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教室を出た私は三年生の教室がある西の棟に向かう。
そして、リディア様とぶつかった角を曲がろうとした時、また私は人とぶつかってしまった。
「あいたた…すみません、大丈夫ですか?」
ぶつかった鼻を擦りながら、私は相手の安否を尋ねた。
ああ、私って学習能力ゼロ……
「ティフォンヌ?!ごめん、大丈夫?」
聞き覚えのあるその声の持ち主はアルフィス殿下だった。
私はアルフィス殿下とぶつかったようだ。
「アルフィス殿下?!まあ、申し訳ありません」
「私は大丈夫だよ。それよりティフォンヌこそ怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
「鼻を擦っていたけど」
「(そこはスルーしてください、殿下)大丈夫です」
私に怪我がないと確認したアルフィス殿下はホッとした顔をして、また私の手を取った。
そして、玄関の方に歩き出す。
「一緒に帰ろうと思って迎えに行く途中だったんだ。ティフォンヌは急いでいたみたいだけど、どこかに行くつもりだったの?」
アルフィス殿下にそう言われてドキッとした。
会いに行こうとした本人にそう尋ねられるのはちょっと恥ずかしい。でも、私は誤魔化さずに正直にアルフィス殿下に会いに行くつもりだったと伝えた。
「あの……実はアルフィス殿下に会いに行く途中だったのです」
すると、アルフィス殿下が急に立ち止まり『信じられない』みたいな顔で私を見てきた。
「えっ?おれ……いや、私に?本当に?」
その問いに頷くも、今、アルフィス殿下、「俺」って言おうとしませんでしたか?
「俺」って言われると、初めて会った時の殿下を思い出す。
あの時の殿下はもっと尖っていて、子供っぽかったなあ。
それなのに、次に会った時は、紳士的というか、今に至るまで随分大人っぽくなったって思う。
この変化も、もしかして漫画の修正力のせいなのかな?
私が昔のアルフィス殿下のことを思い出していると、私の手を握っている殿下の手に力が入った。
ギュッと握られたので、私は殿下の顔を見上げた。
すると、殿下は顔を赤くして、こう言った。
「あの……ありがとう。会いに来ようとしてくれて……すごく…嬉しい」
照れながら言うアルフィス殿下に、私も何だが照れてしまう。
そして、照れたまま殿下に会いに行こうとした理由を話した。
「いえ、あの……私、アルフィス殿下に謝りたいことがあって……」
「えっ?謝りたいことって?」
「はい。今朝のことを謝りたくて」
「今朝のこと?」
「アルフィス殿下が教室に送ると仰ってくださったのに、私が断ったことです」
「ああ。でも、それはティフォンヌが正しいよ」
「私もそう思っていました。でも、正しいからと言って、あの態度はよくないと思ったのです。アルフィス殿下の気遣いを無下にする言い方をしてしまって申し訳ありません」
私が謝ると、アルフィス殿下は私を見て、そして、プッと笑った。
「そんなこと……いちいち謝ることじゃないよ」
気にしてないと言うアルフィス殿下だけど、私はやっぱり気になる。
「いいえ、私はアルフィス殿下を傷付けてしまったかもしれないとホームルーム中もずっと気になっていたのです。もし、アルフィス殿下が怒っていたらと思うと……」
「ちょっ、待って!ティフォンヌの気持ちは分かったから、もういいよ」
会話を強く止められて、私は怒らせてしまったと焦った。
アルフィス殿下はもういいよと言ってくれたのに、しつこく過ぎただろうか。
恐る恐る、アルフィス殿下の顔を見ると殿下の顔は赤いままだった。
「ごめん、強く言って。でも、ティフォンヌがあんまり可愛いことを言うから……ずっと私のことを気にしていたなんて言われたら、抱き締めたくなる」
アルフィス殿下の言葉に、私も真っ赤になる。
「あ、あの……そう、ですね。ここでは……ダメですね」
こういう時、なんて言えばいいのか分からないのも経験値の低さの表れだ。
つい「ここでは……」なんて言っちゃだけどらここじゃなきゃいいのかって話だよね。アルフィス殿下に変な風に捉えられたらどうしよう。
幸い、アルフィス殿下はその事には触れずに、私が気にしていた今朝の言動について語り始めた。
「ティフォンヌは気にすると言っていたけど、私は本当に気にしてないんだ。それどころか、私の立場を考慮して注意してくれるティフォンヌに感動したくらいだ。
私は真面目なティフォンヌも好ましく思っている」
アルフィス殿下の言葉は泣きそうなぐらい嬉しかった。
修正力のせいで私を婚約者に選んだとしても、こんな風に私自身を認めてくれて褒めてくれて好きだと言ってくれることが、すごくすごく嬉しかった。
アルフィス殿下、私、頑張るからね。
殿下とリディア様との恋が成就できるように、殿下に笑顔で「おめでとう」って言えるように、今の殿下の優しさと言葉を忘れないようにするからね。
一線を置いていても、こうしてアルフィス殿下の真摯な人柄に触れると心が動くいて、自分が殿下を好きだという気持ちが膨らんでゆく。その度に私は、その気持ちを、捨てられる時の悲しみに堪えるための糧にしようと思っている。
だから、少しだけ。少しだけ、今はアルフィス殿下に甘えさせてください。
私はアルフィス殿下と繋がれた手に少し力を入れた。
それに気付いた殿下も手に軽く力を入れて、私たちはゆっくりと歩き出した。
でも、この時、私は幸せ過ぎて、私たちを陰からジッと見ている視線に全く気付かなかった。




