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『春舞会』を控え、まず一番大事なのはドレス選びだ。
アルフィス殿下がエスコートしてくれる(はず)ので、アルフィス殿下の服に合わせたドレスを着たい……のだけど、実はアルフィス殿下に何色の服を着るのか聞けていないのが現状だ。
アルフィス殿下が「ティフォンヌ、春舞会には僕のエスコートで出席してくれるかい?」なんて言ってくれたら、「光栄です、アルフィス殿下」とか言って何色の服を着るのか自然に聞けるのに、現時点ではお誘いの言葉がないので聞けていないのだ。
よって、私は三種類のドレスを用意した。
赤に青に緑。
信号機かよ!って、ツッコミたくなる……
でも、私は黒髪黒目なので濃い色の方が合うのだ。
そして、顔が平凡なのでデザインはシンプルなものを選ぶようにしている。
無駄な派手さは返って己の首を絞めることになるのだ。
漫画のような容姿なら、すごく可愛いドレスとか着てみたいんだけどな~
ちょっと、漫画のティフォンヌが羨ましく思える。
いやいや、もし綺麗な容姿だったら無駄な期待を抱いて、アルフィス殿下を引き止めようとしたかもしれない。
それこそ、本当に悪役令嬢になっていたかもしれない……
これでよかったんだ。
このブスよりの平凡顔で……
あっ、しまった。落ち込んできた。
ダメだ、今回の春舞会は楽しむって決めたんだから、落ち込んでる場合じゃない。
とにかく、今日、アルフィス殿下に会ったら勇気を出して聞いてみよう。
自分の世界に入り込んで気合いを入れる私をお兄様がジッと見詰めていることに、この時私は気付いていなかったんだけど、いつも優しげに私を見てくれるお兄様が難しい顔をしている理由を知るのはもう少し後のことだった。
学園に着いて、私はお兄様と別れて自分の教室に向かう。
教室に入ると、すでに登校していたリリアナ様たちが私に駆け寄ってきた。
「おはようございます」と挨拶をしようと思ったけれど、リリアナ様たちの顔が強張っていたので、その言葉が出てこなかった。
「ティフォンヌ様、ちょっとこちらへ」
固まっている私の腕を掴んで、教室の外へと出る。
ただならぬ様子に、私は一気に不安になった。
中庭の人目に付かない場所まで連れて来られて、私は友人三人に囲まれた。
いつもにこにこしている三人が、ずっと難しい顔をしている。
「あの……何が……」
恐る恐る尋ねる私。
こういう雰囲気は苦手だ。
「驚かないで聞いてくださいね、ティフォンヌ様」
あの穏やかな性格のリリアナ様がにこりともぜず、私を見る。
なに?!何があったの?!
「実は……昨日、アルフィス王太子殿下とロシェド子爵令嬢が二人だけで会っていたそうなのです」
「……ロシェド…子爵令嬢……」
「昨日、ティフォンヌ様とぶつかった方ですわ」
そう言って、リリアナ様は痛ましそうな顔をする。私が傷付くと思っているからだろう。
黙っている私にリリアナ様は顔を伏せてしまった。
「昨日の放課後、お二人が音楽室から出て来るところを見た生徒がいるのです」
リリアナ様に代わって、ローザリエ様が事の詳細を教えてくれる。その声は震えていた。
「リディア様は泣いていたそうです。それを、アルフィス王太子殿下が身を寄せ合って慰めていたとか……」
「まるで恋人同士みたいだったと、見た者は申していました。事実は分かりませんが、ティフォンヌ様という婚約者がありながら女性と個室で二人きりになり身を寄せ合うなど許せませんわ!」
怒りを口にしたシルビア様の目には涙が浮かんでいた。
アルフィス殿下とリディア様が放課後の誰もいない音楽室から身を寄せ合いながら出てきた――
本当なら悲しく辛くて仕方がないことだけど、アルフィス殿下とリディア様が恋に落ちることを知っているだけにそんな感情は沸いてこなかった。
ただ……ああ、とうとう、その時が来たんだっていう思いだけだ。
