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第十九話 道標。




「…………んぁ?」


「……そろそろ喉が乾き切った頃でしょう?そこにある水を飲むといいわ」


 不意にカガリが右側を指さす。


 確かにその指差す方向の先には、透き通った綺麗そうな水が見えた。もしかしてあれが「純粋無垢な水」かもと考えたが、直感的に違う感じがする。


「あーっ、えっとその、ありがとうカガリ。すごく喉乾いてたんだよな」


「…………試練の内容を忘れちゃダメよ」



 何の話だろう?と思いながら飲み水が湧いている場所に向かって歩き出す。



 ――砂の上を歩くのにもだいぶ慣れてきた。できるだけ足が砂に沈まないよう、意識して。



 ――進むだけ。直進するだけ。目的地は歩数が楽に数えられる程度。あれ、何か分からないけど気分が悪い気がする……



「着かない……というか」


 咄嗟に振り向くが、そこにカガリは当然立っていない。


 ――唐突に訪れる、強烈なデジャヴ感。


 そう、このあと周りを探してもどこにもカガリは居らず、さっきまであったオアシスの代わりに立っているのは、


「――はじめまして、俺とは違う道を歩むアンブローズ・リオン」

「あぁ、はじめまして……ではなかったりするかも」


 だいぶ見た目に変化はあるものの、やはり成長した俺自身だった。


「俺はお前の幻影、脳内でお前が暑さにやられて勝手に創った陽炎だ。『本当は存在しない自分自身』だと思ってくれていい」


 伸びた身長、違う髪型、俺が身につけたくて仕方のなかった魔術師協会の刺繍が施された立派なローブ。


 一度戦ってみて分かったこと――彼はその出で立ちに似合った実力を持つ、正真正銘の魔術士であるということだ。


 そして前回の記憶と明らかに変わっている点、それはカガリの放った一言だ。


 ――試練の内容を忘れるな。


 忘れてはならない試練の内容は勿論、「純粋無垢な水を一滴飲む」である。

 実を言うと、しっかり戦いに夢中になっていて普通に忘れていたとか言えない。


「ひとつ聞きたいんだけど、俺とお前が戦う意味ってある?」

「なんだ?俺にビビってるのか?まぁ俺には勝てるわけ……?」


 そこで理由を言わない彼はつまり、俺がこの試練を遂行出来ないようにするための仕掛けの一つであるはずだ。


 それならば――、


「宣言する。俺はお前と戦わない。別に俺はお前と戦う為にここに来たわけじゃないからな」


 正面切っての戦闘拒否宣言。陽炎は顔を歪めて俺を煽ってくる。


「……あぁ、またお前は逃げるのか?いつもいつも――」


 嫌味をひとつ言った陽炎は特に俺を奇襲するような動作はない。

 ――だが、こいつの前から去る前に、これだけは言っておきたいと思う。


「なぁ、別の道を辿ったもう一人の俺。いいわけかもしれないけど、俺は別に逃げたっていいと思う。魔術が使えない俺でも……いや、だからこそ、それで色々学んだんだよ」


 今の今まで意地悪い表情しか浮かべていなかったはずの陽炎が、何故か突然ホッとしたような顔をしている。

 こっちの方が素の表情っぽいけど、俺っていつもこんな顔なのか?なんか迫力がないというか……


「はぁ……腐っても俺は俺ってところかな。さぁ行くんだ。太陽のある方向へ」


 そう言った彼はその存在自体がゆらゆらと揺らめいて、そのまま呆気なく消えてしまった。


「まぁ、できれば勝ちたかったけどな」


 ――さて。


 「純粋無垢な水を一滴」に辿り着くにはまず、その「案内人」であるカガリを見つけないとダメな気がする。

 そしてその唯一の道しるべというのは、ただ太陽に向かって歩けというなんの確証も無い言葉だけである。困ったもんだ。


「とりあえず、暑いな……」


 他のことに思考を使わなくなったせいか、砂漠の茹だるような暑さがまた戻ってきている。


 汗が出てきて気持ち悪い……喉が乾いた……?


「そういえば試してなかったな。自分の汗と涙……」


 そう、「水」であればその全てに可能性があるということ。それがたとえ自分のものであっても。


「まずは汗。うーん、塩味……」


 何も起きません。はい次。


「涙、出ない……いや、瞬きしなければ……あっ、なんか涙も熱くなってるんだけど」


 何も起きません。次は鼻水っていう選択肢があるけど、やめとくか……


「これはさすがに馬鹿だった……というか、そういえば!」


 そう、思い出した。さっきまでカガリと肩を並べて歩いていた方向も、「太陽のある方向」だったはず。ならばその通りに歩いていけば、やっぱり何かあるかもしれない。


「――それじゃあ、歩くか」


 一歩一歩を踏みしめて歩いていく俺。


 一人でも歩く、暑くても歩く、脚が痛くても歩く、喉が渇いても歩く、視界が歪んでも歩く。歩いて行く。



 ――太陽は徐々に傾き、大いなる砂漠の大地に喰われるように沈んでいく。


「まだか、まだ辿り着かないのか?」


 脚が動かなくなった。なら這ってでも進もう。水分という水分が身体から無くなり、もう汗も涙も出なくなった。


 ――何故だろう、もう少しな気がするのにもう身体が動かない。


 そもそもなんで俺はこんなに頑張っているのだろう。ただ魔術が使えないというだけで悩んで、落ち込んで、それでもここまで来て――、もういいんじゃない?


