《三》Pop Meeting
今にも濁った滴が落ちてきそうな雲行きのアルガンティア皇国の首都ハーバートン。
サン・ヴァルフープ伯爵は流行遅れのシルクハットと大昔の医者が好んで用いた鳥を模した仮面で顔を覆い、濃い紫色のフロックコートを微かに揺らしながら技師会館の門を出た。門の前では一台のスチームカーが黒煙を吐き出しており、伯爵は狭い後部座席に細長い身体を押し込んだ。
「次は、えぇと、確かカウセラティ大学での講義だったかな。クルーク、どうだ?」
伯爵は固い座席に腰を落ち着けると、期待を込めた語調で運転席に投げかけた。
「残念ながら。夕方からはシャングリ・ラ・ホテルの予定でこざいます。」
執事兼運転手のクルーク・オスターグはハンドルを切りながら答えた。ガラス越しに母に手を牽かれ、歩道を歩く子供がこちらをじっと見ている姿が見切れる。
「シャングリ・ラ・ホテル、か。ということは、今日が会食の日だったか。」
伯爵は通り過ぎゆく少年に手を振るが、少年は呆けたような顔で車を追うだけだった。長い嘴から息を漏らしつつ、正面をむき直す。
「明日と勘違いしていたよ。全く、一人では予定の管理もままならんな」
車は家々の間を走る州道を走り抜け、スカイラインの入り口である坂道へ差し掛かっていた。堅牢な柱石の上に横たわるハイウェイはハーバートンからリンウッド共和国、ワイル聖教主国、エンドリヴァ軍事連邦までを街の上空で繋いでいた。道の脇には空蒸気の線路が敷設されており、大勢の市民を同じルートで運んでいる。
人を圧倒するように両脇に迫っていた街並みが、急速に眼下へと離れていく。車体が地面と水平に戻る頃には、赤みを増しつつある太陽の下に霞がかった山々が見えるほどの高度に達していた。
この200年、人は進歩し続けた。その結果がこの石と鋼で出来た要塞都市である。人々の生活は豊かになり、飢餓や疾病にも打ち勝ちつつある。しかし、果たして、本当に人類は正しい方向に進んでいるのだろうか…。この景色を見る度にそんなほの暗い感情が静かに沸き起こる。
深い赤に染められた重厚な都市の上を滑りながら、ヴァルフープは束の間のうたた寝に沈んだ。
シャングリ・ラ・ホテルはアルガンティアの南端、深い森で囲まれた小高い丘の上に位置する。皇族の別荘地として建築されたが、その後市民に払い下げられ300年の間改築と修繕を繰り返しながら大陸中の権力者の憩いの場として機能していた。
長い山道を抜けてシャングリ・ラ・ホテルに着くと、クルークは市民タグを受付に示した。物腰穏やかなベテランのホテルマンの案内を受け、荘厳なつくりのエレベーターに乗り、二人は最上階のVIPラウンジへと入った。
ラウンジ内には既に三人の先客がいた。リンウッド共和国国務副大臣ジェイク・ライオネル、ワイル聖教主国長官代行カーリー・マクマホン、エンドリヴァ軍事連邦陸軍総括ホルンガム・ハイドラスキーの三人は各々適度な距離を保ちつつ時間を潰していた。
ジェイクはヴァルフープに気が付くと、満面の笑みを湛えて誰よりも早く歩み寄った。橙の髪色に薄い色素、ハリのある赤ら顔はようやく中年に入ったばかりといった風情だが、その笑顔には好好爺じみた老練さを纏っていた。
「やあやあ、お久しぶりですな、ヴァルフープ伯。」
その後ろからカーリーが椅子から立ち上がり、均整のとれた所作でゆっくりと近づいてくる。輝く銀髪、透き通るような肌、理想的な曲線と直線が描く外見に、鋭利なナイフのような視線がヴァルフープを刺す。
「お招きいただき光栄です、伯爵」
二人の挨拶から一息置いて、ホルンガムが軍人らしい実直さと驕慢さを漂わせながら、悠然と立ち上がる。短い黒髪、猛獣のような瞳、厚く頑強な体、まさに軍人の理想の体現と呼べる姿形をしている。