それでも、その思いは重くて黒くて、私の身体も心も苦しめるものではあったけれど、それでも耐えられると思った。
耐えなければならない、と。
私の役目はここで終わりではない。
アルフィス殿下のためにここで役目を投げ出すわけにはいかないのだ。
それに、私のことを思って心を痛めてくれる友人たちの存在が私に力をくれる。
婚約者を違う令嬢に奪われそうになっているところなのに、リリアナ様たちが私のために悲しんでくれる、怒ってくれる、泣いてくれることが……すごくすごく嬉しい。
大丈夫。
私はまだティフォンヌ・セイランとして立っていられる。
嫉妬に駆られ、見苦しく振る舞うことなく毅然として悪役令嬢として役目を全うすることができる。
崩れそうな足に力を入れ、私はにっこり笑った。
「リリアナ様、ローザリエ様、シルビア様、私のことを心配してくださってありがとうございます。私も話を聞いて驚いていますが、アルフィス殿下とリディア様が二人きりになったのは何か理由があると思うのです。ですから、今回のことは騒ぎ立てずにおこうと思います」
私は気にしていないと伝えると、三人はさらに顔に影を落とす。
シルビア様なんて眉間に皺を寄せているけど、綺麗な顔が台無しだよ。
「ティフォンヌ様はそれで良いのですか?」
「私はちゃんと王太子殿下に説明を求めた方がいいと思うわ」
「婚約者がいる身で他の令嬢と二人きりになるなんて、どんな事情があっても、しっかりお灸を据えるべきですわ」
三人とも私の言葉に納得がいかないようだ。
確かに、殿下のしたことは私を侮辱したことになる。
それを不問にするということは本当なら考えられないこと。
それでいいのかと、三人の目が私に訴えかける。
「ここで下手に騒いで殿下の名を貶めることはしたくないのです。私は殿下を信じていますから大丈夫です。もし……」
『もし、心変わりされても殿下が幸せならそれでいいのです』
その思いを言葉にすることはなかったけれど、今回は波風立てたくないと再度三人に伝えた。
リリアナ様たちは私の思いを汲み取ってくれて、渋々ではあるけれど納得してくれた。
私のことを心配してくれる友人たちに感謝する気持ちと、とうとう殿下が私から離れてしまう時が来たという気持ちが入り交じった複雑な気持ちを抱えながら、私たちは教室に戻った。
授業を受けながら、私の頭の中はアルフィス殿下のことでいっぱいだった。
アルフィス殿下がリディア様と恋に落ちるのは運命なのだから、どう足掻いても私に勝ち目はないのだけど、やっぱり色々と考えてしまう。
まず、アルフィス殿下とリディア様の出会い。
たった一日で、二人きりになるような仲になるのだろうか?
それに、リディア様は泣いていたらしいし……
事の詳細は本人たちにしか分からないけれど、やはりたった一日で関係が進展するようにはやはり思えない。
だとしたら……
アルフィス殿下とリディア様は以前から関係があったのではないかということ。
まさか……と思うけれど、可能性がゼロとは言えない。
だとすれば、昨日のリディア様の不可解な言動も腑に落ちる。
もうすでにアルフィス殿下と恋仲なら、恋人の横で婚約者ズラして隣に立つ私を腹立だしく思っていても当然だ。
やはり泣いていた理由は私なのだろうか。
私の存在が二人を苦しめているのだろうか。
もしそうなら……
悪役令嬢とはこんなに辛いものなのか。
好きな人を奪われ、好きな人を苦しめる側に立つ。
女として人として、こんなに辛い立場はない。
前世の私なら、こんな立場になりそうになったらすぐに逃げていただろう。
自分の気持ちに蓋をして、傷付くことも傷付けることもない平坦で何の障害もない道を選んできた。
アルフィス殿下に捨てられることも、殿下やリディア様を苦しめている立場にいることも、それを乗り越えられることができたら私は前世とは違う人生を歩むことが出来るだろうか。
しっかりしろと自分に言い聞かせても、それでももう少しアルフィス殿下のお側にいられると思い込んでいた私の胸はキリキリと傷んで仕方なかった。




