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私はアルフィス殿下に玄関まで送ってもらい、セイラン家の馬車に乗り込んだ。
アルフィス殿下とお兄様はまだ用事があり学園に残るらしい。
殿下は私を玄関まで送るためだけに、わざわざ来てくれたようだ。
それを聞いて嬉しいという気持ちにもなり、アルフィス殿下のマメさにも感心する。
男性と付き合ったことがないので、はっきりとは言えないが、やはりマメな男はモテるのではないだろうかと推測する。
顔よしスタイルよし身分よしの三拍子揃ったアルフィス殿下に、私を婚約者に選ばせる修正力とは下に恐ろしいものである。
そんなことを、私は馬車に揺られながら考えていた。
さっきまでの雲の上を歩いているような、甘い幸せに浸っていだが、それでは駄目だと冷静になれと自分に言い聞かせる。
夢のような幸せに浸り、そのままズルズルと抜け出せないようになっては取り返しがつかない。
『つかの間の幸せをひきずってはいけない』
これは悪役令嬢としての心構えの一つだ。
落ち着け落ち着けと言い聞かせ、ようやく冷静になってきたころ、馬車は公爵邸に到着した。
入学式、リディア様との奇妙な出会い、アルフィス殿下への募る思いを制御したりと、今日一日で色々ありすぎて、私は精神的にかなりヘトヘトだ。
こんな日は十分な睡眠を取るに限る。
温かいお茶を飲んで、ビタミンたっぷりのフルーツを食べて、ゆっくり入浴して、そして、早めに寝よう。
これからの予定を大まかに決めた私は、馬車を降りた。
「ティフォンヌ様、入学式はいかがでしたか?」
お茶を飲んでいると、ルーナとフィンリーが興味津々な感じで聞いてきた。
私がアルフィス殿下の婚約者として紹介されることは知っているので、その辺のことを聞きたいのだろうと思う。
でも、二人が喜びそうなことは特にないんだけどな。
「そうねぇ。やはり壇上で挨拶するのはとても緊張したわ。でも、お兄様はとても上手だったって褒めてくださったわ」
簡潔な今日の出来事に、ルーナもフィンリーも「えーそれだけですか?!」と不満の声を上げる。
そう言われても、無いものは無いし、リディア様のことを話すのはちょっと……
「アルフィス殿下は何て仰ってましたの?ティフォンヌ様のことをどういう風に紹介していましたか?」
どうやら二人はアルフィス殿下に関することを聞きたいようだ。敢えて言わないようにしていたけど、やっぱりそうだよね。
でも、お兄様が私を褒めてくれたときに、気安くティフォンヌに触るなと怒ったことや、ホームルームが終わるとすぐに私を迎えに来て玄関まで送ってくれたこととか……そんなこと、ペラペラと他人様に話すのはただのノロケだよね。
二人は喜んで聞きそうだけど、そんなことを嬉しそうに話しても、結局、アルフィス殿下に捨てられるんだから目も当てられない。
それに、私が嬉しそうにすればするほど、アルフィス殿下がリディア様のことを好きになった時に困らせるだけだ。
ちょっとだけ二人にノロケそうになったけど、私はいつもの調子で「アルフィス殿下は『皆、よろしく頼む』と言ってくださいましたわ」とだけ答えた。
それを聞いた二人はさらに不満そうな顔をしていたことは言うまでもない。
でも、紹介に関しては嘘は言ってない……よね。
お兄様が帰宅したのは夕食前だった。
アルフィス殿下は用事とだけ言っていたけど、何の用事だったんだろう。
聞きたい気持ちもあったけど、詮索する女だと思われたら嫌なので黙っておくことにした。
今日の夕食は私の入学祝いがメインなので、家族全員が揃っていた。
家族皆が一人一人お祝いの言葉とプレゼントをくれた。
まず、お父様からは万年筆を頂いた。見るからに高級そうで恐縮です。
お母様は扇。夜会等で使う扇ではなく、普段使いの小さめの扇。品のある扇でとっても嬉しい。
お兄様は通学用のカバンをくれた。しっかりとした作りで使い勝手もよい機能性・デザインともに文句なしの逸品だ。さすがお兄様だと心の中で称賛する。
ミルティナはリボンだった。白、赤、ピンク、青、緑と各々色の違うリボンを五本プレゼントしてくれた。ミルティナが選んだだけあって全部可愛い。
そして、フィリックは可愛らしい小さな花束をくれた。自分で庭の花を摘んで作ったという。とても上手にできていて感動ものだ。
家族皆から心の籠ったプレゼントをもらい、私は喜びで胸がいっぱいになった。
家族からの愛情は何の遠慮なく受け取れるものだがら、私は皆に何度も「ありがとう」と伝えた。
◇ ◆ ◇
その夜、私は皆からもらったプレゼントを明日から使えるように準備していた。
