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「うらら!」
教室に入るなり、サナが駆け寄ってきた。
両腕を開いて、うららの首に抱きつく。
ヘアコロンかシャンプーか。
ふわりと女の子らしい匂いが鼻孔をくすぐる。
「おはよ、サナちゃん」
「びっくりしたよー。風邪だったの?」
「うーん。そんなものかな」
うららよりも少し背の低いサナは、首に手をかけたまま、顔だけを離して苦笑するうららを見つめた。
そして、にやりと口元を歪める。
「なに」
「おめでと!」
その意味を計りかねてうららは顔をしかめるが、サナはさっさと手を離してきびすを返してしまう。
その後を追う形で席につくと、背後からイスを蹴られた。
「おはよう、うらら」
「おはよう、玲子ちゃん」
「……へえ」
「え、なに? なんなの?」
片頬をついた玲子は、振り返って挨拶をするうららをまじまじと見つめて、感慨深そうに言う。
これまた意味がわからなくて、うららは抗議の声をあげるが、ちょうどそのとき、担任の教師が入ってきてしまったので会話は中断された。
結局、二人がなにを納得し、なににおめでとうと言っているのかが分かったのは、昼休みだった。
「うららさ。昨日、出島さんとなにかあった?」
唐突にサナに聞かれて、うららは今日の弁当の主役であったミニハンバーグを盛大に吹き出し、そして激しくむせこんだ。
玲子が、お茶を手渡してくれる。
どうやらハンバーグは食道ではなく肺に間違って入ってしまったらしい。
しばらく咳が治まらず、やっとのことで落ち着けて、飲み物を口にする。
咳のせいで涙目になったうららは、素知らぬ顔でサラダを口に運んでいるサナを恨めしげに睨んだ。
「素直でわかりやすい反応、どうもありがと」
そう言って歯を見せるサナは完全無欠の美少女だが、同時にうららの神経を逆撫でする。
「サナちゃん!」
「まあまあ、うらら。
サナが聞かないんだったら、私が尋ねようと思っていたところだ」
「玲子ちゃんまで!」
よく言えばトレンドに強く、悪く言えばミーハー気質のサナが、うららに何らかのゴシップの匂いを感じ取ったとき、こうやって突然にからかってくるのはいつものことだが、硬派な方の玲子ですらその片棒を担ごうとしていたと知って、うららは少なからずショックを受ける。
やれやれと首を振りながら、お茶が入ったペットボトルの蓋を閉めた。
「で?」
「なにがあったんだ?」
「な、なにもないって!」
「うらら。あたし、うららのことは好きだから、できるだけうららが嫌がることはしたくないと思ってる。
でも、これは別。特ダネの匂いがする」
「サナちゃんはいつからパパラッチになっちゃったの」
「うーん、今日だけ?」
「なんで!」
「サナの気持ちも分かるぞ、うらら。
私も、久々に他人の事情に首を突っ込みたくてうずうずしてる」
「勘弁してよー」
情けなく眉をハの字にして根をあげれば、玲子は表面上は同情的な視線を送ってくる。
「言いたくないなら、質問形式にしよう。
これから私とサナが、うららに質問をするから、それに答えられるだけ答えてくれ。
あとは、私たちで結論を導き出す」
「え、なにその私にばっかり不利な楽しくなさそうなクイズ」
「じゃあ、はりきっていってみよう!」
「サナちゃん! 私、まだやるなんて一言も言ってないよ!」
「第一問! 昨日、出島さんと会いましたか?」
「うう」
人差し指を空にかかげて、ノリノリでクイズを始めたサナに、うららは困り果てた顔になる。
自分のことを話すのは、苦手だ。
自分で自分のことを、そこまで理解できていない認識があるから尚更だ。
「うらら。諦めろ」
玲子が、追いつめられた犯人に手錠をかける警官の声でうららの肩に手を置く。
