閑話 猫とスマホの話
実は、前々から必要なんじゃないかと思っていたものがある。
それを今回渡すことにした。
「紅葉さん、これを」
「あら、何ですか? これは?」
「スマホなんだけど……見たことない?」
この現代において、スマホの果たす役割はとても多い。
連絡先として使うのはもちろん、財布や地図などありとあらゆる機能を内包している。
少し街を歩けばそこかしこにスマホサービスの広告が並び、最近ではスマホが無いと入れない店まであるくらいだ。
なので、紅葉さんが現代社会について知ると言うのなら、どうしても避けられないものではないかと思う。
「……もしかして街で皆がいつも見ている板ですか?」
「そうそう、多分それ」
いつも見ているのならそれはおそらくスマホだろう。
紅葉さんが行く商店街でも同じはずだ。現代の人々は買い物のメモをスマホにし、紙のクーポンは廃れて電子化している。信号待ちの時間にスマホを見ている人なんてどこにでもいると思うし。
「これは一体何なのです?」
「……何かと言われると、電話とかパソコンとか色んなものが合体した物、かな」
なんなのかと聞かれると答えに困る。
最初は電話からスタートした物だと思うけど、今となっては電話として使うことの方が少ないだろう。かと言ってパソコンなのかというとそういう訳でもなく……改めて考えてみると難しい気がする。
「電話……なるほど、電話なのですか」
「うん、まあ……電話でもあるというか」
紅葉さんが手の中でスマホを触りながら観察する。
くるくると回しながら、ペタペタと手で確かめていた。
「若いですが、付喪神もついているのですね」
「あ、そうなんだ。僕が使ってたからかな」
何年か使っていたので、もしかしたら……と思っていたのだけど、本当にいたようだ。
新しい物を用意しようかとも思ったけど、付喪神のことを考えて押入れから出したのは正解だったようだ。
「それで使い方なんだけど……」
「あら、付喪神もいますし大丈夫です。私一人でなんとかいたしますわ?」
教えようかと思ったら、先回りして断られてしまった。
「……えっと……大丈夫? 結構難しいんだけど」
「大丈夫です。問題ありません」
胸を張って紅葉さんが断言する。
……まあ、そこまで言うのなら。
ちょっと不安な気もするけど、付喪神もいるし大丈夫なのかもしれない。
「常識や専門用語などならいざ知らず。電話の一つくらい大丈夫です。村長の家に電話が来た時も、私が一番に使えるようになったのですよ?」
「……村長の家……? 電話……?」
…………なんだかとても不安になって来た。
それっていったい何年前の話?
「あの、多分想像してるものとは全然……」
「任せてください。この家の電化製品だって教えてもらわなくても大丈夫だったでしょう?」
「…………まあ、それは」
確かに言われてみればそうだけれど。
……しかし、我が家にある物は昔ながらの旧型で単純なものばかりだ。なにせ付喪神が付くくらい昔からあるのだから。
「ちなみに、村長の電話っていつの話?」
「そうですね……結構最近ですよ。五十年位前でしょうか」
最近という言葉の概念が壊れそうだ。
「では少し触ってみますね。わざわざ用意していただいてありがとうございます」
「……うん」
紅葉さんがスマホ片手に去っていく。
……本当に大丈夫なんだろうか。
「……まあ、でも、紅葉さん結構器用だし」
この前のアイロンも動画を見たらすぐに使えるようになっていたし……コンセントを差して水を入れるだけの単純なタイプではあるけれど。
……
……
……
「……クレジットのデータは消してたよね……?」
確かに消したはずだ。それにウイルス対策ソフトもちゃんと入れてある。アップデートもさっきした。
……なので最悪の状態にはならないはず。多分。最近のスマホは子供にも持たせるからその辺りの対策はしっかりしてるはずだし……。
「……」
……それにしても、紅葉さん実はあんまり人を頼るの好きじゃないよね。
この十日と少しでなんとなくわかったけれど、そんな感じだ。
なんというか、極力自分一人でやろうとするタイプ。
迷惑をかけないように……みたいに思ってるんだろうけど……。
「……大丈夫かなあ」
……まあ、付喪神がついてるらしいし――。
――と、そうは思うものの、とても不安だった。
◆
三十分後。
部屋でパソコンを弄っていた僕は、ふと見覚えのある赤い色に気付いた。
「……」
換気のため半開きになっている扉の影。
その微妙な隙間から赤いものが見え隠れしている。
……紅葉さんだろうなあ。
なんとなく状況が読めてしまった。
少し安心する。
おかしなことになる前に僕のところに来てくれてよかった。
「紅葉さん?」
「………………に、にゃー」
なんだ猫か……いや猫だよ。紅葉さんは化け猫だ。
扉に近づき、開ける。
足元で猫の姿に戻った紅葉さんが丸まっていた。
……この姿、久しぶりに見たな。
「……紅葉さん」
「なーご」
廊下の隅に黒猫が移動する。
そしてその横の壁に何かが置かれていることの気付いた。
……スマホと……何かの紙?
