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《四》ハイパフォーマンス浮かれポンチ

 秋の日差しが乾いた大地を照らす。木枯らしが細かい砂を渦の如く巻き上げる。

 フランコは顔に吹き付ける砂を片腕で避けながら、目の前で戦闘態勢を取っている男を見据えた。

 鈍色の鎧を着込み、目線は兜でよく見えないが、こちらに向けた剣先からは揺るぎない自信が発せられていた。

 周囲は全方位から投げつけられる割れんばかりの叫声で塞がれている。


 何故俺はこんなことをしているのか。フランコは忌々しい記憶を改めて思い起こした。



「お前、何勝手に登録してんだよ!!」


 屋根裏部屋のような狭い部屋にフランコの声が響きわたる。

 足下に振動が伝わる。下宿の女将が箒で天井を突いたらしい。フランコは床を一度軽く踏み鳴らし謝意を示した。

 それも難しい程に部屋は散らかっていた。ジャックが雑貨ーその大半は何の役にも立たないものだったがーを買ってきては適当に置いておくためである。フランコの備え付け家具以外はほとんど何も無い部屋とは対極だった。

 

「まあまあ。そんな怒るなよ」


 ジャックはまるで意に介していない様子で、工具や部品だらけの机の上で義手のボルトを緩めていた。小遣い稼ぎに隣のアパートメントの男から修理を引き受けたものだ。


「あれだけ美味しい話があるなら乗らない手は無いだろう?闘技会に出るだけで報酬、成績によって追加報酬も貰える、なんて、さ。」

 

 義手側面のカバーを取り外し、内部の歯車を慎重に交換する。眉間に寄った皺とは対照的に、口元には笑みがこぼれている。


「フランコなら全勝も楽勝だろう?」


 ジャックは手を止め、破顔してフランコの方を向いた。本当に朝飯前だと思っている顔だった。

 

「俺たちの今の立場を忘れたのか?すぐに見つかってお縄になるぞ」


 フランコは気持ちを静めるために煙草を取り出した。箱の中の残りの本数を見て舌打ちが漏れる。

 口に咥えライターをポケットの中で探していると、口先の煙草が弾け飛んだ。

 ジャックが指で弾いた古ネジが持ち去ったらしい。

 

 「この部屋では禁煙」もう言い飽きたという顔でジャックが人差し指を突きだしている。


 上着のポケットから手を出し肩をすくめて見せると、ジャックは満足したように義手の方へ顔を戻した。


 「会場はエンドリヴァの第三都市だよ。仮にベルウッドの当局に見つかったとしても、どうこうすることは出来ないだろうさ」


 「帰ってくるときが問題なんだろうが。そもそもこの国をどうやって出るんだ。俺はまだしも市民タグの無いお前は…」


 その言葉を待っていたかのように、ジャックは銀のプレートを差し出した。

 フランコが手にとると、そこには日付と短い誓約文、そして大きく「公定旅証」の文字が彫られていた。貴族等が他国の人間を自国へ招待する際に、国境管理所での煩わしい手続きを省略するために招待客に送るものだ。所持者に関する全責任を発行主が負うことになる代わりに、協定国ならばどこへでもスムーズに行き来することができる。


「こんなもの…どこで手に入れたんだ?」

 目に見えてフランコが狼狽える。まるで代金を払わずに品物を抱えて外に出てしまった我が子を見る親のような表情だった。


「この前行ったビークイン男爵のご令嬢に貰ったんだよ」


 事も無げにジャックが答える。


「はぁ?そんなヤバい代物をか?」


 フランコの声が上擦る。ビークイン男爵の令嬢といえば、確かキャサリンと言ったか。自分は軽く挨拶したのみでまともに口さえ聞いていない。

 そういえば、前回仕事が終わった後は各々自由行動をしていた。自分が執事頭と軽口を叩いている間にこっそり逢瀬を果たし、公定旅証を貰える程に懇ろな仲になったというのか。

 恐ろしい。目の前の少年が急に得体の知れない怪物に思えてきた。


「そう言うわけだから、初めてのエンドリヴァ旅行を楽しもうよ」


 すっかり元通りになった義手の動作確認をしながらジャックが笑う。フランコはもう諦めて頷くことしかできなかった。




 地に伏した男を見据え、息を整える。

 意外とやれるじゃないか。自分を褒めながら、歓声の止まない闘技場を後にする。


 全く狂ってやがる。

 フランコは肉体の消耗以上の疲労感を覚えた。大きめのフードで隠した顔を、幅広のスタンドカラーに埋めつつ薄暗い入退場口を後にする。

 