「本当に言いたくなかったら、言わないからね」
「オッケー」
「もちろんだ」
ため息混じりの妥協案に、サナと玲子は快諾で応じる。
「昨日は、うん。出島さんに、会った」
「では、次。一昨日、もしくは昨日、うららにとって精神的ダメージを受けるような何かが起こったか?」
「え? ど、どういう意味?」
核心をついてくる玲子の言葉に、うららは狼狽える。
河童が経営する河童のための会社に連れていかれて、色々と極秘情報を教えられてしまったなどと言ったら、どれだけ聡明で友好的な友人たちでも、うららのことを頭のおかしいこだと思ってしまうだろう。
でも、その部分に触れなければ、うららが心理的ショックを受けた理由を説明できない。
逡巡していると、玲子が笑った。
「説明してくれと言ってるんじゃない。
あったかなかったか。イエスノーで答えてくれればいいんだ」
「あ、そういうこと……。
じゃあ、イエス。
その内容については、これ以上つっこまないでくれる?」
「うん、いいよ。
出島さんに会って、しかも何かショックなことが起こったんだ」
「う、うん……」
「ああもう、まどろっこしい!」
急に玲子が大声を上げて、両手をわきわきと宙で動かした。むしゃくしゃが臨界点に達するとする仕草だ。
「もうだめだ! 自分から言いだしておいてなんだが、待てない!
注射だって一瞬だ。
回りくどいことなどせずに、さくっとすませてしまえばいいんだ。
単刀直入に聞こう。
うらら、もしかして出島さんと両思いになったんじゃないのか?」
「へ?」
なななななな、なに急に、そそそそそそ、そんなことあるわけないじゃない!
イライラしていた玲子以上に、うららは両手をぶんぶんと胸の前で振り回して否定したけれど、その唐突などもり方に瀕死のロブスターのような顔色が、玲子の質問が核心をついたどころか真実を突き止めてしまったことをその態度で示してしまう。
「やっぱりなー」
「さもありなん、だな」
うんうんとお互いを見やって頷きあう二人を、うららはポカポカと叩いた。
「ち、違、でも、付き合ってるとかじゃ、ないんだからね」
「そう思ってるのはうららだけだと思うなあ。
あれでしょー? おおかた、出島さんに好きです好きです大好きです! って迫られて、うららはタジタジになっちゃって、そしたら出島さんにうららさんは僕のこと好きですかとか聞かれて、答えないわけにもいかなくなって」
サナの言葉のバトンを、玲子が引き継ぐ。
「それで、うららのことだから言葉として好きというのには抵抗があるからとかなんとか理由をつけて、完全に出島さんのことが好きだという表情で、嫌いじゃないとか答えたんだろう?」
「そしたら、出島さんも嬉しくなっちゃって、うららさん、ぎゅーってしていいですか? とか聞かれて、うららも反抗しなかったんでしょ」
「ん? その顔は当たり……いや、違うな。そのあと、キスも……」
「わーわーわーわーわー!!!!」
どうしてこうも、友人たちはその場にいなかったうららの人生の大イベントについて、ここまで詳細に想像できてしまうのか。
その想像が逐一当たっているから、余計に始末に終えない。
出島と汲汪沁として以外でキスをしたのは初めてだったので、それでなくても記憶が鮮明すぎて忘れようにも忘れられなくて苦労しているところだというのに、そのNGワードを玲子の口から聞いた瞬間、うららは両耳を両手で塞いで喚き散らした。
「ま、なんにせよ、おめでとう、うらら」
ニヒルとも取れる微笑みを浮かべて、玲子が言い、
「おめでとう、うらら。楽しいよ、恋愛は」
とサナが太鼓判を押してくれた。
そのときのうららは、これから自分がどんな運命に巻き込まれるかなんて知りもしなかったので、二人の悪意のまったくない言葉に、ようやくはにかみながらも笑顔を見せた。