「ヴァルフープ伯、相変わらずお元気そうで何よりです」
「いつものことながら、諸兄にはご足労いただき申し訳ない。ところで…」
ヴァルフープは言葉を切って、部屋を見渡した。
「彼はまだですよ、全くいつものことながら…」
引き取ったジェイクが肩をすくめる。
「どうせすぐに来ますよ、ほら」
言い終わるが早いか、ラウンジの正面にある大きな振り子時計から銅鑼を叩いたかのような音が響く。
同時に、朱塗りのエレベータードアが重々しく開き、一人の青年が入ってくる。口元には親しみ深さと不敵さを併せ持つ笑みが絶えず、丁寧な庭師の仕事の如く刈り込まれた口髭が傘を差す。アルガンティア人特有の大海のさざ波を思わせる大きな瞳、古びた血を思わせるくすんだ赤い髪は見る者の目を否が応でも引く。
「相変わらず君たちは早いな、まぁその律儀さも嫌いじゃないけどさ」
アルガンティア皇国公務卿サイファー・チェンブラッドは先客達をゆっくりと一瞥すると、ヴァルフープに向き直った。
「お久しぶりです。ヴァルフープ伯」
魅惑的な、絶対の自信を内に秘めた笑みがこぼれた。
四大国の有力者を集めたこの会合の起源は、ドリーの発見当時まで遡る。
200年前、田舎の小貴族であった若き研究者ルイ・マッケンベリー現サン・ヴァルフープ伯ーの元に、奇妙な生物が持ち込まれた。ヴァルフープ邸に出入りしていた商人が偶然発見し、話の種になるだろうと生け捕りにして運び込んだのである。
掌程の大きさで苔色をしたアメーバ状のその生物は、当初ルイの興味をさして引くものではなかった。当時、ルイは内燃機関の小型化に関する研究を進めており、何の役に立つのか分からない奇怪な生命体にかかずらっている暇は無かったのだ。ドリーとだけ名付けられた後は、しばらく研究室の片隅に捨て置かれた。
しかし、研究の合間の慰みとしてこの生物を弄りはじめると、彼はすぐにこの生物の恐ろしさに気付く。本流の研究を放り出し、考えられうる限りのあらゆる実験を行うと、この生物に係る代表的な特性として以下の発見を発表した。
1.適切な環境下、特定の刺激下に見られる高速かつ半永久的な分裂反応。
2.分裂時に見られる哺乳類の身体機能に影響を及ぼす微少物質の放出反応。
3.分裂直後の個体における反応性の著しい上昇。
ドリーの奇妙な生態のうち、特に人々の注目を集めたのはその反応性の高さー特に分裂直後の個体において顕著ーにあった。高圧下に置くことにより、自然着火し燃焼を始めるのである。尚且つ、本体は半永久的に分裂を繰り返すことができる。
どこから分裂にかかるエネルギーを調達しているのかはルイにも不明だったが、その特性は「無限のエネルギー」として持て囃された。
ルイは自前の工学知識を総動員し、ドリーを燃料として用いた種々の機械を発案した。大型の掘削機器から次世代型のスチームカーまでその内容は多岐に渡った。その中でも歴史に残る彼の傑作が「コアー鋼製筋骨システム」であった。
ルイは初め、ドリーを内包した円筒状の容器を胸部に埋め込み、心血管系と連結した「コアシステム」を開発した。外部に露出したキーシリンダーにキーを差し込むことで、円筒内部が高圧状態となり、ドリーの分裂が活性化され、放出物質を効率よく全身組織へと運ぶことができる。好きなときに、自分をパワーアップできるのである。
しかしながら、本機構には大きな欠点が二つあった。分裂したドリーの処理、及び微少物質が惹起する身体機能の増強が強すぎる点である。特に後者は大きな問題であり、筋力増強に加え、闘争本能の強化、痛覚麻痺の効果等が合いまって、自身の身体、特に関節や骨組織への不可逆的な傷害を受ける被験者が後を立たなかった。