拾って、折りたたまれたそれを開く。
……ごめんなさいと書いてあった。
「紅葉さん……」
「……ふふ、おばあちゃんが調子に乗ったらダメですね……」
声がどこか煤けている。
あと、猫の姿だから言葉を話すと違和感が酷い。
「笑ってくださいませ……愚かな猫と……」
「いやいや」
思ったよりダメージが大きそうだ。
体ごと壁にもたれかかっていて元気がない。
「迷惑をかけないようにと思って、もっと迷惑をかけるなんて間が抜けていますよね……」
「……大丈夫、誰にでもそういうことはあるよ」
誰だって、間違えることはある。
全てを完璧にこなせる人なんていないし、もし間違えない人がいたらそれは人ではない別の何かだろう。
勘違いして、間違えて。そんなこと良くあることでしかない。
だから大事なのは間違った後にどうするかということだ。
「ありがとう、紅葉さん」
「……?」
紅葉さんは間違いを認めて、僕のところに来てくれた。
言葉にするとたったそれだけのことかもしれない。でも実はそれが難しいのだと僕はよく知っている。
社会に出るとわかる。己のミスを認められない人のなんと多いことか。
「僕を頼ってくれてありがとう。いつもは僕が頼ってばかりだから、こういう時くらい僕に任せて欲しいな」
この十日間、僕は紅葉さんに縋りっぱなしだったかもしれない。
情けない僕は、紅葉さんの厚意にいつも甘えっぱなしだ。
……それに、家に帰ってきて『おかえり』と、そう言ってもらえることの嬉しさを僕は思い出したから。
「……許してくれるのですか?」
「許すも何も、最初から怒ってないよ」
そもそも、許さなければならないことをされていない。
教えようかと言って、大丈夫と言われただけだ。それだけでしかないのだから。
「そうだ、少し喉が渇いたからお茶が飲みたいな」
「……」
「お茶を飲みながら説明するよ。少し長くなりそうだから、何か摘まめるものもあると嬉しい」
猫の紅葉さんと目が合う。
金色の瞳が僕を見つめていた。
「……はい」
ポンと音がした。
煙が一瞬廊下に満ちて、すぐに消える。
その後には人の姿の紅葉さんが立っていた。
「その、すぐに準備いたしますね」
紅葉さんがチラチラとこちらを見ながら言う。
少し恥ずかしそうだ。猫の時とは違う、黒い瞳が泳いでいた。
◆
「そういえば、付喪神は?」
お茶を飲みつつ質問する。
少し気になっていた。そちらはどうなったのか。
「教えてくれなかったの?」
「……その、これについている子はまだ若いのです。だから自我が希薄というか……質問したことは教えてくれるのですが、質問していないことに関しては何も教えてくれないのです」
「……ああ」
なるほど、要するに昔のパソコンについていたイルカみたいな感じなのだろう。
融通が利かず、ヘルプページのはずなのに詳しい人じゃないと質問自体できない――みたいな。
そもそも、質問というのは質問できるだけの知識が無いと出来ないものだ。
幼稚園児に方程式の質問は出来ないように、それが何なのかが分かっていないと聞くべき内容すらわからない。
学校の授業の後、先生が質問は無いかと聞いたとき、授業を聞いていた人にしか質問は出来ない。机に突っ伏して寝ていた人に内容は分からないのだから。
「ちなみにどこまで分かった?」
「その、電源をつけるところまでは……」
つまり、何もわかっていないということだと思う。
では最初の最初、四角いアプリにタッチするところから始めたほうがいいかもしれない。
生前の母に教えたことがあるからわかる。
本当にわからない人は、画面に触れることすらためらうものだ。
「何と無しに、色んなことが出来ることは分かるのです。……しかし数が多すぎて、どうにもチカチカしていてよくわかりません」
年寄りには難しいです、と紅葉さんが言う。
年寄り……外見的には見えないけど。しかしそう言われると紅葉さんの実年齢が気になってきた。
……そういえば、これもいい機会かもしれない。
今聞いておかなければ、ずっと聞けないような気もする。失礼かもしれないとは思うが、すっと気になってことでもあった。
「………………その、紅葉さんて、今いくつ位?」
「……そうですねえ……三百は超えているはずですが」
「……」
「若作りで恥ずかしいです」
……最低でも千八百年代かあ。
気軽に帰ってきた言葉は、とても重い意味を持っていた。




