11話 過去
私は虐待を受けていた。
学校にはもちろん行かせてもらえず食事は豚の餌みたいなものが二日に一回あるかないか。
当然の事ながら虐待には暴力もあった。
頬を叩かれ背中を鞭で打たれたりならまだいい方だ。
硫酸で腹を焼かれたりナイフで足の肉を剥がれたりするような事まで平然と行われた。
それらを何度も
何度も――
何度も――
もちろん泣いても止まる事はない。
時にはそれだけではない。
ナイフを片手に犬や猫を殺させたりもした。
それらは段々とエスカレートして次第には人になった。
そして最終的には拷問をしたりもした。
そんな事を何度も繰り返し私は段々と人としての良識が欠如していった。
気づいた時には人を殺す事に一切の抵抗がなかった。
しかし悲劇は何時か終わるもの。
ある日私のこんな生活にピリオドが打たれたのだ。
ある女性が私を助けてくれた。
名前は青井白愛
通称“暗殺姫”
私が彼女に会ったのは十六の時だった。
彼女との出会いは私を大きく変えた。
彼女はいきなり私の家に入ってきた。
そして彼女は眉一つ動かさず私の育ての親を殺していった。
しかし不思議なことに殺意は湧かない。
それどころか感謝さえ覚えた。
それとその時の彼女はとても綺麗だった。
もしかしたら彼女の存在は私の夢かもしれない。
それで、死体が散乱する部屋の中で私は彼女に最後の希望を託すように声をかけた。
「……あなたは?」
「ただの兵器です」
彼女はそう言った。
その時に私は親密感を覚えた。
「名前は?」
「そんなものはありません」
とても不思議だ。
彼女は一体どこから来たのだろう?
そして何故私の元に?
思い切って聞いてみることにした。
「どうして私のところに?」
「そういう任務です。貴方様の面倒見ろと。それなので貴方様を虐める方を処分しました」
こんな事を誰が依頼したのだろうか?
まぁなんでもいい。
「……青井白愛。それからはそう名乗りなさい」
「……意味は?」
「名字は適当よ。名前はあなたの存在が私にはとても白く見えたから白。愛は語呂が良かったからよ」
「分かりました」
それから程なく白愛は私のメイドとなった。
白愛がメイドになった時に私は全て知った。
神崎家の秘密や私が虐待を受ける事になった経緯も。
全てを知る事となった。
私には本当のお父さんがいて私は存在を隠すためにあの人達に預けられたらしい。
そして今まで育ててきた人達はヤクザと言われる人達だった。
虐待されるのは目に見えている。
でも私は生かすためには仕方なかった。
そう思いながら本当のお父さんは私を預けたそうだ。
そしてある日お父さんは暗殺姫……
すなわち彼女を見つけた。
それで彼女に私の救出を依頼して現在に至る。
「……白愛」
「はい」
「私に教えて。勉強に常識。それに自衛の術も……」
「分かりました。」
それからの日々とっても楽しかった。
私は色々な技術を身につけた。
もう誰にも奪われないために……
そして私は白愛に恋をした。
――しかし半年程経ったある日に事件は起きた。
「すみません海様。私は一週間後に貴方様から離れます」
白愛が離れてしまう。
それが私にはとても信じられなかった。
体から力が抜け落ちる。
「……どう……して?」
「神崎空さんの話はしましたよね?」
「……うん」
聞いたことがある。
私のお兄様に当たる人だ。
彼が父親と旅行中に偶然、暗殺姫を見つけてそれから神崎家と彼女に繋がりができたとか。
「始めて見たその日から私の脳裏から離れないのです。多分それは恋なんだと思います」
……もうやめて。
……これ以上言わないで。
「だから私はこれから空様に仕えさせていただきます」
そうなのね。
やっぱり行っちゃうのね。
私の前が真っ暗になった。
私はなんのために色々と勉強した?
