猫と看病の話
病気の時、誰かが傍にいてくれるというのはとてもありがたいことだ。
体が辛く、苦しい時。唐突に心細くなることがあるから。
気だるい体と重い頭。痛む喉に詰まった鼻。
それらを抱えてベットの中で悩むときなど、特にそうだ。
思う。水が飲みたい。薬も飲まないと。今日の食事はどうしよう。明日には治っているだろうか。仕事はどうなっている。鼻が詰まって少し苦しい。トイレにも行かないと。痰が絡んでうっとおしい。――ああ、やっぱり水が飲みたい。
頭の中がぐちゃぐちゃで、そんな時に誰もいないと無性に悲しくなる。
僕だけなのだろうか。もしかしたらいい年して一人で立てていないだけかもしれない。
僕はいつまでたっても未熟なはぐれ物だ。
人とまともに関わることすらできないダメ人間。
――ふと、かつてを思い出す。
親と暮らしていた頃。僕がまだ子供だった頃。
誰かが傍にいてくれる暖かさに、暖かいと気づくことなく浸っていた。
今はもうない日々。当然のように幸せだった毎日。
――僕はやっぱり、失ってからそれに気付いた。
◆
目が覚める。
窓を見ると、外はもう暗くなっていた。
「――」
随分と、眠っていたようだ。
最期に目が覚めたのは確か昼を食べた頃で……もう数時間は眠っていたことになるか。
「……っ」
頭を動かすと、少し痛みが走る。
どうやらまだ治っていないようだ。薬の効果が切れているのかもしれない。
なんとなく、頭に手を伸ばし――。
「……あぁ」
今更ながら気付く。額の上、濡れたタオルが乗っていった。
手に冷たい感触がある。まだ取り換えて時間が経っていないのだろう。
「起きたのですか?」
「……紅葉さん」
声に、目を動かす。
紅葉さんが心配そうな顔をしてのぞき込んでいた。
整った、しかし幼い顔立ちが不安そうに歪んでいる。
「調子はどうですか?」
「大丈夫だよ」
額の上のタオルを取り、額に手が置かれる。
ぺたりとした感触。冷たく、でもタオルよりは暖かい。
「……熱があるかわかりませんね」
「一時的に冷えてるからね」
苦笑しながら紅葉さんが手をどける。
そして小脇に抱えていたものを差し出した。
「……それは?」
タオルが巻かれた……なんだろう。
ゴムみたいに見えるけれど。
「氷枕というそうです。これに水と氷を入れて枕にするんだとか」
「……ああ」
そういえば、昔使ったことがある気もする。
子供の頃、風邪を引くたびに母が出してきて……氷の感触が微妙に痛かった思い出。
でも、そんなもの良く見つけたと思う。
あるのは知っていたけど、どこにあるかまでは知らなかった。
……どうやって探したんだろう。
「少し頭を上げてもらえますか? ……はい、大丈夫です」
頭を下げると懐かしい感触。
ゴロゴロとした氷を感じる。……しかし、記憶にあるほど痛くはなかった。
成長したからかもしれない。もしくは大人になって鈍くなったか。
「まだまだ治っていないようですから無理は禁物です。寝ていないといけませんよ?」
「ああ、うん」
「お手洗いに行きたいときは付き添いますから」
「……」
そこまでしてもらわなくても、と思うけれど、紅葉さんは本気の顔をしている。
「いいですね?」
「……はい」
念押しされ、頷く。
……まあ、いいか。気を使ってもらって嬉しくないわけがないし。
◆
でも、誰かが傍にいてくれるというのは幸せなことなんだろうな。
そう紅葉さんが差し出すリンゴを齧りながら思う。
「どうですか?」
「美味しいよ」
正直に言うと、そのリンゴは季節外れで少し酸っぱかった。でもわざわざ言うことでもないし、心情を加味すれば十分美味しいとも思う。
なにせ、わざわざ近所の八百屋に急いで買いに行ったというのだから。
「はいあーん」
「……」
いい年してこれは恥ずかしい。
でも暖かいのも確かだった。心が暖かい。
「しっかり食べられるみたいで良かった。もし食べられなくなったら……」
「……」
紅葉さんの目に涙が浮かんでいることに気付く。
大げさなと思うものの、段々と分かって来た。
……紅葉さんは、今僕を通して誰かを見ている。
それが誰かは分からないし、もしかしたら朝言っていた『あの子』なのかもしれない。
――死んじゃいますよ。
朝、紅葉さんはそう言っていた。
それを考えると、この少しやりすぎともいえる看病の原因も分かってくる。
きっと紅葉さんは失ってしまったのだろう。
その誰かが風邪で弱っていき、食べられなくなっていったのを見ていたのかもしれない。
「熱は下がってきているんでしょうか……」
ペタペタと手が額に触れる。
柔らかい感触が少し心地いい。
「額じゃわかりにくいと思うから……体温計を」
「……たいおんけい?」
……なるほど、知らなかったのか。
妙に額にこだわっているなとは思っていたけれど。
「救急箱の……右、そう、それ」
「これですか?」
紅葉さんから受け取り、脇に差し込む。
興味深そうに覗き込んでくるのを見ながら、時間が経つのを待った。
「三十七度四分か」
音が鳴り、取り出すとそんな表示が読み取れる。
まあ、軽い風邪というくらいだろう。自覚症状もそこまで重くない。
「それはどれくらいの温度なのです?」
「少し熱があるくらいかな……」
体温について紅葉さんに説明していく。
基本が三十六度台で、少し熱がある位が三十七度台。高熱になってくると三十八度、九度になってくる、と。
もちろん僕は医者ではないので詳しくはないし、人によってはこれも変わってくるだろうけれど、今回は僕の体温を基準に話をした。
「では、そこまで重くはないのですか?」
「そうだね」
「よかった……」
すぐ近くにある紅葉さんの目がまた潤む。
そしてホッとしたように微笑んで――少し照れ臭い。
僕の体調なんて気にしてくれる人はいなかったから。
ただ、心配されているのを感じる。
「……でも、重くなかったとしても無理は禁物です。今日は寝ていて下さいね?」
「はい」
念押しされつつ、ベッドの上で過ごす。
それから、夜が更けて眠るまで、紅葉さんは僕の傍にいた。