ドリーから放出される微少物質の制御は難しいと考えたルイは、人体の耐久性を上げる方向で改善策を示した。すなわち、全身に軽量の鋼で出来た第二の筋骨格系を構築することで、人体の負担を軽減しようと考えたのである。
それに留まらず、小型の内燃機関で分裂したドリーを燃焼させ、鋼製の筋骨格系を稼働させるエネルギーとすることで、無限に増えるドリーの処理と人間の身体能力の飛躍的な向上の両立を図った。
こうして、現在まで続く「コアー鋼製筋骨システム」の基礎が出来上がった。
しかし、ルイはこの発明と前後して、あることを恐れ始める。
軍事的利用の可能性である。
小型軽量な半永久的エネルギー、身体機能の拡張、人間の闘争本能の喚起。
純粋な科学的好奇心から研究開発を進めてきたルイは、この生物が持つ軍事的価値の高さに気づき青ざめた。自分の預かり知らぬところで兵器としての利用がなされること、そしてそれが人類にとって破滅的な争いを引き起こすことを彼は予見した。
当時、ルイの居住地であったアルガンティア皇国の周辺には無数の小国がひしめき合い、小競り合いを繰り返していた。彼は急ぎ自身の持ちうるだけの伝手を使って、近隣諸国の有力な貴族に連絡を取った。国政に影響を与えられるだけの力を持ち、かつ平和主義的思想の人間を探し出すためである。
ルイは一人一人と顔を合わせ、親交を深めつつ、慎重に慎重に吟味した。この発見を人類のために役立てることを心から賛同してくれる人間を。
そしてルイは遂に、7人の貴族を運命共同体として選んだ。アルガンティア皇国、ベルウッド共和国、ワイル聖教主国の前身である小ウィード国、聖アルドット公国、エンドリヴァ軍事連邦の前身であるアイレン国、ブラグリット国、ヴォランテ君主国から権力者を選りすぐったのである。
彼らは自身らを、根城にしていたホテルに因み「シャングリ・ラ秘密同盟」と称した。
ルイと共同研究者数名、加えて7人の貴族は秘密裏の会合を重ね、水面下で調整を進めた。
ドリーに関する研究・開発・製造・販売の透明化、軍事応用の禁止等を定めた国際条約を締結するためである。
彼らの尽力の甲斐あり、星歴1950年に「ゲルン議定書」が採択された。
多くの国が批准したこの議定書は、それから170年以上に渡ってドリーに関する技術発展に正しく寄与した。
その間、シャングリ・ラ秘密同盟は構成員の交代を繰り返し、情報交換や外交上の折衝を続けた。各国の要人で構成されたこの組織は、ドリーに関わる案件以外にも幅広い分野で影響力を行使してきたのである。
「しかし、我々は失敗した」
組んだ手に額を押しつけたヴァルフープ、は嘴に隠した口元から言葉を漏らした。
「もう10年になるか…軍部の暴走を止めることができなかった。諸兄の先達が大変な努力をしてくれたのは私もよく知るところだ。しかし…」
「あなたのせいではありませんよ。それにこの会合があったからこそ、戦火は最小に抑えられたのです。」
ジェイクが慰めるように反論する。
「三年戦争…もう二度とあのような惨劇は繰り返しません」
カーリーが目を閉じ、頷く。
「しかし、どうしたものか。一時期は10人以上もいたこの集いも、今ではたったの4人だ」
ホルンガムが腕を組み、独りごちるように呟く。
しばしの沈黙が卓を支配する。
「全く、君達は贅沢だなぁ。」
サイファーが愉快極まりない様子で沈黙を破る。
「四大国の頂点付近に位置する人間がそろいもそろって泣き言とはね。今日はこのあと21時には自室にいる予定なんだ。早く仕事を済ませよう」
彼なりの気遣いと考え、ヴァルフープは頷いた。静かに鞄から書類の束を取り出すと、目を落とし話し始めた。
「それでは、議題に入ろうか。まずは北方戦線の件で…」
穏やかに夜が更けていく中、世界を憂いる重鎮達は静かにこの世の果てを語り明かした。