それは奪われないためだ。
しかし“空”という顔も知らない兄に全て奪われた。
「大丈夫です。私と入れ替わりで本当のお父様が来るので」
「……うん」
違う。
そうじゃない。
私にはあなたがいて欲しいの。
でも声には出せなかった。
それから間もなく私の元に本当のお父様が来た。
お父様はとても優しかった。
そんな日常の中で突如脳裏に浮かぶ。
私の兄である神崎空。
考えてみれば彼は虐待も受ける事なく健やかにお父さんの愛情を受けて育ったのだ。
性別が違うという理由だけでそこまで優遇された。
そして彼は平穏な生活では満足せず私の白愛すら取っていった。
どこまで私を不幸にすれば気が済むんだ!
もしも私が男でお前が女だったら……
私はこの時に私からすべて奪った兄への復讐を決めた。
今度は私がすべて奪ってやる!
私と同じ苦しみを……!
そうと決めてから私がお兄様の元まで行くのにそこから時間はあまりかからなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
俺は海の話を聞いた。
海の話は同情せざるおえないものだった。
だからと言って白愛を渡すわけではない。
「辛かったんだな」
「……他人事みたいに言わないでください」
おそらく何を言っても第三者でしかない俺の言葉は他人事になってしまう。
それともう一つ伝えなければならない。
「でも、俺はお前の復讐を受ける気はない」
「……ふざけないでくださいッ!!!」
海が涙を流して叫んだ。
海の感情が初めて露わになった。
お前にも感情があったんだな。
いや、白愛のお陰で感情を得たのか。
たしかに復讐をうけるつもりはない。
でもな――
「俺はお前の復讐を止めやしない。気が済むまで俺に復讐しろ。その度に俺はお前の正面からお前の復讐を失敗させてみせる」
それが今の俺に出来る精一杯の事だ。
俺は死にたいわけではない。
でも海をそのまま放っておくつもりは毛頭ない。
俺は海も救う。
目の前で苦しんでる人を見なかった事には出来ない。
「……後悔しますよ?」
海の涙が止まり声が少しだけ優しくなった。
その声は今まで聞いた海の声の中で一番好きだ。
こんなにも優しい声を出せるじゃないか。
「妹の想いを受け止められなくて何が兄だ」
こんな可愛い妹の想いぐらい受け止める。
それが殺意であろうと憎悪であろうと。
「分かりました。全身全霊を賭けてお兄様の全てを奪いましょう。たった今それが私の存在意義となりました」
海がそう高らかに宣言する。
でも最初の時とは違う。
最初の宣言には憎悪しかなかった。
でも今の宣言には敬意を感じる。
海は俺を少しだけ認めてくれたのだ。
「では私は一足先に教室に戻りますね」
「あぁ」
「それとそこに隠れてる方。この事は私達兄妹の関係なので他言無用でお願いします」
やっぱり隠れている人物に海も気づくか。
まぁ気配が隠しきれてないし海なら分かるか。
そして隠れてた人物。
桃花が出てきた。
「……他言無用ね」
「えぇ」
「それをするメリットは?」
桃花がそう答える。
ぶっちゃけ桃花が誰にも言わないメリットはない。
「あなたがお兄様を好きなのは知ってます。もしもそれを言ったらお兄様はどう思うでしょう?」
海がそう告げる。
まだ少しだけ高圧的だがそれでこそ海だ。
そしてもしそれをバラまいたら俺は快く思わないだろう。
それを海は理解している。
「そうだね。神崎君も了承してるみたいだしいいわよ」
そして桃花もそれを理解している。
「それじゃあ今度こそ教室に戻るね。それと海ちゃん。私はエニグマの関係者よ」
その瞬間、海の表情が少しだけ変わった。
まるで面をくらったかのように。
「……貴方。もしかしてわざと気配を隠さなかったのではありませんか?」
海の問いかけに桃花は何も答えない。
その代わりに右手を振った。
まるでご想像にお任せしますと言いたげに。
そして桃花は教室に戻っていった。
一体エニグマとはなんなんだ?
「……随分と面白い事になってますね。それじゃあ行きましょうか」
しかし俺の疑惑は確信になった。
間違いなく桃花はこちら側の人間だ。
桃花は神崎家の能力みたいな事情にも精通している。
「……エニグマって何なんだ?」
「まだその段階ですか。その様子じゃ“使徒”についても知らなそうですね。まぁ時が来たら分かりますよ」
使徒という新しいワード。
もしかしたら世界の本質を俺はまったく知らないのではないか……
それから俺達は特に話すこと無く教室に戻った。