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冬の朝

 恋をした。――50歳以上、年上の男性ひとと。

 恋をした。――50歳以上、年下の少女ひとと。


 触れることを望まない、体を繋げることを求めない、それでも確かな恋だった。



**************************



 私、小山田有海こやまだ あみの一日は早朝5時の起床から始まる。

 そろそろ肌寒くなってきたけど、私の寝具は毛布がまだ一枚だけ。古い毛布を捲って起き上がり、薄っぺらな寝具を畳んで隅に寄せる。

 寝起きしている部屋は広さ自体は六畳ほどだけど、従姉妹の季節ごとの服を入れた衣装ケースや、海外旅行が趣味に伯母一家の勢いだけで買って処分に困ったお土産などが並んでいて、実質使える部屋の広さは三畳分ほど。

 それでも“家族じゃない”のに、住まわせて貰っているだけで有り難いと思わなくてはならないと、私は知っている。


 身の程を、知っていなければならなかった。

 

 まだ眠っている伯母一家を起さないように、半物置化した部屋をそっと抜け出す。

 朝ごはんと従姉妹たちのお弁当作りは、この家に住ませて貰っている私の仕事だ。

 彩りよく、食材を使い過ぎないよう気を付けながら、お弁当のおかずを従姉妹たちの可愛いお弁当箱に詰めておく、卵焼きの切れ端とか、ブロッコリーを塩とごま油で和えた茎の部分なんかは自分のお弁当用。

 中身を伯母がチェックするから、従姉妹のお弁当の見た目は綺麗にしておかないといけない。

 最近になって、同い年の希空のあの彼氏候補にもお弁当を差し入れするようになって作る量が増えてきた。希空のあは手作りと彼氏候補に言っているけど、ゆで卵をレンジで作ろうとした前科は口止めされている。

 お弁当の数が増えた分、伯母に材料を多め使っていいかお願いしてみたけどダメだった。私のお弁当のおかずを減らすしかない。

 この上、希空の姉である希星きららまで彼氏ができてお弁当を届け出したら、私のおかずがなくなっちゃうな……。

 

 お弁当づくりが終わったら廊下やトイレを掃除して、ようやく起き出した伯母や従姉妹たちの脱いだものを洗濯して通学前に干す。化粧や髪のセットで汚れた洗面台を掃除した頃には伯母家族は朝食を終えていて、後片付けをしながら自分も大急ぎで朝食を摂るのが日課だ。

 伯母家族は一汁三菜だけど、私はおにぎりで済ませるのがパターン化している。この方が食べながら後片付けできるから楽だし、いいんだ。


 家事全部が私担当というわけじゃなくて、人の目がつく玄関や庭なんかは伯母家族が担当している。私は駆け落ち同然で家出して、そのうえで死んで借金まで残した親の子供だから、人の前に出すのは恥ずかしいんだって。

 駆け落ちしたのは本当のことだし仕方ないと思っているけど、お父さんやお母さんを悪く言われるのはやっぱり辛い。

 お母さんの両親――私には祖父母にあたる人たち――にも会ったけど、駆け落ちで親の金を盗んだ娘の子供の顔なんか見たくない、そんな風に言われて泣きたかった。

 お母さんはそんな人じゃないと言ったけど、子供の言葉なんて大人には通じない。

 私はお母さんを信じている。お母さんは人のものを盗ったりなんかしない。でも事故で死んでしまった両親に借金があったのは本当らしく、弁護士という人に書類を見せてもらって納得するしかなかった。

 当時の私は子供で難しい書類を見せられてもわからないけど、弁護士のように偉い仕事をしている人の言葉を信じるしかなかった。


 確かに親子三人、豊かな暮らしはしていない。朝ごはんだっておにぎりと卵焼きだけでもご馳走だって喜べたくらい。

 小さな一室だけのアパートで親子三人の慎ましい生活だったけど、お父さんもお母さんも生きていて、優しかった記憶しない幸せな時間だった。


 両親は10年前に事故死するまで、この小さくて穏やかな幸福は続くって私は信じていた。


 ――信じて、いたかった。


 ごく当たり前の話だけど、生活が一変した恐怖は今でも忘れられない。


 「おはよう」「おやすみ」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」――。

 そんな日常の言葉が聞けなくなってしまったこと。お手伝いをしても頭を撫でて貰えなくなったこと。人参を残しても叱られなくなったこと。繋いでくれる手がなくなったこと。


 幼かった私は、いきなりの喪失に、ただ、ただ、泣きじゃくってお父さんとお母さんを呼び続けていたように思う。

 どんなに泣いても神様にお願いしても、お父さんもお母さんも戻っては来なかった。


 いつの間にか涙は止まった。でもぽっかりと空いた心の空洞は広がったまま。

 ぬくもりや優しさを失った穴は冷たくて虚ろで、仲良くしてくれた近所の人や保育所の先生でも全部は埋めきれなかった。

 でもあの人たちはみんな善意の人たちだった。みんなで私を心配してくれた。

 孤児になった私のため役所に掛け合って、駆け落ちのせいでずっと連絡を取っていなかった親戚を見つけ出してくれたのだ。


 ――有海ちゃん、お父さんやお母さんの分まで元気に生きるんだよ。

 ――笑っていた方がお父さんたちも喜ぶからね。

 ――あみちゃん、ずっとおともだちだから!

 ――あみ! おおきくなったら、オレがおよめさんにしてやるからな!


 近所の人や保育所の先生、友達たちはそう言ってくれた。

 私はみんなから貰ったお菓子や洋服やお人形を手に、「ありがとう」と「ばいばい」を言って手を振って。

 お母さんの姉である、長岩房枝ながいわ ふさえが、私の手を引いて愛想よく見送ってくれた人達に挨拶をしたのは車に乗るまで。


 車に乗った伯母は私の手を振り払い、みんながくれた餞別を取り上げて言ったのだ。


 「和実かずみにも困ったものね。勝手に家出して迷惑をかけたくせに厄介者まで残してくれて」


 それは、私が生まれて初めて知った悪意だった。

 

 

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