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没落の貴公子  作者: 南清璽
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ちんけな貿易商

「頼子さんがお嬢さんだったとは。」

だが、俺はこの後に続く言葉を如何にしようかと考えていた。もちろん詰りたい気持ちはあった。何せあの別荘を罪滅ぼしと云ってまんまと自分の娘に譲渡させたのだから。

「あこぎなことをしたとお思いでしょう。」

相変わらずしみじみとした物言いだった。声の深みに作為を感じない訳ではなかった。だが、この言い様は不思議と心裡にも及ぶものでつい聞き入ってしまう。

「無論、そうだが。」

だが、俺は質さねばならない事柄がまだあった。房子つまりは別れた妻房子が連れてきた娘がこの中崎との間に設けた子だとすれば、当然中崎と密かに通じあっていたと思われるからだ。何分、前夫との離婚は不義密通により頼子が生まれたのが原因だと聞いていたからだ。もっともその夫は貴族の出であったため姦通罪には問わなかったとも聞いている。それに比べ俺は平静なまま中崎に対して房子が俺の妻であったときに同じくそうであったかと聴けたし、更にそれを認めたところで特段の感情もわき起こらないと思えていた。もちろん、感情としてそうなのだが、一面において嘗て俺の執事であった中崎にはそう装いたいと考えたのだ。

「執事だったとき、房子と」

「滅相もございません。」

それにしても物腰が柔らかくあった。俺は確信がないにもかかわらず、これが取り繕ったものにしか思えなかった。まさに掴みようのない男だった。だが、一方でいわば好奇心とも云えるものがこの男に対して懐き始めていた。

「粗茶ですが。」

頼子の淹れた茶の芳しさと共にもう「お父様」と呼ばれないことを感情として解しようと試みていた。今や実父の中崎がいるから当然なのだが。

ここの事務所は広さにして十坪ぐらいだった。応接の椅子や机と事務机が二つあった。桜の木材故かその厳かな趣きに圧倒されそうだった。それにしても想いのとおりこの貿易商の代表取締役は中崎だった。もっともいうなれば零細な会社で従業員と言えるのかは別として、頼子一人だけだった。

「よくしつらえられた部屋だ。」

「前の社主が調度品にこだわる方でして。顧客の信頼も得られ安いとかで。」

中崎は俺が解雇した後、ここの貿易商に雇われ、その後社主から経営を譲り受けたそうだ。

「よく資金が用意できたな。」

「あのお屋敷を売り払って用立てました。」

「そうだったか。」

言うまでもなくあのとき頼子に譲ってはと勧めたのは将来自分になにがしかのお鉢が回ってくるかもという想いもあったのだろう。だが俺には皮肉の一つも言えない次第となっていた。

「頼子さんは今は声楽の方は?」

「その才がないと気づき今はしておりません。」

「嫁ぎ先でも決まっているのか。」

「それもまだでございまして。」

「だったら俺に嫁がせないか。」

「ご無体な。」

「無体には違いない。だけど俺は一旦人を殺そうとし自ら命を絶とうともした。世俗とは秩序だてられていようとも脆くもあるとの想いは拭いきれないでいる。だったらいいじゃないか。こんな狂気じみたことを求めても。それにあの屋敷のお陰で今や社長という身分に収まったのには違いないし。応分に報いてもらいものだよ。」

「実は頼子にはいわくが付いていまして。」

「いわく?」

「ここの社主であった人に嫁がさなければならないかもしれません。」

「どういう訳で?」

「今から考えればなかば騙されたみたいなものです。私は株式を全て譲り受けたのでてっきり暖簾そのものも引き継いだと思ったのです。でも違いました。その方は今度友人と同じく貿易商を新しく始めると。そして、これまでの顧客はそちらでの取引になるのだと云われました。それに対して少し待って下さい、そうなればとてもじゃないが株を譲り受けたところでこの会社はやってゆけませんと話しました。すると更なる金員を求められました。現金を用立てることはできず、言われるがまま手形を切りました。そして、満期に手形が落ちなければ娘を差し出せと言うのです。ここ何回かは娘の気持ちが定まらないものでと言い訳をし、満期日を繰り延べさせてもらいました。でもそうそうはいかないでしょう。もし、手形を取り戻して下さったらそのときは考えましょう。」

「なるほどな。体よく取り戻せればの話だが。そうなれば果たしてもらうよ。だがそこまでして守りたいものなのか?」

「 私にもよくわからないのです。もちろん私の行いは人として許されるものではありません。ただこのちんけな貿易の商いが身の置きどころとして性に合っているのは確かです。社長であっても限りなく商店主に近い。こんな具合だからでしょうか。本当に憧れていた生活なのです。娘もこれを察しております。」

中崎らしい。釈然としないはずなのに妙に納得させられるのだった。だが安請け合いをしてしまった。もちろんその報酬は頼子だが。

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