 エンドリヴァ軍事連邦の西端、旧テルミナ領に位置するカント闘技場は正しく鋼鉄の檻だった。周囲を鉄骨で囲まれた巨大な擂り鉢は、優に50000人を超える観客を収容できる。観客の視線の先、蟻地獄の中央部にはそこだけ砂が敷かれた闘技スペースが設けられていた。

 元々は動物同士の戦いを上演する見世物小屋として建築されたものの時代の変遷と共に人間同士の力関係を示す場へと発展していった。

 鋼製筋骨及び義肢・代替臓器技術の目覚ましい発達により、人の体は簡単に取り替えが出来るものになった。それはとりもなおさず、人体の尊厳の凋落に他ならなかった。人々は富と名誉を得るためにこぞって自らの四肢を改造し、破壊しあった。


 また、大衆もそれを求めた。

 ドリーに関する技術の発達は人々に退屈をもたらした。無限のエネルギーと第二の筋骨格は、生かさず殺さずの活力を人に与えたのだ。

 大転換ではない。エネルギー革命には違いなかったが、人類が火を初めて見つけた時のような、劇的な変化は無かった。それでも市民の平均的な生活レベルは上がり、余暇を貪ることが出来る人間は増えた。これまで、自己に費やす時間など持てなかった人々が、ポッカリと穴の空いた時間と心の埋め合わせを闘技場に求めた。

 時間無制限、武器使用ありの過激な方向にルールがねじ曲がっていったのも当然の成り行きだった。


 フランコは灯りの疎らな闘技者通路を通り、控え室に戻った。この闘技場では、その日出場する闘技者一人一人に個室が設けられている。控え室とは名ばかりの牢屋のような様相の部屋は、意外にも興奮した闘技者を落ち着ける作用を持ち合わせていた。

 四方を白い壁に囲まれた小さな箱状の部屋を、中央上部に一つだけある光源が均一に照らしている。部屋の中にあるものは古い型のロッカーと椅子、大きな姿見のみだった。


 フランコはパイプを組み合わせただけの簡易な椅子に腰を下ろした。煌々と照らされた室内に一つ大きな影が落ちる。

 ジャックもここまで入室することは許されなかった。その点は安心だった。どんな形であれ、人と一戦交える際の顔を見せるのは気乗りしない。独りで、静かに、淡々とがフランコの信条だった。ジャックが居ては何一つ叶えられそうになかった。


 一戦目、体格はほぼ同等の剣闘士。初撃をかわし、返す腕で剣をはたき落とすと戦意喪失。


 二戦目、縦幅、横幅共に自分の二倍はあろうかと言う徒手格闘家。背後に回り首元への手刀で気絶。


 コアの作動は認められていたが、あえてするまでも無かった。なるほど、ジャックの言っていた通り、今のところ「楽勝」だった。

 こんなものか、とも思えた。カント闘技場の闘拳と言えば大陸中に名高い娯楽の一つだ。著名な闘技者は国内でのヒーロー扱いに留まらず、他国の新聞や雑誌をも飾る。

 先ほど戦った二人が前座であり、初心者であることを考慮しても甚だしい肩透かしであった。ジャックに強引に連れ込まれ、金のために拳を奮っているとはいえ、誰かと相対して力比べができることを仄かに期待していたのだ。



 頭上、はるか遠くから歓声が聞こえる。


「さて、と、そろそろ時間ですかな」


 消沈した気持ちを誤魔化すように独りごちる。フランコは重い腰を上げて再び暗い入退場口へと向かった。


 


 三度、砂の闘技場に降り立つ。初出場にも関わらず圧倒的な力を見せつけた謎のフード男ー会場は大歓声で彼を迎えた。

 フランコはフードを目深に直した。僅かな面映ゆさに心が疼く。

 年甲斐も無い、と情けなくなる。

 一方で、仕方がないさ、とも思う。

 陽向の歩き方など知らなかったのだ。教会の孤児院で生まれ育ち、運良く軍に拾われたと思ったら特務警察に回された。影の差した道ばかりを歩んできた。望まなかったためにその暗がりに落ち込んだのか、自ら望んで寄り添ったのかは今のフランコにも分からなかった。ただ、これが自分の生き方なのだと確信はしていた。


 砂煙の先に人影が現れる。

 軽装だ。

 白い半袖のシャツにダボついた黒いズボン、払い下げ品の編み上げブーツ。特別恵まれた体格ではないが、鍛え込まれた筋肉の線が服の上からでも分かる。

 手には掌大の刃渡りのナイフ。


 構えは喧嘩慣れした素人にしか見えない。が、その振りが上手い輩はいくらでも見てきた。

 油断はしない。



 上段に構える。

 

