閑話 猫と家の話
使ったものを補充しておくのは大切なことだ。
それが薬などの、いざというときに必要な物ならなおさらだろう。
「えっと、今回使ったのは薬だけだった?」
「……ええと、そうだったはずです」
数日後、僕たちは看病で使ったものを確認する作業をしていた。
押入れから、あの日出した救急箱を取り出しながら確認する。
「今回は保存食は使わなかったから……やっぱりそれくらいかな」
うろ覚えながら、あの日を思い出していく。
食事はすべてお粥とか梅干しとかで元々普段から食べているものだ。
それ以外は特に、冷えピタとかも使わなかったし――。
「――あれ?」
「どうしたのです?」
「そういえば、あの氷枕ってどうしたの?」
思い出した。冷えピタとか保冷剤の代わりに使っていたあの氷枕。あれどこから持って来たんだろう。もうずっと住んでる僕でもどこにあるか知らないんだけど。
「あれなら一階奥の押し入れの中にありましたが」
「……そんなところに。よく見つけたね」
一回奥の押し入れと言えば、元々両親が私物を管理するときに使っていたところだ。
なるほど、僕が知らないはずだと思う。
「この家が教えてくれましたので」
「………………え?」
家?
「はい、この家に着く付喪神が」
「…………あ、あー、なるほど」
付喪神か。
一瞬何かと思ったけれど、そういうことなら理解できる。
よく考えてみると、この家の家具やら給湯器やらにも付喪神がいるわけで。
それならこの家にいても全くおかしくないのだろう……付喪神自体がファンタジーだと言うところには目をつぶるとして。
「言ってませんでしたか? この家の付喪神はかなり意思がはっきりとしているので、これまでも度々お世話になっているんです」
「……そうだったんだ」
住んでいる家に意思が宿っているというのは不思議な気持ちだ。
……というか僕のことをどう思っているんだろう。今こうしている間も足で踏みつけているわけだけど。
「……」
そういえば、小さいころ家の柱に傷をつけたり、壁にボールをぶつけたりしたような。
……あれ、恨まれたりしてないよね?
気になって紅葉さんに聞いてみる。
すると――
「そんな、まさか。この家はあなたのことをとても大切に思っているみたいですよ」
――そんな返事が返って来た。
……大切?
「あなたのことを見守っています。今この時も」
「……」
……そう言われても。
「よくわかっていないのでしょうか。でも、あなたも実はこの家の声を聴いているはずですよ?」
「……声を?」
……全く心当たりがない。
あいにく僕には霊感は無いし、紅葉さん以外のファンタジーとは接触したことが無いわけで。
「ええ、私と初めて会ったあの日に。覚えていますか? 最初あなたは私のことを信じていなかったはずです」
ふふふ、と紅葉さんが笑う。
初めて会った日。それは今から考えると十日と少し前になるわけで……。
「……」
完璧に覚えているわけではないけれど、そう言えばそうだった気もする。
最初僕は紅葉さんの言うことが理解できなかった。
それはそうだ。だって化け猫とか妖怪とか、そんなこと信じられるはずがない。
普通ドッキリだと思うはずだ。それを僕が信じたのは――。
「私が初めてこの家に来た時、この子はあなたに寄り添っていました。あなたのことを想い、悲しんでいました」
「……」
「ご両親が亡くなってから、あなたは塞ぎこんでしまったと。誰とも関わらず、いつも寂しそうな顔をしていると」
……それは。
確かにそうだ。僕は紅葉さんが来るまで、いつも一人で。
「実はこの家に入って、あなたがお茶を出すまでの間、この子と話をしたんです。この家は私のことを信じてくれて、あなたの説得を手伝うと言ってくれました」
自分で言うと少し恥ずかしいですが、と紅葉さんが笑う。
「だからあの日、この家はあなたに語りかけていました。例えあなたに伝わっていないと分かっていても――私に居てもらった方がいいと、あなたの傍で」
「……」
「一人は寂しいから、あなたが悲しんでいるから、誰かに居てもらった方がいいと。…………最初はそれも無駄かと思いましたが、段々変わっていったんです」
どうだっただろうか。あの日、僕はどう思っていたんだろうか。
今となってはよくわからない。
……ああ、でも、不思議だったのは確かだ。どうして僕は紅葉さんと普通に話せたのか。僕みたいなコミュ障が気後れせずにいられたのか。
紅葉さんが可愛かったから?
そんな訳はない。むしろ逆だろう、可愛いほうがきっと気後れする。
「最初は腰が引けていました。でもこの子があなたに訴えかける度に、少しずつ変わっていって……最後には私の目を見てくれた。少し困っていたんです。あなたが全然目を合わせてくれないから」
そうだ、あの時、僕は妙に落ち着いていた。
目の前によくわからない人がいるのに――でも、なにか安心できる気がして。
……今思うと、それはもしかしたら。
「あなたはこの子に愛されています。見えないかもしれないし、耳では聞こえないかもしれないけど――でも、どうか信じてあげて」
「………………はい」
これは何なのか、よくわからない感情が胸の中で渦巻いている。
言葉に出来ない、でもとても大きな感情が。
「……今も、僕の傍に?」
「はい、もちろん。少しだけ恥ずかしがっているようです」
……そうか。そうだったのか。
言われてみると思い当たる節はある。沢山ある。そもそもどうして、僕みたいな人間が誰かと同居なんてできたのか。
出来るはずがない。そんなわけがない。
そんなことが出来るのなら、何年もボッチなんてやってない。
「……ごめん、ちょっと考えたいから」
「はい、確認は私がやっておきますね」
立ち上がり、自分の部屋へと向かう。
階段を上ると、もう何年も聞いている木の板の音がする。
それはきっと、一番最初から、物心ついたころから聞いている音だ。
「……」
部屋に戻り、床に座り込む。
今こうしている間も傍にいてくれているんだろうか。いや居るのだろう。紅葉さんはそう言っていた。
「そうか、僕は……」
一人ではなかったのか。
見えないし、耳では聞こえなかったとしても。
「――――」
そう思うと、少し胸に迫るものがあって――。
――少しだけ、涙が出た。




