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 ああ、これが夢ならもう二度と覚めないでほしい。

 そんな風に願ってしまうほど、私を見つめるアルフィス殿下の眼差しはいつものように、とても優しかった。


「アルフィス殿下……」


 今はその名を呟くだけでも胸が苦しくなる。


「こんなところで一人でいるなんて、どうしたの、ティフォンヌ?」


 目を細めて心配そうに尋ねてくるアルフィス殿下に涙が出そう。

 でも、ここで泣いてはいけない。

 涙で同情を引く真似はしたくない。


「なんでも…ありません。心配をおかけして申し訳ありません、殿下」


 アルフィス殿下とリディア様のことで悩んでいたのです…って、素直に言えたらどんなに楽だろう。

 こういうことを素直に口にできるのって、生まれとか立場とか関係なくて性格だって思う。

 上手に自分の気持ちを伝えることができるのって才能のひとつだよね。


「なんでもない…って顔じゃないね」


 ですよね。顔見たら分かりますよね。

 でも、殿下、ここはスルーしてほしかったです。


「少し…体調が悪くて」


 でた!

 本当のことが言えないときのベタな理由ナンバーワン。


 我ながら恥ずかしい。

 他にもっと気の利いた理由ないのかよ!って、ツッコミたい。

 体調悪かったら救護室とかに行けよって話だよね。人気のない庭のベンチで寝てんじゃねーよ、って思われるよね。


 ああ、言ってから後悔。

 殿下、スルーしてくれないかな。


「体調悪いなら、尚更だよ。こんなところで一人でいるなんて駄目だろ。どうして、私のところに来ないんだ」


 スルーどころか信じちゃったよ、殿下。

 それとも嘘だって分かってるけど、話にのっちゃった?


 どうしよう、どうしよう。

 私、なんて答えればいいの。


「あの…たいしたことはなくて…あの、すみません」


 もう最終手段だ。謝って終わろう。

 殿下、もうこれでお許しください。


 私の願いが通じたのか、アルフィス殿下はしばらくの沈黙の後、「もう大丈夫なの?」と訊いてきた。私は「大丈夫です」と視線を落としたまま答えた。


「そう良かった」とアルフィス殿下は私をそっと抱き締め、その胸に抱き寄せる。


 その行動に私はとても驚いた。

 いくら婚約者といっても私はまだ成人していないし、アルフィス殿下は行き過ぎたスキンシップは自重してくれていた。

 それなのに、人目がないとはいえ外で抱き締めるなんて信じられない。


 こんなはしたない行いを人に見られたら…と、私はアルフィス殿下に離してほしいと伝えた。

 すると、アルフィス殿下はあっさりと私を解放してくれた。


 自分から離してほしいって言ったのに、アルフィス殿下の温もりが離れると少し寂しい……


 いやいやいや、私、別にがっかりなんてしてないからね。

 こんなところ、誰かに見られたら私だけでなくアルフィス殿下も悪く言われたりするから。


 それに、リディア様だって……


 悲しむよね。運命の相手が、いくら現婚約者とはいえ自分以外の令嬢と抱き合っていたなんて知ったらすごく辛いと思う。


 だって、悪役令嬢の私でもヒロインの登場にこんなに胸が苦しくなるんだもの。


 これは思ってた以上に日頃のアルフィス殿下との接した方に気をつけないといけないと私は気を引き締めてた。


 くよくよしててはダメ。

 リディア様が登場し、アルフィス殿下と出会った今、もっとよく考え慎重に行動しないと。


 アルフィス殿下は私に何も言ってこない。

 それどころか、リディア様のことは何も知らないような態度だ。

 なら、リディア様のことはしばらく内緒にするおつもりなのだろう。

 もしかしたら、さっき私を抱き締めたのもリディア様とのことを感ずかれないためにしたのかも。


 それは、私に愛情表現を表すことで、リディア様を守ろうとしている…という…こと……


 そうだよね。絶対そうだ。

 だってもうリディア様とアルフィス殿下との恋は始まっていて、始まったばかりの恋をアルフィス殿下は守ることに決めたんだ。


 なら、私は……


 何も言う必要も、変える必要もない。


 今までどおり、【アルフィス殿下の婚約者】として振る舞えばいい。

 アルフィス殿下からアクション起こすまで静観するのみ。


「アルフィス殿下、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。体調はよくなりました。それと、先程のようなことはどうかお控えくださいませね」

