冬の寒さ
四人家族と一人分の食器を洗う背中から笑い声がする。
伯母一家の明るい笑い声。家族団欒に相応しい声を聞きながら、食器についた泡を洗い流して水切りに並べる。
「ね、ね、パパ! 冬休みにどこか連れて行ってよ! 暖かいところがいいなぁ、沖縄とか! 台湾なら直ぐ行って帰って来れるしさ」
「そうだな……冬はそんなに休みが取れないからなあ。ママの実家にも顔を出さないといかんしな」
「じゃあ、実家の父と母を誘って温泉旅行とかどうかしら?」
「いいじゃん。温泉でもエステてやってるし、スパとか流行っているし」
だいたいの水気が切れた茶碗や皿を、清潔な布巾で
拭いて食器棚にしまう。
シンク周辺も片づけ、三角コーナーのゴミを捨て、蛇口周りまで掃除したら終了。明日の朝食とお弁当の仕込みは、伯母一家が夕食を食べている間にやっておいたので、団欒に近い場所に私は居るべきじゃない。
「しょうがないな。じゃあおばあちゃん達と温泉にでもいくか」
「やったぁ! パパ大好きー!」
冬の家族旅行を話し合う伯母一家の会話が途切れるタイミングを見計らい、後片付けが終わったことを告げると、伯母はそれまでの笑顔を引っ込めて頷くだけだった。
それは部屋に戻っていいという合図。
私は頭を下げて2階の部屋に行く。
異分子である私が去り、階段に足をかけた途端に笑い声が復活した。
この家には、私の居場所がない。
私は異分子で、厄介もので、邪魔な存在だ。
どこに行こうとも、旅行なんて私には関係のない話だし。
小学生のころまでは伯母一家の家族旅行にも一緒に連れていかれた。
旅行中に小学生が独りで留守番とか、世間体が悪かったからだろう。
旅行先で私はどこかに座っているだけだった。映画なら近くのショッピングモールのベンチで、テーマパークなら伯母一家が中で遊んでいる間は入場ゲートの近くて散歩、温泉なら内風呂、そんな感じだ。
正直、中学生になってから独りで留守番ができるようになったときは嬉しかった。
だって伯母たちの幸せを見なくて済むから。
砂糖や甘い味を最初から知らなければ、お菓子を欲しがったりしないように、目の前の楽しさを見て指を咥えなくて済む。
留守番するようになってから、伯母たちが旅行で居ない間は自室のドアに、自分の名前を書いた薄紙を貼り付けていく。
私が勝手に部屋の中を物色しない為の用心だそう。ドアを開ければ薄紙が破けるから、破けていたら私が部屋に入って泥棒した証拠になるからって。
そんなことしないと言っても、泥棒の子は信用ならないと聞き入れて貰えなかった。
でも旅行の間は気楽だ。
確認のために伯母が不意打ちで電話してくるから、なかなか出かけることはできないけど、少なくとも伯母たちが旅行の間は一人で安心して過ごせるから。
ドアに鈴を着けなくていいんだもん。
……去年あたりから伯父が偶然を装って風呂の扉を開けるようになったんだ。
間違えたわりにすぐには扉を閉めてくれなくて、じろじろ見られてから意味深な笑顔で去るようになって気持ちが悪い。
伯母や従姉妹は私のせいだと罵るけど、絶対に私のせいじゃないのに。
それ以来、私は寝る前にドアに鈴をつけ、起きてから鈴をしまう生活を続けている。
誰かがドアを開けても鈴の音で気が付くように。自分ができる精一杯の自衛手段だった。
――でも、鈴は二回、鳴ったことがある――
翌日の放課後、希空が教室で冬休みの温泉旅行予定を自慢げに教室で話す姿を横目に、私はシャーペンの芯が切れていたのを思い出した。
帰りに買って帰らなきゃ。購買部でも良かったのだけど、この時間なら夕食の買い物ついでに文房具店に寄ることができる。
ほとんどのものを最安値で済ませる私だけど、筆記用具だけは勉強に必要なので、ストレスの溜まらないものを選ぶようにしているんだ。
だって黒くなってノートが汚れる消しゴムとか、ポキポキすぐに折れるシャーペンの芯なんて使えたものじゃないから。
行く場所がない私は図書館が避難場所のようなもの。
そこで勉強するのは好きだし、ストレスも溜めたくないしね。
だんだんと強くなる北風に逆らいながら、商店街に向かって歩を進める。……風でスカートが捲れそうになるけど、埴輪ルックだから大丈夫!
下着じゃないから恥ずかしくない!
……女子力はこの際、考えないようにする。希空に馬鹿にされても、ヒートテックなんて持っていないし。
「エミ、見てごらん! なんて素敵なんだ、まるでジオングみたいにキュートだね!」
はしゃいだそんな声が聞こえた。何か遮ったところから聞こえる若い男の人の声。
声の方向は車道だし、声が籠っているし、おそらく車中から叫んだのかも。
エミって女の子名前だから、カップルかもしれないな。そういや、11月になってからクリスマスの飾りつけも始まったし、それを見たのかな?
まあ、ジオングとかキュートとか、そんな単語なら私に関係ない。
なぜなら今に私は埴輪だからね!
私がその時に“ジオング”が有名なアニメのロボットで、埴輪に似た造形に似ていて、まるでスカートを履いているように見える姿だと知っていたら顔を上げたかもしれない。
でもその時の私には、埴輪ルックとジオングが結びつくことはなかった。
だから、妙にはしゃいだ声で「キュート」と言った人の顔を見ることはなかったのだ。
寒いし足早に文房具店に入ってシャーペンの芯を買う。
大事に使おう。
大事に。
次にヒーロー登場予定(70歳)
ジオングに反応したのはあの人です。