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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第一部 第一章 その出会いは運命か?
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 「では、今から試してみましょう」


 「試す? なにをですか?」


 「先ほど、うららさんは龍神様に誓われました。

  僕の容姿など、うららさんの好みではないと思っていらっしゃると。

  もしその誓いの内容に偽りがあれば、僕がうららさんにして欲しいことをうららさんは叶えてくださると。

  そうですよね?」


 「は、はい」


 「だったら、今ここで、試してみましょう。

  どれだけ僕がうららさんに恋慕の念を抱いていても、うららさんご自身がまったく僕に興味がないのであれば、一片の期待も抱けないのであれば、うららさんのお気持ちを無視してストーカーじみた言動をするほど、僕も非常識な人間ではありません。

  いえ、河童ではありませんと言うべきでした」


 「そ、それは良かったです」


 少し前まで、出島がストーカー気質をこじらせて、拉致監禁の上、殺されてしまうのではないかと身を案じたうららにとっては、朗報と言えなくもない。


 「ですので、今ここで、うららさんが僕のことなんてこれっぽっちも好きじゃないと、これからうららさんが僕を好きになってくださる可能性もゼロだと確信できれば、僕はすんなりと諦めます」


 「本当に? 諦めてくれるんですか?」


 「はい。もちろんです。僕は、うららさんをお慕いしていますから。

  うららさんのご迷惑になるような愛情表現は、本意ではありません」


 「あ、そういう思いやりはあるんですね」


 意外だった。もっと、他人の気持ちには御構い無しに押して押して押しまくるだけの人かと思っていた。


 殊勝な言葉を口にする出島に、うららは反射的に安堵の息を漏らす。


 「ですから、今ここで確認をいたしましょう。

  うららさんは、僕になんの興味もそそられないし、恋愛対象としては見ていない。

  それが分かれば、僕はうららさんのお邪魔をすることはもうありませんから、うららさんは心の平穏を手にされますし、僕は失恋となりますが苦しい恋心から解放されます。

  ウィンウィンの状況だと思うのですが、いかがでしょう?」


 「そう、かも、しれないです」


 「では、早速。

  と言いたいところですが、ここでは太陽の光があまりにも強くて、頭の皿が乾いてしまいそうです。

  もしよろしければ、一緒に、河のそばに移動していただけませんか?」


 このとき、うららの本能はたしかに警鐘を鳴らしていた。

 それでも、こくりと頷いてしまったのは、出島の笑顔に邪気がなかったことと、ここまでの彼の殊勝な発言に、少なからず同情を感じていたから。


 「皿って、本当についているんですか?」


 代わりにそんなことを聞けば、出島は屈託のない笑顔を見せて、その長身を曲げて頭頂部をうららに向ける。


 「触ってみられますか?」


 「触って分かるようなものなんですか、皿って」


 「はい。水かきと同じで、擬態することで見た目はすっかり人間と同じですが、触れば分かりますよ」


 「へえ……」


 「どうぞ?」


 「え、いやいや。いいですよ」


 「残念」


 皿があったらあったで気持ちが悪いし、出島が河童だという荒唐無稽な嘘を信じなくてはいけなくなるし、なかったらなかったで、ないものをこんなに堂々とあると嘘をついてみせる出島の精神を危惧するだろうから、どちらにせよ触らないでいるのがうららにとっては賢明だろう。


 出島は頭を上げながら、折角うららさんに触ってもらえるかと思ったのに、と艶っぽい声でつぶやいた。


 「あ、あそこなんていかがです?」


 「橋の下ですか? 

  まあ、あそこなら日陰になっているだろうし、気温も少しは涼しいかもしれないですね」


 「じゃあ、あそこにしましょう」


 道路から直接、河の方へと向かう。

 土手は青々とした草に覆われてはいたが、結構な急斜面で、雨で濡れたローファーで歩くのは危なそうに思えたので、うららは橋の近くにある階段を降りることにした。


 「じゃあ、僕も」


 急斜面を難なく降りかけていた出島は、その一言で、これまた何の問題もなく戻ってくると、おとなしくうららと連れ立って歩き始めた。

 階段を降りる際に、出島が先に進む。

 くるりと振り返ると、出島が初夏の新緑を思わせる爽やかな笑顔で話し始める。


 「ご存知ですか? 階段でのみ、真のレディーファーストとは、男性が先を行くことなんです」


 「そうなんですか? どうして?」


 「階段を上る際には、男性が後ろを歩いていると、女性の後ろ姿をじろじろと眺めることになりますし、例えば階段を踏み外された場合、男性が後ろにいれば支えてあげられるでしょう?」


