらえるなら文句はありません。相場通りで取引してくれると約束しましたし」
そういうものか、と思う。
紅葉さんが納得しているのなら僕がどうこう言うことじゃないだろう。
なので頷きつつ、なんとなく手元の紙に視線を戻し――。
「……? この地図……」
――あれ、と一つ気付く。
この紙には指定された場所に行くまでの方法が細かく書かれているけれど――。
「――これ、電車で行くのが前提で書かれてるね」
「そうなのですか?」
最寄りの駅からの道筋しか書いてない。
まあ、その最寄りの駅はそれなりに大きなところなので、普通だったら問題は無いのだろう。
「……この駅……ここからだと上野と新宿経由になるかな」
「しんじゅく?」
他にも方法はあるけれど、それが一番簡単だろう。
それ以外となると、乗り換えの回数が三回くらい増える。
「……」
ふと、紅葉さんを見る。
新宿駅か……。
「……」
……まあ、大丈夫か。
僕もついていけばいいだけだし。
紅葉さんが一人で行ったら迷いそうだと思う。
何せあの大きく複雑な駅だ。ダンジョンの異名は伊達じゃないわけで。
「……どうされたのです?」
「いや、なんでもないよ。それで、いつ行く? 明日と明後日なら僕も休みだから、そのどっちかがいいと思うんだけど」
幸いなことにこの週末は三連休だ。
今日が初日で、まだ二日ほど丸々残っている。
「あら、私だけで大丈夫ですよ?」
「……え」
紅葉さんがニコニコと笑いながら言う。
「せっかくのお休みなのですし、家でゆっくりとしていて下さい」
「……いや、でも」
「私とて子供ではないのですから。この二週間で人の世にもかなり慣れましたし、問題は無いでしょう」
私事で居候が迷惑をかけるわけにはいきません、と笑う。
「……」
あ、これいつものやつか、と悟る。
紅葉さんが偶に言う、家主がどうとか居候がどうとか、そういうのだ。
そして、これに関しては紅葉さんはちょっとやそっとじゃ引かない。
それはこれまでの日々で分かっていた。
「……」
……いや、しかし大丈夫なのだろうか?
新宿も大変だし、それ以前に東京の駅は路線が錯綜としていてかなり複雑だ。
僕だって初めて訪れた駅では迷うこともある。
「難しいと思うけど……」
「ふふふ……心配はいりません。こう見えて私、鉄道には乗ったことがあるのですよ?」
「……そうなの?」
「ええ、八十年ほど前に。退魔師との協定で森を出たのです」
「……」
八十年前って……。
…………なんだか不安になって来た。
というか、このやり取りスマホの時にもした気がする。
五十年前の黒電話はスマホの役には立たなかったと思うんだけど……。
「大丈夫です。それに、知っているのですよ?」
「……何を?」
「困ったら駅員の方に聞けばいいのでしょう?」
「それはそうだけど」
……どうなんだろう。
確かにそれが分かっていたら大丈夫な気もする。
駅員さんは僕より間違いなく詳しいし、紅葉さんは外見上は子供だ。子供に道を聞かれて邪険にする人はまずいないだろうと思う。
「……大丈夫?」
「大丈夫です。問題ありません」
自信満々に胸を張る紅葉さんに、しかし僕は不安を隠しきれないでいた。
◆
次の日の昼過ぎ。
僕は軍手を付けて庭の手入れをしていた。
紅葉さんは昼前に出かけていき、今日は久しぶりに一人だ。
ここ最近は家にずっと紅葉さんがいてくれたので少し寂しく感じる。
「……まあでも、仕方ないかな」
せっかくだし、この機会に庭も家も綺麗にしておこうと思う。
こういうことは連休でもなければ手を出し難いし。
「庭の雑草と……壁も綺麗にしとこうか」
軽い手入れだから、水を掛けながら軽く擦ればいいかな……なんて思いながら作業を進めていく。
「……」
……これが恩返しになっているといいんだけど。
ふと、思う。
今こうしていることで、この家に喜んでもらえたら、と。
「……付喪神、か」
人に聞かれたら正気を疑われそうだけど、しかしきっとこの家には付喪神がいるのだろう。そして僕の傍にいてくれている。
今僕が紅葉さんと一緒にいられるのもこの家のおかげで……だから、この家がしてくれたことに、出来る限り報いたい、そう思った。
「……ん?」
――と、太ももの辺りに振動が伝わってくる。
なんだろうかとポケットに入れていたスマホを取り出し――。
「――紅葉さん?」
紅葉さんからの電話だった。
何かあったのだろうかと悩み……しかし待たせるわけにもいかず、画面をタップする。
「はい、もしもし」
『……あ、その……私、紅葉なのですが…………そ、その…………助けてください……』
……あっ。
まだ何も聞いてないけれど、僕はなんとなく要件を察した。




