歌を忘れたジャズメン
僕は『歌うことを忘れたピアニスト』と呼ばれている御調慧。
ピアニストとしてデビューした当時に受けた心の傷が原因で、心を許した人間以外と話すことは出来なくなった。そんな僕だけど、今は6人の優しい仲間に囲まれて生きている。
「おっ、御調さんが来た」
「いらっしゃい~。そしたら飲みに行こうよ、御崎の驕りで」
「え? 俺かよ!?」
「だってあんたがリーダーでしょ?」
「それに飲み会の言いだしっぺはお前じゃないか」
「あははは」
グループ最年長である僕が気を遣わないように、いろいろと回してくれているのが分かる。
申し訳ないなと思う。テレビに出ても、ラジオに出ても、僕はその人に心を許せないから言葉として話せない。
僕たちの仕事は喋ってナンボ。もともとバンドだけど、ギャグもやってるから仕方ない。
テレビカメラを前にすると表情がこわばって、声が出なくなってしまう僕にみんなが優しくしてくれるのがありがたくて申し訳なくて。
―――何回も、このグループからの脱退を考えたことがある。
このまま僕が加入していても、役に立たない、むしろ足を引っ張るだけなのは明確だから。
リーダーの御崎には言いづらい内容だったから、僕たちと御崎の間を取り持つ女房役・坂城に相談した。
「御調さん、辞めちゃうの?」
「僕がこのまま居ても、絶対に足を引っ張る」
「そんなことないよ。御崎も同じことを言うと思う」
「そうかな……」
「あまり難しく考えないでくれよ。大丈夫。俺たちは御調さんと仲間だから」
それを聞いたとき、前のグループのメンバーのことを思い出して少し苦しくなった。
前のグループのメンバーたちも俺にそう言った。けれど、最後は呆気なく裏切られたと思う。リーダーの置かれた状況的に許されなかったにしても、もう少し僕や他のメンバーに話してくれてもよかったのに。
「御調さん、大丈夫?」
「……うん。ちょっと後ろ向きになっちゃってるな」
「きっと御調さんの中ではすごく悩んだんだと思うよ? 気にしないでいいよ」
「ありがとう。御崎には『辞めたい』って言いづらくてさ。ごめんな」
「大丈夫、そのための俺だから」
そう言って豪快に笑う坂城には本当に救われてる。
俺は御崎と性格の不一致を理由にときどきぶつかるからな……あいつは、普段は優しいけれど、もともとワンマンタイプのリーダーだから他メンバーとは衝突も多い。それをうまくまとめているのが坂城だった。
「あ、あのさ……」
僕はもう一つだけ気になっていることを坂城から聞き出そうとした。
―――けれど。
「御調さん……」
そこに御崎が入ってきて『席をはずしてほしい』と言ったことで、いやな予感がした。
僕への不満を言ってくるんじゃないかと。不安で動けなくなっている僕を、偶然通りかかったという安成が連れ出してくれた。
「大丈夫ですか?」
「……うん、多分……」
心配をかけたくはなかった。でも、感情は不安定で過呼吸発作の寸前まで追い込まれている。
そのとき、御崎の怒鳴り声が聞こえてきた。
「あいつ、毎回毎回腹立つんだよ! 自分一人でやってるような気になりやがって!」
「落ち着け、御崎。ここは局の控え室だからな? 下手に喋ったら聞かれてるぞ」
僕のことを言っている。
反射的にそう思った。もう限界だった。目の前がにじむと同時に過呼吸の発作が起きて、僕の体は何度もけいれんする。
「御調さん! 過呼吸だ……誰か、袋を!」
「は? 御調さん!? 大丈夫か!?」
「だからでかい声は出すなって言っただろ、御崎!」
助けて! 助けて!
何度も叫ぶあの日の自分の声が聞こえて―――僕の名前を呼んでいる3人の声を遠くに聞きながら、僕は意識を手放した。
「―――」
あれからどのくらい経ったのか。目覚めたときには、僕はベッドに横たわっていた。
隣には氏原が居て、僕のかばんに入っていたであろう本を読んでいた。
「御調さん、起きた?」
「…………」
声が出せなくなっていて、小さく頷いた。どうやらあの怒鳴り声で過去のトラウマを引っ張り出されたみたいだ。
僕は情けないなぁと思いながら天井を見つめていた。
「御調さんに言っておくけど……御崎が怒鳴ったのは構成作家の信ちゃんのことで、御調さんのことじゃないんだよ?」
「…………」
構成作家の信ちゃんといえば、僕たちのデビューからお世話になっている子だ。
とんだ勘違いってわけか。なんだか恥ずかしい。
でも、御崎が名前を出さないもんだから勘違いしてしまったよ。信ちゃんも僕と一緒で我が強いんだな。だからよくぶつかるんだ。でも、お互いに認め合っていて仲はいいけどね。
「御調さん!」
「―――!?」
「わっ! びっくりしたぁ……御崎、入るなら穏やかに扉開けろよ」
毎回思うけど御崎はどうやって僕たちのことを調べてるんだろう……。
そう思っているといきなり頭を下げられた。
「ごめん、御調さん。昔のこと思い出させて」
「……ぁ、大丈夫……」
少し詰まったけれど何とか声も出ているし、大丈夫だと思う。
それでもリーダーとしてメンバーを不安にさせた罪悪感があるのか、ちょっと泣きそう。
「御調さんが大丈夫だって言ってるんだから泣くなよー。お前、もうすぐ40だろ」
「うるせぇよ。お前は俺より……」
「3つ上だからな? 言っとくぞ?」
御崎よりも年下のメンバーって、安成と上原だけじゃなかったかな?
年上の4人のメンバーを差し置いてリーダーに名乗り出たんだから、こいつの度胸はすごいと思う。
僕はその様子と考えたことに思わず笑ってしまって、2人から『何で笑うの?』と逆に問われた。内緒とは言ったけど、多分伝わってるよな……。
まぁ、いいか。
その日は結局1日入院ということになって、僕の仲間たちは押すな押すなと大騒ぎ。
看護師さんから怒られるほどひどかったけど、彼らが居るからもうちょっとだけ頑張ろうと思えた。迷惑をかけないために、脱退を考える気持ちは今も変わらない。でも今だけは……彼らを頼ってもいいかなって思うから。