第四話 夢を見る。
少しグロテスクな表現が夢の途中にあります。ご注意ください。
※レオニスとスピカの言葉を少し変更しました。
※改稿しました。(内容に大きな変化はありません。)10/19
雲ひとつない空が夕焼け色に染まる王都マルカの城下町。
買い物客で埋まる、大きな路地を通り過ぎた辺りには、三本のまだ幼げな影が道端に伸びていた。
「リオンはもうお母さんのこと大丈夫なのか?」
冗談抜きで心配そうな顔を覗かしている、こいつの名前はレオニス。
金髪のツンツンヘアーのうえに、吊り目なのも相まってタチの悪いガキにしか見えないが、本当は信じられないくらいに優しい奴なのだ。(ただし喧嘩は強い)
「……あぁ多分、もう大丈夫だよ」
この日は母さんが死んでからちょうど十日が経った頃だったのだが、まだ幼げな俺には当然心の整理などついているはずもなかった。
「リーオーン!元気出してって!」
そう言って背後から抱きついてきた女の子の名は『スピカ』。
桃色の髪に、背丈が標準より随分小さい見た目は、小動物のような雰囲気を醸し出している。
別に抱きつかれようと、特に問題は無いんだけど。その、さ…………
「なぁ、リオンは恥ずかしがり屋なんだから、止めてあげなよスピカ」
「お、おいレオニス!それどういう意味だよ!?」
「うーん?こういう意味?」
そう言ってから、スピカは素早く俺の横に回り込み、つま先を立てて身長を合わせようとする。
それとほぼ同じタイミングで不意に訪れた頬が柔らかいモノに当たる感触。
こ、こここ、これはまさか……?
「うわ、赤くなってるぅー。はいこれ私のファーストキスだからねー?大切にしてね!」
「────え?ええええぇぇぇえ!!!!」
レオニスまで驚いたら収拾がつかなくなるからほんとにやばいって!!
よく、幼い時期というのは覚えていないことの方が多いと耳にする。
けれど、夕焼けを背景にしたスピカのはにかんだ笑顔は、今でも鮮明に覚えている。
いや、忘れられないと言った方が正確だろうか?
そんなこんなで、この日も他愛ない城下町探険は終わりを告げ、それぞれの家に帰る事になった。
その道半ばでも話は続いていく。
「俺さぁ、実は明日から魔術士になる為の勉強をしなくちゃならないんだよね。それがちょっと面倒でさー」
「え、そうなのか?でも何だかんだで俺も親に勉強しろ!って言われてるからな」
「そうなの?それじゃあ私もパパとママに勉強教えてもらおうっと」
そこでレオニスがあることをパッと思いついたようで、意気揚々と話し始めた。
「そしたらさ、誰が一番凄い魔術士になれるか勝負しないか?」
「よし、そういうことなら俺が絶対一番になるからな!」
「わ、私だって負けないもーん!」
「よーし、じゃあ約束の言葉はみんな分かるな?せーの……」
「「「神に誓いを!!」」」
あまり意味も分からない絵本に書いてあった約束の言葉をしっかりと交わし、互いに手を繋いだ。
それから俺達は、悩みなど何も無いような笑い顔を浮かべてそれぞれの家路に散っていく。
────その、はずだったんだ。
ことが起きたのは、ほんの数秒後だった。
乾き切った血のような、どす黒い炎が城下町一帯を無慈悲に焼き尽くし、それに合わせるようにして悲鳴や泣き声がそこら中に響いていた。
そして俺達はというと、今も明らかに異常な速さで広がりつつある炎の海から逃げるため、どこに繋がるのかすら分からない道を必死に駆け抜けていた。
炎の侵食をくぐり抜けるように、一寸先は闇である細道を走り続けた。
走って、走り続けて────
────なんで、こうなった?
「リオン、お前だけでも、行くんだ……」
「リオン、行っていいんだよ?」
レオニス、お前は何でいつもいつも人の事ばっかり考えられるんだ?こんな時くらい、自分のことも労わってやったらいいのに。
スピカ、どうしてそんな熱くて痛くて苦しそうなのに、俺の方を見て笑ってるんだ?
しかも、そのことになんの不満もないような顔をして。
なんで、この状況で二人は助けを求めないんだ?なんでその代わりに、「逃げていい」なんていう言葉が出てくるんだ?
────────酷い、苦しい、悔しい。
「誰か居ないのか!?誰だっていいんだよ!なぁ…………誰か」
誰かに助けを求めようと、声が枯れるまで叫びながら夜の暗闇に覆い尽くされた街を見渡した。
だが、結果的にその「誰か」とかいう救世主はいつまで経っても現れない。
そして、揺らめくどす黒い炎によって瞬間的に照らされる周囲には、恐らく逃げることが出来なかったのだろう大小様々な焼死体が多数、そして今も増え続けている。
その目を伏せたくなる惨状に思わず身体が、否、心そのものが震えてしまう。
この臆病者め──。
だから、俺は二人を残して逃げたんだ。
今この瞬間、理不尽を起こした人物に対する怒りよりも、この燃えた世界にただ独り存在するという恐怖の方が勝ったのだ。
それはまるで、押される力に無抵抗で流されるように。それが必然で、当然で、さも間違っていないかのように。
卑怯者が──。
真っ暗で真っ赤な焼け焦げの世界を走った。言ってしまえば敵前逃亡した負け犬のように、ひたすらに走り続けた。
ただ、背後を振り返ることなど、もう出来ないことだけは明白だった。
お前の罪は消えない。絶対に。
この感覚はなんだろうか?心臓だけがとても冷たい。死に至る寸前の感覚というのはこういうものなのだろうか?