 「なるほど」


 「レディーファーストが生まれたヨーロッパでは、階段は狭かったりすることが多かったんです。

  階段を降りる際には、前から上がってくるひととぶつかったりすることもあったそうですし、そういう場合も、今みたいに男性が前を歩いていると回避できますしね」


 「ここは、日本ですけどね」


 「いいですねえ」


 「何がですか?」


 「僕、うららさんのそういう鋭い切り返し、大好きです」


 「はあ。そうですか」


 「ああ! そういう、で? なんなんですか? みたいな反応もたまらないです」


 「出島さんって、マゾかなにかなんですか?」


 「いえ、どちらかというとSだと思うんですけど、もしかしたら、うららさんが僕も知らなかった僕の一面を、新たに広げてくださったのかもしれません」


 「それは、全然光栄じゃありませんね。むしろ、迷惑です」


 「ああん! うららさん、好きです!」


 「出島さんは、気持ち悪いです」


 できるだけポーカーフェイスを装って、冷たい物言いを心がけているのに、なぜだ。

 どうして、冷たくすればするほど、前を歩いている出島はくねくねと歓喜に体をよじらせるのか。


 出島の顔は、残念ながらうららの好みである。

 それはもう、如何ともしがたい事実なので、この際受け入れるとしよう。

 さきほど龍神に誓った内容は虚偽だったことになるが、自己防衛のための嘘は許されるはずだ。

 そうやって建前でガードせねばならないほど、出島の容姿は、いちいちうららのツボをついてくる。


 しかし、だ。


 出島のその変態性も危険性も、たとえうららが人生経験の浅い女子高生であっても理解できるくらいに分かりやすく、そして極力、彼に関わらない方が良いであろうことも明白だった。


 出島の顔になど興味はないと証明できれば、うららが出島に対して恋愛感情または恋愛感情の種になるようなものを持っていないと理解してもらえれば、出島はうららのことを諦めると言った。

 それはまさにうららにとっては千載一遇のチャンスであると同時に、生死の境目になるであろう一瞬だ。


 たかだか容姿が好みだからといって、あんな歩く爆破物のようなひとに振り回されるのはたまったものではない。

 王子様のような彼氏がいる刺激的な日常よりも、周りの男性が全員へのへのもへ字に見えるくらい平凡な毎日の方が、うららにとっては価値がある。


 失敗は許されない。


 高校受験のときだって、相当に頑張ったと自負していたけれど、今このときのプレッシャーに比べれば受験勉強はまだ楽だったかもしれない。


 出島さんは、やばい。

 色んな意味で危険すぎる。

 これから、あんなひとと関わったら、私が目指している平穏な高校生活は藻屑と化してしまう。

 なんのためにあれだけ受験勉強を頑張ったと思っているのだ。

 すべては、平々凡々な日常を得るためだというのに。


 うららさんにだったら、蹴られても嬉しいかもしれません♡などとのたまっている出島の後頭部を見ながら、うららはもう一度、戦略の確認を行った。

 目標は、出島のうららにたいする不可解な興味と行為をなくさせること。

 そのためには、出島に対して、うららが動じないことが一番だ。

 そして、その上で、出島に嫌われるとなお良い。


 いいこぶるな。流されるな。

 冷たくても、酷くても、性格悪くても、思ったことを全部言う。

 遠慮するな。強気でいけ。


 脳内の青本コーチが、うららに対して喝を入れる。

 押忍!と野太い返事を返して、うららは人知れず深呼吸を繰り返す。


 「ああ、やっぱり日陰は楽ですね」


 橋の下は、たしかに日光から守られていて、湿気はそれなりにあるものの、河からの冷気もあり、適度に風も抜けていて気持ちが良かった。

 たくましく上を目指して生えている雑草の上に、そっとスイカを置くと、出島はパンツのポケットからコットンのハンカチを取り出すと、河の水につけて濡らした。

 それを軽く絞って、頭頂部——さきほど河童の皿があると言っていた場所——に乗っける。


 「ふわぁぁぁ。生き返ります〜」


 聞いているこちらもぐにゃりとしてしまいそうな柔らかい口調で言って、シャツの袖をまくりあげる。

 綺麗な顔の持ち主には、綺麗な身体もくっついてくるものなのか。

 少し離れた場所で一連の作業を見ているうららから見える出島の二の腕は、細くもなくムキムキでもなく、美術の教科書に出てくる大理石の彫刻のような滑らかな線を描く美しいものだった。


 「まだ水が冷たいままで気持ちが良いですね」


 「そうですね。今が一番、水の温度が気持ち良い時期かもしれません」


 出島の二の腕に毒気を抜かれて、つい普通に応対すると、出島はこぼれんばかりの微笑みをうららに向けてきた。

 ズガギューン!という擬音語が脳内で聞こえたような気がするが、と同時に、はたと目を覚ましたうららは、おもむろに唇をとがらせて鼻で笑った。


 「まあ、そんなのも一瞬で、すぐにこの辺もむわっと湿気て、河から変な異臭がして、歩けたようなもんじゃないですけどね。蚊もすごいし」

 

 「じゃあ、僕はラッキーでしたね。

  そんな良い時期に、こんな場所に、うららさんと来られるなんて」


 「は、な、何を言ってるんですか。普通ですよ、普通。こんな、なんの変哲もない場所」


 「うららさんと来られるんなら、どんな変哲な場所も特別な場所になってしまうような気がします」


 二の腕を惜しげもなくさらし、河の水でぱちゃぱちゃしながら、さらりとそんなことを言ってのける出島は、どう贔屓目に見ても美しかった。

 彼の危険さを身をもって体験していなければ、今頃、うららだって目をハートにしていたに違いない。

 しかし、ここでほだされては、戦略が崩れてしまう。

 鬼になれ、鬼になるのだ!と自分を鼓舞して、うららはありったけの皮肉を放つ。


 「出島さんって、脳みそにお花畑でも詰まってるんですか」


 「そうかもしれません。

  お花のひとつひとつがうららさんによって咲かされる、非常に幸せなお花畑ですけどね」


 手強い。


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