Ⅸ 弓
お久しぶりです。
刃を研いでいるとアランが牧を割り終えたのだろう、こちらへ話しかけて来た。
「ダランさん・・・」
「あぁ、牧を割り終えたのか。少し待っててくれ、仕事はまだあるからな」
「いやそれもそうなんですけど」
何か言いたいらしい。
「今日先輩達がやたら多い荷物を持ってギルドを出て行ったんですけど何か知っていますか?」
「ディックさんの事かい?」
「はい」
やはり朝の冒険者達の事か。
仕事が無いという二人にヤック鳥の話をするのは、二人は自分の実力を見極められたと分かってはいても気が引ける。
ずっと座りっぱなしで腰が痛くなってきたので一度立ち上がった。
「ふぅ、彼らは少し面倒で時間のかかる仕事に行っているよ。あと四日程で帰ってくる筈だからその時は話を聞いてみると良い」
「はい、それで仕事は・・・」
どうやらそこまで興味は無かった様だ。
「君は狩りは出来るかね」
「鹿なんかのですか?」
頷く。
「・・・いえ、襲いかかってくる熊なんかの猛獣の類は経験があるんですけど、そういった大人しいのはやった事無いです」
「よろしい。では、狩りの仕方を教えよう。まぁ、今日の所は手本を見せるだけだけどね」
「・・・はいっ!」
わしはアランを引き連れ、納屋から弓を取り出す。
森に入る頃にはいつの間にかプリュムがついてきてきた。
「私も良いですか?」
「構わんよ」
道を外れ、急勾配を降り、動物が集まる沢の近くの茂みに身を潜める。
ゆっくりと臭いを草木に馴染ませていくと、やがて丁度良さそうな一頭の鹿が沢の水を求めて姿を現した。
「・・・お手本を見せよう」
息を静かに吐きながら矢(木製)を番え、引き絞る。
視覚、聴覚、触覚。
情報をあらゆる感覚を駆使して集めて狙いを定める。
肺の空気が抜けきれる前に矢を放った。
飛び出した矢は水を飲み終え、移動を始めた鹿の眼球を捉え、頭を貫いた。
「おぉっ!」
アランが興奮気味に視線を向けて来るが、わしは彼を宥める。
「あまり声を立てるものではない。血の匂いが広まってしまう前に拾いに行こうか」
わしは仕留めた鹿を担ぐと一旦コテージへ戻ると、吊るし上げ、血抜きをする。
そしてわしは大事な事を聞いていなかったことに気付いた。
「そういえば、二人は弓を使えたかね?」
二人は首を横に振った。
「・・・私は少し使えるけど、鹿みたいな動きの読み辛い動物は無理だし、アランは使ったすら無いと思う」
「では練習する所からだ。だが君達の使えそうな弓が無いから、結局は数日後となってしまうな」
「ダランさんの弓は使えないんですか?」
「試してみるかい?」
「はいっ」
「・・・」
微かな音に目を向けてみると、プリュムが小さく笑っていた。
彼女にもアランがわしの弓を使うのは無理だと分かるらしい。
それでも弓を使ったことのある人間ならば分かることなのだが。
「うぉぉぉぉぉっ!」
アランが血管を浮かび上がらせ全力で弓を引くが、少しは引けたものの、矢を放てるという段階までは引く事が出来ない。
それもその筈。
十五より騎士団に入団し、五十歳の退役するその時まで肉体を鍛え上げ、今も簡単なトレーニングを続けるわし用に作ってある弓だ。
十や二十そこらの若造に扱える張りの強さではない。
「っ無理ぃ・・・」
諦めて弓を手放したアランが問いかけてきた。
「ダランさんは剣もそこらの人達より断然使えるのに、どうして弓も使うんですか?」
「・・・出来て損をする事なんて無いさ」
わしの入っていた騎士団では、剣に長ける者は剣の訓練、弓に長ける者は弓の訓練、そして、魔術に長ける者は魔術の訓練のみを行う。
その方が作戦を立て易いし、指示を出しやすいからだ。
剣しか訓練しない事に関して何ら疑問を抱いていなかったわしが力不足を感じたのは騎士団に入り一年と半年程経った時。
とある盗賊団の征伐任務だった。
その盗賊団は数こそ少ないものの、剣、弓、槍、魔術。様々な技術を習得した盗賊達は臨機応変と表してもなお余りある柔軟性で常に最適な動きをしていて、包囲を突破され逃がしてしまったのだ。
騎士は己が訓練を受けた一つの役割しか果たす事はない。
当時の先輩達や教官はそれで良いのだと私を諭したが、わしは無理を言える程の武功を挙げ、様々な訓練に励んだ。
予想はしていたが、掛け持ちするからと言ってそれぞれの訓練が易しくなる訳ではない。
それまで以上に大変な毎日だったが、同じくらい充実した毎日であったと思う。
「・・・おじいさん、おじいさんっ!」
つい昔の思い出に浸っていると、プリュムがわしの体を揺さぶった。
尤も、その力でわしの体が揺れる事は無かったのだが。
「さっき、弓を作るから訓練は暫く後になるって言ってたけどおじいさん、今忙しいでしょ?」
「まぁね、けど約束は守るし安心してくれていいよ」
わしの言葉にプリュムは首を振った。
「そうじゃなくて、弓を私に作らせて欲しいの。私の故郷は狩りが活発だったから弓を作るのは女の仕事、おじいさん何かと忙しそうだったしアランと私の弓を作るのは任せて」
「・・・そこまで言うのなら任せようかな」
「期待しててよ」
日も落ちかけた頃、未だ挑戦を続けるアランを横目にプリュムは微笑んでいた。