-4 仲直り
【── 恐ろしき二番目 ──】
怪物は私達を捉える。
逃げる私達と追う怪物。悪魔の牙が建物を砕き咬む。天井の塵が落ちていく。
右に左に。息を切らして走っていく。立ち止まればすぐに怪物の腹の中だ。
頭の中にある廊下の地図は頼りにならなかった。ここまでピカソに夢中でついていった。そのせいか、道なりを記憶する間もなくついてしまった。あやふやな地図を見て、不安が募っていく。背後の怪物がさらに不安を煽ぐ。
確りとした地図を持ついじめっ子三人は先早に逃げてもう見えなくなっていた。
怯えながら走る男の子、懐に隠している食べ物を食べながら走る明、と私の三人は何とか食われずに逃げ続けていた。
反対側を走る二つの影。怪物を見るといなや立ち止まった。
「はやくお逃げになりなさい。ここは何とか先生が食い止めます」
二人の先生の傍を通り過ぎる。担任のきっぱりとした声が頼もしさを醸し出す。二人の姿が眩く輝いて見えた。
走りながら振り返り、二人の有志を見届けようとしていた。
「何でしょう、あの変な生き物。とにかく危険極まりなさそうです。様子見はできなさそうで、攻撃していくしかないですね」
「ですね。一気に攻めて丁度良い」
強い一撃が放たれるが、攻撃は怪物をすり抜ける。
男の先生の近くにハンダコテやなんやらが現れ、それらが怪物に向かって進む。そのまま怪物の体をすり抜けて天井へとぶつかった。
怪物には魔法も道具もすり抜けるみたいだ。
二人が勝つことを祈りながら走っていく。徐々に距離もあけてきた。
野生の攻撃が飛んでくる。その攻撃は私達を狙っているようだった。
「羅生門」と叫ばれた後、本物の京都にある門が目の前に現れ、怪物を止めようとする。だが、瞬きした時には木っ端微塵となっていた。
離れていた距離も一瞬でつめられる。
思いっきり前に飛び込むことで攻撃を回避したが、その時に二手に別れてしまった。床が砕かれ合流はできない。
「生きて、逃げ切って、後で会おう」
もう合流は諦めて逃げ切るしかない。
「うん。そうだみ。この子と一緒に逃げ切ってみせるみ」
彼女達は先の廊下を進んでいった。
私も目の前に広がる道を進んで逃げ切るだけだ。
廊下にできた穴など巨大な生物には意味がなかった。穴を抜けた怪物は明ではなく私を狙ってきた。
また怪物との生死をかけた鬼ごっこが始まった。
牙が食らった天井や壁、床は粉々に砕けて塵となる。
息切れが激しい。そんなに進んではいないのに、体感的には県をまたぐほど走った感覚に陥る。目線は落ちていく。走れば走るほど足に鉛のついた足枷がつけられていく。
駄目だ。もう絶望という底なし沼に片足を突っ込んでしまった。
バランスを崩した天井が塵を落とす。その塵が近くに落ちる。
そして、外れた天井が落下してきた。その下には私がいる。見上げると、すぐに死の圧力が襲いかかってきた。
本能が瞼を閉じさせる。暗闇の中で感覚を尖らせる。
人間の腕の温もり。腕が私を飛ばした。床に衝突して体に痛みが走る。
誰かに強く抱きしめられている。
疲労のせいで足は下半身はもう動かせない。上半身は優しくも強い腕の支えも相まって何とか体勢を維持していた。
重い瞼を開き、状況を確認する。触れていたのは砂だった。
「大丈夫か、雨音。俺がきたからには絶対ぇ守ってみせる。だから、心の底から安心しろ」
【── ヘルベロスを知る者 ──】
荒々しい腕が私を守るように伸ばされる。
鋭い眼光が怪物を睨んでいた。
その時に気づいてしまった。砂は武器を持っていないことに。
「待って。教科書はどうしたの」
「急いで来たから持ってきてねぇ。俺のパワーで捩じ伏せてやる」
いや、駄目だ。攻撃がすり抜ける映像が流れていた。
「戦っちゃ駄目。今すぐ逃げて」
「いや、なんでだよ」
