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猫と風邪の話


「……やってしまった」


 久しぶりに風邪を引いたようだ。

 やはりしばらく雨に打たれるのはまずかったか……。


「……はあ」


 病院は……いいかな。

 そこまで症状も重くないみたいだし。市販薬を飲んでいれば大丈夫だと思う。


 まあ、なってしまったものは仕方ないし。

 幸いそこまで酷くはない。これなら薬を飲んだら仕事にも――。


「――もう起きていますか?」


 コンコンというノックの音がした。

 そして紅葉さんの声。


 ……ふと、昨日のことが思い出される。

 少し気まずい。結局僕は紅葉さんの心配通りに風邪を引いてしまっているわけで。

 

「……ああ、うん、起きてるよ」

「入りますね」


 ガチャリと扉が開く。

 そして紅葉さんが心配そうな顔をして入って来た。


「体調はどうですか?」

「……その。ちょっと」


 言葉を濁していると、紅葉さんが近寄ってきて額に手を当てる。

 そして、目を大きく見開いた。


「熱があるではありませんか。もう、だから言ったのです。すぐに体を温めるようにと」

「その、すみません」


 言葉もない。全面的に紅葉さんが正しかった。

 もう、もう、と紅葉さんが怒っているのが申し訳ない。


「すぐにおかゆを作りますね。それと、薬は――」

「……下の救急箱に一応風邪薬が入ってるよ、ああいや僕が自分で行くから……」


 紅葉さんが走っていきそうだったのを引き留める。

 そこまで重症でもないし、それくらい自分でできる。


「ダメです、安静にしていてください」

「いや、でも……」

「ダメです」


 押し切られて布団に寝転ぶ。

 昨日から、紅葉さんの押しがとても強い気がした。


「寝ていてください。お手洗いの時は付き添いますから」

「はい」


 ……これ、今日仕事に行けるんだろうか。

 紅葉さんが部屋から出ていくのを見ながらそう思う。


「……そこまで重症じゃないんだけど」


 紅葉さんは風邪を妙に気にしている。

 なぜだろうと、少し疑問に思った。例の熱病のせいだろうか。でもあれは風邪じゃなかったはずだし……。


 



 ◆



「絶対にダメです」

「……」


 お粥と薬を持って帰って来た紅葉さんに仕事のことを切り出すとそんな返事が返って来た。真顔で目を見開いているのがとても怖い。


「死んじゃいますよ」

「いや、そんなおおげさな」


 風邪くらいで人はそうそう死なない。

 薬さえ飲んでいれば、そこまで気にすることではないと思う。


「風邪を舐めないで下さい。死ぬときはコロッと死ぬんですからね!」

「いや、まあ」


 それはそうだろうけど。

 しかし、そんなことは滅多にないわけで。

  

「百五十年前もそうでした。あの時も大丈夫と言って、あの子は――」


 ……あの子?


「――とにかく、絶対にダメです」


 コホン、と咳ばらいをして紅葉さんは僕に念押しをする。

 ……今のは、もしかして紅葉さんがここまで言う理由なんだろうか。 


「――」

 

 ――ふと、気付く。

 紅葉さんの目が少し潤んでいる。


「――もし、これだけ言っても、聞き分けが無いようなら――」


 そして、その目を見ていると――。

 あれ、なんだか紅葉さんの様子がおかしくなってきた。


「……あの、紅葉さん?」

「……なんでしょう」


 紅葉さんの瞳が少しずつ金色に変わっていく。

 おまけに段々瞳が縦長になってきて――。


 ――あ、これダメな奴では?

 背中がぞわぞわとして、生物としての本能が警鐘を鳴らしている感じ。


「……あの、その、仕事休もうと思います」

「………………本当ですね?」


 慌てて頷く。

 すると、僕の顔を金色の瞳がじっと見つめ――また少しずつ紅葉さんの目が元に戻っていった。


「……なら、良いのです」

「はい」

「安心しました」


 ほう、と、紅葉さんの表情が緩みいつもの笑顔に戻る。

 そしてポンと手を合わせ、

 

「さあ、ご飯にしましょう。おかゆを作りましたので」


 紅葉さんがいそいそと準備を始める。

 先程の雰囲気が噓だったみたいだ。


「はい、あーん」

「……」


 おかゆをスプーンで掬い、口に運ばれる。

 なんだか抵抗する気力もなく、言われるままに口を開けた。


「美味しいですか?」

「……あ、うん」


 そうですか、と、紅葉さんがニコニコ笑う。


 ……しかし、僕は一体何をされるところだったのか。

 相手が紅葉さんだし、そこまで酷いことにはならないだろうけど……少し気になった。


 

 ◆



 食後、会社に電話をする。

 すぐに上司に繋がり、風邪を引いたので休みたいという旨を伝えると、問題なく了解を得られた。


「お大事に」

「はい、ありがとうございます」


 その言葉を最期に電話が切れる。

 思わず体から力が抜けて、ベッドに倒れ込んだ。


 ……少し緊張していたのかもしれない。

 休みをもらう電話をしたのは初めてだったから。


「……はあ」


 繁忙期ではないのだから、必ず休みを取れるとは思っていた。

 休みを取るのは労働者の権利だし、うちの会社はその辺りを無視するようなブラックでもない。たとえ繁忙期だとしても体調不良が原因ならきっと休みをくれるだろう。


「……でも」


 ……それでも、これまでは体調が悪かったとしても会社を休んだことはなかった。

 今日の朝そうしようと思っていたように、薬を飲んで症状を誤魔化していた。


「……」


 休みを取ったら、何かが無くなりそうな気がしていたように思う。

 別に誰かに責められるわけでもないし、僕一人いなくなったところで問題なく会社は回っていくのに。


 真面目に働いていた。

 いや、真面目に働いていることで安心していたのかもしれない。僕みたいなはぐれ物でも、真面目でいるうちは社会に参加できている気がしていた。


 ……それしか取り柄が無かったからなのだろう。それしか人より頑張っていることが無かった。学生の頃から、表彰された経験は皆勤賞しかないのが僕だ。


「……」

「……お電話は終わりましたか?」


 紅葉さんが帰って来た。

 手には洗面器があり、そこにタオルが乗せられている。


「お休みはもらえましたか?」

「大丈夫だったよ」


 よかったと、紅葉さんが安心したように笑う。

 そして、ベッドの傍に座ると、僕の額に手を伸ばした。


「――」


 ぺたり、と小さくて冷たい感触が伝わってくる。

 少し熱を持った額に、その温度が心地よかった。


「まだ熱いですね。安静にしていないとダメですよ」

「……わかった」


 電話が終わって安心したからか、少し頭がボーとする。

 いや、もしかしたら薬が効いてきたのかもしれない。


「濡れたタオルを乗せますね」


 湿ったものが額に乗せられる。

 ……冷たくて気持ちがいい。


「眠るのですか? ではそれまで傍にいますね」


 頭を撫でられるような感触。

 それは少し恥ずかしい……などと思っているうちに意識が遠のいていった。

 


 

 

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