「……もう十分よ、あなたはよくやったわ。もういいじゃない――」


 誰かが俺のことを優しい言葉で傷付ける。


 ――やめてくれ、俺は誰かに褒めてもらいたくてここまで来たんじゃないんだ。


 耳元で囁かれた一つの言葉が毒のように身体中を駆け巡る。

 そう、このままその瞼を閉じてしまえば全てが終わる。そのことが無自覚に肌で感じられた。


「もう、終わりに――しない?」


 …………だめだ、だめだだめだ。ここで諦めたら俺の今まではなんだったんだ!?もうここで諦めたら皆には一生追いつけやしないんだぞ!


 胸の中の焦燥感が、止まらない。今更になってなんだと言うのか――、


「何よりも、ボクには見えるんだ。その背中を……みんなが押している姿がね────!」


 師匠がいつか放った言葉が急に蘇る。


 そうか、そういう事だったのか師匠!この胸の中の燻りは――――、


「父さん、ベラ、師匠、エイル、テミスさん、ハンゾウ先輩やシードのみんな、レオニス、スピカ……!」


 みんなの名前を呼ぶ度に、心の中にある思い出が頭に過ぎり、ありとあらゆる感情が溢れ出してくる。


 それに合わせるように身体の中が燃えるように熱くなって、ぼやけていた視界が澄み渡っていく。


「こんなところで……終わってられるかぁぁぁあ!!!」


 体力とか、精神力とか、理屈じゃない、そんな何かによって俺は身体を起き上がらせていた。


 あと一歩、あと一歩踏み出すことで何かが変わる。そんな気がする。所詮は自己満足かもしれない、それでも――、




 その覚束ない足を、一歩前へ。




 「――――瞞しに囚われることなく、他人を信じて灼熱の中を一人彷徨う勇気と判断力、そして自分の意思を貫こうとする強い意志。しかと見届けました」


 先程まで確かに一人で砂漠に立っていたはず、それなのに何故か右隣から畏まった時のカガリの声がして、そっちを見ると確かにそこにカガリは立っていて。


「カガリ、なんで……」


「なんでって言われてもアタイは腐っても「案内人」なのよ?ずっと隣で見てたに決まってるじゃない」


 そう言われると確かにそうかも、なんて思ってしまうのは疲れで頭が回転していないからか。


「まぁいいわ。『フェニックスの分霊』またの名をカガリは、アンブローズ・リオンを契約者と認める――ほら、手、出しなさいよ」


「え……」


 え?はっ?はぁー!?カガリがフェニックスの分霊!?

 そういうことか!ようやく繋がったぞ!だからあの恥ずかしがり屋(笑)は「女子には優しくしろ」なんて言ってたのか!


「もう焦れったいわねっ!!そのまま二分くらい動くな!」


「いやちょっと、おい」


 カガリが無理矢理俺の手を握って、そのままの姿勢で固まっているのだが、この状況はなんだ?


「今出そうだから待っとけ!ほら、もう目がうるうるしてきた……」


「おいちょっと待ってカガリ、それはもう試したし、何なら飲んだぞ!?」


 まさか、こんなことがあっていいのか……「純粋無垢」とはかけ離れたこいつの涙を飲むだと!?


「……今絶対ふざけたこと考えたわね!もー!つべこべ言わずに飲みなさい!アタイにも羞恥心はあるのっ!!」


 俺の掌にぽつんと落とされた一粒の涙、それが青い結晶のようになっているのが見えた瞬間、カガリによって無理矢理手を口に持っていかれる。


「ちょ、心の準備が……あ」

 

 飲み込んだ瞬間、熱い。身体が熱くて仕方がない、でもそれは周囲を燃やし尽くすような暴力的なものではなく、静かに鼓動する炎のような感覚。


 それから、ほんの少しだけの背徳感もある。

 別に目覚めたわけじゃないから、こういうのはもう勘弁して欲しいところだけど……


「はぁ〜、これで契約は完了ね。そんで、アンタがアタイを使役することで発動できるのは『蒼炎の火魔法』よ。」


「……うん」


「うん。じゃないわよ全く!いい?私達の炎は「選択したものだけを燃やし尽くす」っていう、上手く使いこなせるようになれば滅茶苦茶に強いものなの……って人の話聞きなさいよ!」


 魔術の素質がほぼないことを知ってから、とりあえずここまで辿り着いた。


 ――正直、感動して泣きそうで声が出ない……


「もうしょうがないなぁアンタは!ほら、この世界はもう終わるわ。その前に一緒に魔法を使ってみるのよ!詠唱も最初はした方がいいだろうから、アタイが合わせてあげる!」


 今の今まで全く気にしていなかったが、あれだけ暑かった砂漠が、夜になって逆に寒い。

 だけど景色は中々だ、月も綺麗だし。


「分かったよ、カガリ。それじゃあ――せぇの」


 そうだな、やっぱり初心は忘れるべからず。だよな――――、




「「炎よ、燃え上がれ」」




 掌に現れたのは自分が想像した通りの大きさの、蒼炎と言うよりは……そうだな?青紫色のような美しい炎だった。



「そ、その……試練ではいきなり居なくなって……」


「いいんだ、いいんだよカガリ。カガリは俺をちゃんと導いてくれたから」


「そ、そっか……なら良かったよ。これからもよろしくなリオンッ!へへっ」


 へぇー。普段は怒ってばっかだけど、ちゃんと笑えるんだな……そのせいで、不覚にも可愛いと思ってしまった。





 ――真っ暗な世界の上に輝く誰かに創られた朧月よりも、不意な誰かの笑顔の方が綺麗とか反則……いや、当たり前か。


 そんなどうでもいいことを考えていたら、いつまの間にか強烈な眠気が……



「困ったらアタイの名前を迷わず呼ぶのよっ!

 ギャフンと言わせてやるんだからっ――――!」




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