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「それよりも、うららさん。先ほど、雨に濡れられてませんでしたか?
もしかして、今も靴の中が濡れていたりするんじゃないですか?」
「そう、ですけど」
「じゃあ、こちらにおかけになって、靴を脱がれてはどうでしょう?
ここなら、橋の下から少し外れているので、日光で靴も靴下も乾くかもしれませんよ?」
なんだ。なにかの罠か?
訝しむ表情をそのまま出して、うららが答えを返さずにいると、出島はぽんと手を打った。
あくまでも明るく軽い声で、
「あ、そうか。うららさん、焼けたりされるのを気にしてらっしゃるんですね?
だったら、僕がもう少しだけこちらに移動しましょう」
「いや、そこが問題なんじゃないんですけど」
「僕もそう思います。うららさんは、きっと日に焼けても美しいと思いますよ」
「そういう話では絶対にないです」
「じゃあ、どういうお話でしょう?」
少しだけ迷ったけれど、結局、うららは靴を脱いで、出島の隣に腰掛けた。
たしかに、靴の中で濡れた靴下が動くのは不快だったし、今の太陽の光を見れば、少しの時間で靴も靴下も乾くだろう。
それに、日焼けを気にしているのは、他の同級生と同じ。うららだって、みすみす肌を黒くしたいわけではない。
座る位置が出島の横というのが非常に気になったが、あんまり隣に行くのを嫌がっては、またいちゃもんをつけられる可能性もある。
実をいえば、出島の隣に腰かけるとドキドキしたのだが、極力顔には出さないようにした。
「あらら、うららさん。その位置では、靴は日なたにありますが、靴下までは乾かないのでは?」
「う。しょうがないです。焼けたくないですし」
「そうですね、そんなにきれいな白い肌をされてるんですから、それを守ろうと思われるのも、もっともなことです」
「出島さんの肌の方が」
「はい? 僕の肌の方が?」
「な、なんでもないです!」
出島の肌は、男性のものだというのに毛穴のけの字もみあたらないほどの美肌で、しかも隣に座ってしまったが故に、否応にも距離が近づき、うららは、その肌のキメ細かさに衝撃を覚えていた。
「あ! 良いこと思いつきましたよ」
「なんですか」
「靴下も脱いで、日なたに置いておけば良いのでは?」
「って! ちょっと! 何してるんですか、出島さん!」
「何って、うららさんの靴下を脱がそうとしています」
真顔で言い切って、うららの両脚に手をかける出島の肩を、うららは渾身の力でひっぺはがそうと押した。
が、びくともしない。それどころか、触ってしまった肩の筋肉に、心拍数が上昇する。
「で、出島さん!」
「いいですねえ、その声」
「変態……!」
「違いますよー、これは人助けでーす」
「そんなこと、誰も頼んでません!」
「頼まれてないのに人助けをするんです。
ね? 僕って、なかなか親切でしょう?」
「そう、いう、のを、ありがた、迷惑、って、言う、ん、で、す!!!!」
出島の肩を押しながら、両脚をばたつかせた。
そんな状況でも、器用にうららの靴下を脱がしていく出島の手腕に驚くべきなのか慄くべきなのか、うららは判断しかねたが、とにかく遮二無二脚を動かすと、ひざが出島の顔面にヒットした。
一瞬よろめいたその隙を使って、立ち上がろうとするが、足首を掴まれて逆にしりもちをついてしまう。
「うららさん。靴下を脱がすだけじゃないですか。おとなしくしていてください」
「靴下くらい、自分で脱げます」
「ご自分で脱いでくださるんですか? 僕の前で?」
「なんで靴下脱ぐだけで、そんなやらしい言い方されなきゃいけないんですか。セクハラで訴えますよ」
「うららさんにだったら、訴えられても良いですよ。一緒に、裁判に出かけましょう」
「裁判所はデートスポットではありません」
「うららさんとだったら、どこでも天国です」
「真顔でそういうこと言わないでください。本当に気持ちが悪いから」
結局、片方の靴下は、もう足首の方まで下げられていて、濡れた靴下をもう一度履くのも嫌で、うららは渋々、自分の手で靴下を脱いだ。
ひなたぼっこをしているローファーの隣に並べておく。
「うららさんの御御足……」
むき出しになった両脚を凝視しながら、出島が言う。
心なしか口元が緩み、半開きになっている。
まばたきの回数が異常に少なくなっていて、怖い。
「なんか感動しているところ悪いですけど、それ以上セクハラ発言を続けるんなら、頭頂部の皿をかち割りますよ」
「いやん、うららさんたら、大胆!」
「あのね!」
「じゃあ、僕も〜」
やっぱり一度がつんと殴ってやった方が良いんじゃないかとうららが目を釣り上げると、出島は破顔したまま、自分も革靴の紐を緩めた。
靴に手を伸ばすと、背中のラインがうららの目に止まる。
さっき触った肩の感触を思い出して、またしても原因不明の動悸に苛まれる。
てきぱきとした動作で靴を脱ぎ、靴下も脱いでしまうと、その長い腕を使って、うららの靴の隣に置いた。
置く瞬間、必然的にうららの体に覆いかぶさるように出島の腕が伸びるが、ほんの数秒、呼吸を止めていたことにうららは気づいていなかった。
「実は、僕もさきほどの雨で靴が濡れていまして。乾くまで、ここにいましょうか」
「…………」
「うららさん?」
「早く乾くと良いですね」
言いながら、うららは嫌な予感がしていた。
そもそも、ここに来たのは、出島に興味が皆無だということを理解してもらい、自分につきまとうのを止めてもらうためだ。
断じて、橋の下で出島とひなたぼっこをするためではない。
太陽、がんばって!
早く、できるだけ早く、可能な限り早く、私の靴を乾かせて!
懇願にも似た祈りを、うららが空に捧げているのを横目で見ていた出島が、
「うららさん。目を閉じてください」
「え! なんで!」
「なんですか、その反応。何もしませんよ」
「全然信用できないんですけど」
「ひどいなあ。本当ですよ、何もしませんから、目を閉じてください」
眉を下げて困ったように笑う顔が、段ボールの中で飼い主に拾われるのを待っている捨て犬のそれに酷似している。
うららは、その顔を支えている首にぎゅっとしがみつきたくなるのをこらえて、意を決して目を閉じた。