「あいつに攻撃は効かないの。すり抜けるから」
牙が近づいてくる。体と体が触れ合い、地面を回っていく。彼の突発的な行動で何とか回避した。
「ちっ、マジかよ。お前、歩けるか」
足を動かそうとも錘が邪魔で動かせない。仕方なく首を横に振った。
「仕方ねぇ、おんぶするから確り掴まっとけよ」
腕が彼の首の周りに持っていかれる。太腿を押し上げられた。私の身は彼に委ねられた。
恥ずかしさはない。あるのは悔しい気持ちだけ。こんな時に何にもできない自分が悔やまれる。
走る振動が伝わる。荒々しくなっていく呼吸が伝わってくる。
彼の首元に額を当てて目を瞑る。私には祈ることしかできなかった。
すぐ後ろにはものが破壊される音が聞こえる。
命懸けの状況だった。全ては砂にかかっている。
振動とは違う足音が聞こえる。聞こえてからすぐ後に、彼は立ち止まった。
「間に合った。これ持ってきたよ」
「サンキューな。これで俺も戦える」
目を開けた。
そこには虎に乗った雪斗がいた。
「すまねぇ、雨音を頼む」
「任せて。僕の能力なら逃げ切れるしね」
その声はまさしく晴だった。私は彼の元に預けられた。
怪物は相変わらず牙をギラギラに輝かせていた。
「相手が生き物じゃなきゃ、これで終わるはずだ」
ペラペラと捲られていく。
ターゲットが怪物を捉えた。
"敵《enemy》"
一瞬にして獣は消えた。その時の衝撃が風となって吹き荒れる。
荒風は恐怖の鬼ごっこの終わりをもたらした。
良かった。心の中で感服していた。
争い後の穏やかな空気。その中で疑問が放たれていた。それは、私も感じていたことだった。
「さっき、生き物じゃなきゃ終わるって言ってたけど、生き物だったら終わらなかったの?」
「まあな。俺の魔法は、人間とか生き物を消せねぇんだ。そんな最強じゃない。だから、さっきのアレが魔法で変化した動物だったら、効果がなかったって訳だ」
なるほど。あの怪物が純度百パーセントの魔法だったからこそ、消せたという訳だ。
そこに一つの矛盾が生じる。
魔法使いとなった日に、砂は……。
「えっ、けど私達が魔法使いになった日に人を殺したんじゃ……」
「だから、そりゃ勘違いだって」
もしかしたら、本当に私の勘違いだったのかも知れない。
穏やかな輪の中に一人の先生がやってきた。
「すごいよ。まさか、あのヘルベロスを倒すなんてね。君達は優秀だ」
魔法の先生だった。
彼は万遍の笑みを浮かべながら拍手で称えていたのだった。
【── 仲直り ──】
ヘルベロスの暴走は危機感を煽ぐ出来事だった。
怪我をしてもしなくてもその場に居合わせた私達は保健室に集められた。
関わった生徒九名は全員無傷、先生二人は骨折程度で命に別状はなかった。無事に生きて今ここにいる。なだらかな空気に身を委ねた。
だがしかし、その中にも不穏な空気が身を潜めていた。この学校にはバリアが張られている。そのバリアは外部からの魔法を受け付けない。つまり、ヘルベロスを召喚もしくは創り出した者がこの学校にいるのだ。
保健室では不穏な空気は穏やかな空気に押し出されていた。
簡易的な検査をし、一通り無事を確認された私達は寮へ帰宅することになった。
帰り際に砂を呼び止める。
謝らないといけないことがあった。
「ずっと勘違いしてた。人殺しだなんて言ってごめん」
だが、間違えたのは彼の言い方が悪かったのも一理ある。彼はまず自分の名前を名乗った後、真犯人が人を殺害したという現状を述べた。そして、自分の魔法について話した。その後、一緒に真犯人と戦わないかと言おうとした所、気が早まった私が話を遮り、雪斗の登場で捻れた。
ようやく誤解を解いた。
彼への印象がガラッと変わっていた。
あっさりと「気にすんな」と返される。
勝手に仲直りした感触に陥っている。新たな旅路を淡い夕焼け色が照らしていた。