ごめん、レオニス、スピカ。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん、なさい。
謝っても、意味がないんだよ。
もうすべてが、遅いんだから。
でも、俺は────。
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「リオン様、おはようございます。冷や汗と震えが凄いですが大丈夫ですか?」
「うぉ!あ、うん。大丈夫だよ」
俺も寝起きでベラの顔がすごく近くにあってびっくりしているが、ベラの方も俺が飛び起きるとは思っていなかったらしく、やっぱり驚いているようだ。
なんか、久しぶりにやってやった感があって気持ちいいかもしれない。
「それにしても久しぶりに見たな。あの夢……」
俺はベラから貰ったタオルで、顔から垂れそうな冷や汗を綺麗に拭き取りながら、自分の心臓の音を聞いて物思いに耽った。
あれは俺がちょうど母さんが亡くなった少し後に起きた『災厄の日』と呼ばれる犯人未逮捕大事件の時の記憶だ。
正直あの日の光景がふと蘇って、頭から離れなくなる時もある。
でも、それでもあんな悪夢の中でさえも、鮮明にあの二人の顔を見れたのは嬉しいことであるはずだ。
本当に?
今でもまだ頭の中でぼんやりと浮かぶ、二人のまだ幼くて優しい笑顔。
それをまだ忘れていないことに、少しホッとした自分が居る。
大丈夫、大丈夫だ……しっかりしろ、俺。
俺は、速やかにローブを羽織ることで、夢の杞憂を無理矢理に振り払った。
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「気を付けていってらっしゃいませ。リオン様」
「分かってるよベラ、行ってきます」
起きてから暫く経った所で、俺は父さんの家系が代々受け継いできた図書館のような役目も果たしている書店、ルックウット書店に足を運んでいた。
「失礼します。アンブローズ・リオンです」
中に入って少し大きめな声で来たことを知らせる。同時に入店を知らせるベルも、心地良い音を奏でていた。
久しぶりにここに来たけど、俺の好きな古い本独特の匂いは相変わらず健在だった。
この匂いを嗅ぐと無性に本が読みたくなるので、勉強なんかにはうってつけの空間だったことを思い出す。
そうしてしばらく本の匂いを堪能していると、本がぎっしりと敷き詰められた本棚のそのまた奥から、誰かがのそのそと歩いてきた。
「アイツの息子か、何の用だ?」
この一句ごとに棘のあるような話し方をする男は、『アンブローズ・ネデラ』だ。
俺の父さんの実の弟なのだが、自分には才能が無かったのに兄の父さんが魔術士として有名になったことに嫉妬していて、その息子の俺にも何かとあたりが強いのだ。
でも、そのお陰で忙しい父さんの代わりにこの本屋を任されてお金も貰っているわけだから、そんなに文句は言えないと思う。
「その、勉強の為に貸してほしい本がありまして。父さんには許可を得ているので、探して持っていってもよろしいでしょうか?」
「ふんっ、勝手にしろ。だいたい本くらいアイツに買ってもらえばいいんじゃないのか?まったく、貴族の真似して普段は質素に。とかアレの考えそうなことだな……」
わざと聞こえるようにしてある嫌味の数々を華麗にスルーして、経済学の参考書などを探し始めた。
「よし、これでいいか」
そして、勉強するために必要な本を両手で沢山抱えてそのまま屋敷に帰ろうとすると、なぜかすごい形相でネデラおじさんに睨まれた。
「おい……そんなに本を借りて行くのなら銀貨二枚置いてけ」
「え?父さんには好きにしていいって言われたのでお金は持ってきてないんですけど……」
この世界には銅貨、銀貨、金貨、白金貨の貨幣があり、銅貨四枚で銀貨一枚、銀貨十二枚で金貨一枚、金貨百枚で白金貨という価値の概念がある。
ちなみにその中で銀貨二枚というのは、平民で言うところの高級な宿に泊まり、ご飯も朝昼晩の三食しっかり食べられるほどの値段である。
当然、ただ本を借りる為に払う金額ではない。
「ふざけるなよ!お前らだけが金を払わなくていいわけがないだろうが!無賃で本を借りようとした罰として、お前には地下部屋の整理を行ってもらう。わかったか!?」
「……はい」
結果を言うと、本来ならこの書店の所有者である父さんの意向の方が上だと思うんだけど一方的に怒鳴られてしまった。なんかもう面倒くさいし、いっか。
「今から俺は勉強しなくちゃいけないんだぞ?それが、何やってんだか……」
俺は、ネデラおじさんに聞こえないように小声でそう言いながら、ため息をつくのだった。