 どちらともなく距離を詰める。


 一歩踏み込めば手の届く範囲に入る。


 砂煙が視覚を、歓声が聴覚を妨げる。ふと、誰もいない虚空に落ち込んだような感覚に陥る。


 瞬間、ナイフを握る拳が砂塵を破り現れる。すんでのところで半身になりかわす。すぐに左足の追撃が来るがこれも難なくはたき落とす。   

 間断無き連撃がフランコを襲う。


 問題ない。視える。


 フランコは全ての攻撃を視認した上で僅かなマージンを取ってかわし続けた。「相手の先を読む」などということは極力したくなかった。裏切られたときの代償は死そのもの、という環境がそうさせた。


 大振りになった右の上段蹴りをかわし、敵の死角に入る。がら空きになった背後に回り、手刀で正確に後頸部を撃ち抜く。

 ネジが切れた玩具のように、引き締まった身体が音も無く崩れ落ちる。


 地鳴りが会場を揺らす。歓声が渦となり、すり鉢の中心に立つ細身の男に降り注ぐ。

 

 フランコはずり落ちかけたフードを再び深く被った。傍に横たわる男に視線をやる。立ち上がる様子はない。

 

 そろそろ潮時だな。

 これ以上表舞台に立ち続けるのは不味い。リンウッドの手配がこちらまで回り、英雄気取りで会場を出たらその場で取り押さえられるなんてザマはごめんだった。

 加えて、ーー気持ちの面ではこちらの方が大きかったがーー陽向が恋しくなりつつある自分が怖くなった。幾千もの称賛をその身に浴び、不覚にも心が揺さぶられた。自分では無縁と思っていた場所に手が届くような幻想に捕らわれかけた。


 降り注ぐ轟音の五月雨をコートで受け流し、不意に湧いた希望を砂にふるい落とす。このまま控え室には戻らず、闘技場ロビーに戻ろう。その後は人混みに紛れて、闘技場を後にし約束の場所でジャックと落ち合う。出場した分の代金は前金で貰っているから問題はない。依頼主が期待していたであろう「賑やかし」の役目も十分果たせたはずだ。ジャックは文句を言うだろうが、観光を楽しめれば機嫌を直すだろう。それくらいの猶予はあるはずだ。

 考えをまとめながら、暗い入退場口へと歩みを進める。



 傍らで、幽かな音がした。

 

 反射的に身を翻す。視界の隅に俯せのまま片腕を擡げた男の姿が目に入る。


 間に合わなかった。そう頭に過った直後、太股に火を押し付けられたような熱が広がった。熱は肉を蝕むように広がり、激痛がそれを上書きしていく。

 受傷箇所を確認する。右の大腿上部から羽根突きの棒が不細工に伸びている。


 クロスボウか。


 肉の中に埋まった長さは人差し指一本分くらいだろうか。幸い、太い血管は外れている。


 再び男の方を見やる。驚いたことに男は立ち上がっていた。直立するのも厳しい様相だったが、必死に姿勢を直しフランコを見下ろしていた。右手首から折り畳み式のクロスボウが飛び出している。義肢の中に武器を仕込む者は珍しくもない。

 ナイフはブラフだったのだ。飛び道具は禁止のはずだが、その辺の裁量は客の様子を見るに盛り上がり次第のようだ。


 太股に力が入らず、膝が地に落ちる。

 油断した。気持ちが浮ついていた。俺はバカか。あの程度の歓声に上気しやがって。

 だが、このくらいなら問題はない。矢は体内で止まっているが、大した深さではない。毒の気配もない。ならば、矢はそのまま、コアを作動させて一瞬で終わらせてやる。


 フランコは上目遣いで様子を伺いながら、コアのキーを右手で探った。太股に居座っている灼熱の苦痛とは対照的に、背中を流れた脂汗はゾッとする程の冷気の糸を引いた。


 目の前の男の顔が憎しみで一段と歪む。


「瀉血機関の犬がっ!!」


 怒号と共に怒りに任せた拳が飛んでくる。

 視えていた。先程の戦闘中より格段に雑な打撃だ。

 しかし、身体が動くことを拒んだ。あまりに不意をつかれたからか、それとも贖罪の痛みを欲したのか、フランコには分からなかった。ただ、それまで完全な支配下に置いていた筋肉が反旗を翻したことだけは理解できた。


 瀉血機関ージャックと暮らし始めてから久しく聞いていなかった言葉。

 

 灰色の泥のような感情が腹の底から蘇ると同時に、視界が暗転した。

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