お兄様からもらった鞄に、お父様からもらった万年筆とお母様からもらった扇を入れる。
そして、ミルティナからもらったリボンを並べて明日どのリボンをつけようか思案中だ。
最初にリボンを決めて、それからドレスや靴を選ぼうと思う。
ドレッサーの前で一本、一本リボンを頭に当てる。
どれも可愛くて本当に悩む。
そして、ドレッサーにはフィリックがくれた花束が飾られている。
心がウキウキするものばかりに囲まれて、ああ、私って幸せ者だなぁって思った。
好きな人に振られる運命でも、こうして家族から大切にされていることに慰められる。
こんなに優しい家族のためにも、アルフィス殿下から婚約破棄された時は家族のためにも毅然としなければ……と思える。
こんな風にアルフィス殿下に捨てられることを念頭に置き、心構えをする心情としては、それは、入学早々に私の前に現れたリディア様の存在が大きいと自分で理解している。
リディア様の登場は、いつかはアルフィス殿下に捨てられる日がくると覚悟していた私に、それが現実のことだと突き付けるに十分だった。
アルフィス殿下の全てがリディア様のものになる――
その現実に、私はアルフィス殿下の優しさと家族の愛情で乗り越えようとしている。
ああ、神様。
どうか、私が最後まで逃げ出さず、最後まで取り乱さないように、どうか、見守ってください。
そんな祈りを込めて、私はミルティナからもらったリボンの中から白のリボンを選んだ。
◇ ◆ ◇
翌朝。
バルリアンドル学園入学二日目である。
私はベッドから降りると、昨夜から決めていたドレスを着て、白のリボンで髪を結ってもらった。
結うといっても学園……勉学の場に行くのだから、髪を一つに纏めてリボンで結んだけなのだけど。
それでも、お父様の万年筆、お母様の扇、お兄様の鞄、ミルティナのリボン、そして、フィリックからもらった花はドライフラワーにして栞にするつもりだ。
こうして、家族からの贈り物を身に付けていると、気持ちも身も引き締まる。
良い朝だと思える。
私は鏡で全身をチェックをして、「よし!」と気合いを入れてから部屋を出た。
お兄様と一緒に馬車で学園に向かう。
学園まで馬車で二十分ほどなので、お兄様との会話を楽しむ。
もちろん、会話は勉強……ではない。
「お兄様、再来週の『春舞会』は誰かお誘いになりますの?」
春舞会とは新入生を歓迎する舞踏会で、全学年の生徒が出席する大規模な舞踏会だ。
反対に卒業する生徒を送る舞踏会は『冬舞会』という。
そして、当然、舞踏会なので恋人、婚約者がいる者はその人にエスコートしてもらうし、いなければ一人で出席するのだが、私はお兄様が誰か誘うのかとても気になる。
お兄様は恋人なんていないって言うけど、本当は隠しているだけなんじゃないだろうか。
ふふっ、お兄様、正直に白状しなさい。
「僕はティフォンヌをエスコートしたいと思っているのだけど、ティフォンヌはアルフィス殿下より僕を選んでくれるのかな?」
くそう、お兄様め。上手く逃げたな。
笑顔のお兄様にそれ以上何も言えなくなって私もにっこり笑う。
お兄様が言っていたとおり、私は春舞会はアルフィス殿下にエスコートしてもらう予定だ。今のところ、私はアルフィス殿下の正式な婚約者なので、当然と言えば当然なのだが、実はこの春舞会はティフォンヌにとって一番幸せだといえるイベントなのだ。
漫画を読んでいるからこそ知り得る情報なのだが、アルフィス殿下とリディア様はこの春舞会の数日後に運命の出会いをする。
そして、二人はゆっくりと距離を縮めていく……という展開なのだが、二人の恋が漫画そのままに進むのかは分からないけれど、出会いだけは避けられないと思う。
春舞会が終れば、アルフィス殿下とリディア様の恋が始まる。
そうなれば、私は……『婚約者』から『悪役令嬢』に変わる。
覚悟はしている。
何もかも覚悟の上で私はアルフィス殿下の婚約者になったのだ。
だからこそ、この春舞会だけはアルフィス殿下を独り占めしたいと思ってしまうのだ。
アルフィス殿下に捨てられるなら、そんな虚しい思いを抱くなと言う自分もいる。でも、春舞会はアルフィス殿下がリディア様を好きになる前の一番大きなイベントなのだ。
私を好きだと言ってくれる。
私を優しく見つめてくれる。
私の手を迷いなく繋いでくれる。
まだ、私に気持ちを向けてくれている殿下と最初と最後の……
特別なことは何も望んでいない。
ただ、目一杯着飾った私をアルフィス殿下に見てほしいの。
そして、私だけを見てくれている殿下とダンスを踊りたい。
期待しない。捨てられる覚悟を持つ。最後まで毅然とした態度で。
それは、守る。絶対に。
でも、最後に……最後だけ……一夜だけ夢をみたいの……