「……婚約者同士なのだから、別にいいだろう」


 そう言うアルフィス殿下の顔は真剣そのものだ。


 どうしよう。

 アルフィス殿下の今の気持ちが全然分からない。


 怒ってるの?

 困ってるの?


 分からないけど、私が言う台詞は決まっている。


「よくありませんわ。人の噂に立つことは控えませんと……」

「……ティフォンヌは真面目だね」

「そんなこと。殿下のお立場を考えれば当然のことです」


 真面目……その言葉も今は嫌味に聞こえてしまう。


 可愛い気のない女だと言われているみたい。


 人目も気にせずアルフィス殿下に寄り掛かるリディア様とちょっとした触れ合いでさえ拒否する私。


 でも、それが私とリディア様の立場の違いなのだ。

 身分ではなく、ヒロインと悪役令嬢という立場の違い。


 刻々と近付く【捨てられる日】が急に現実として目の前に突き立てられて、アルフィス殿下との間に見えない壁が出来てしまった。


 ううん、壁は私の心に出来たのだ。


 相手と距離を取るための壁。

 自分を守るための壁。

 何もかも無かったことにするための壁。


 この壁をアルフィス殿下との間に立てて、私は今までと同じように殿下の隣に立てるのだろうか。笑えるのだろうか。


 真剣な顔をしたアルフィス殿下を私は無表情な顔で見つめる。


 アルフィス殿下は私の今の気持ちを読むことが出来ていらっしゃるのどろうか。

 それとも、もうどうでもない。

 もう、私の気持ちなんてどうでもよくて、リディア様との未来のことしか考えていらっしゃらない。


 私の心に壁が出来た。

 それは、アルフィス殿下も同じかもしれない。


 リディア様を守るために。


 アルフィス殿下は私を試そうとしているのかもしれない。

 私がどれ程、アルフィス殿下のことを好きなのか。どれ程、王太子妃の地位に執着するのかを。


 私とアルフィス殿下との間に壁が出来た。


 それは、二人共通の壁ではない。


 私には私の壁。

 殿下には殿下の壁。


 その壁はどんどん高く、どんどん厚く、いつしか相手の姿も気配も感じなくなる。








 ……まだ、大丈夫。


 まだ、私は殿下の顔も見える。

 そして、殿下に微笑むことも。


「生意気なことを申しました。お許しください」


 私はアルフィス殿下に微笑みながら謝罪した。

 こうすると、いつもアルフィス殿下は許してくださる。

 困ったような顔をして、でも優しく笑って。


 アルフィス殿下、もう少し…もう少しだけ、いつもの殿下でいてください。


「ティフォンヌが謝ることはない。ティフォンヌが言ったことは正しいよ。

 でも、もう少し私に甘えてほしい…とも思う。本当に言いたいことを君はいつも我慢してしまうから」


 そう言って、いつものように微笑んでくれるアルフィス殿下に私はホッとする。

 そして、今、築いたばかりの壁が崩れそうになる。


 でも、それを我慢して壁を作る。

 高く硬く。


 お優しいアルフィス殿下。

 私が本当の気持ちを伝えたら、きっと殿下は私のことを嫌うでしょう。

 私が本当の気持ちを伝えても、絶対に殿下には叶えられない願いなのです。


 ですから、どうか私の本当の気持ちに気付かないで下さい。


 最後まで誇り高き【悪役令嬢】でいさせて下さい。



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