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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第五章 ヒロインの座は誰のもの?
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 どんな顔でそんなことをいけしゃあしゃあとのたまうのだろうと思って、半身で起き上がってみれば、出島はいたって真面目な顔をして座っていた。

 正座をしたまま、微動だにしない。

 うららに近づく気配もなければ、その窮屈な姿勢を崩す素振りもなかった。

 窓から差し込む弱い光が、出島の顔を半分だけ照らす。

 その陶器のような肌は、ぴくりとも動かずに、ただ一心にうららをその湖の瞳で見つめていた。

 湖の表面は波もなく穏やかそうに見えても、そこに足を一歩踏み入れれば、その中には何があるかなんてわからない。


 「なに」


 「なにを言っているのか、ですか? 

  うららさん、僕はね。すごくすごく後悔しています。

  うららさんを傷つけてしまったことを」


 「私、別に傷ついてなんか」 


 「嘘です。

  うららさんは、非常に理知的な方ではありますが、冷淡ではありません。

  ご自分で思っていらっしゃるよりもずっと、表情に出ていますよ」


 「お、大きなお世話です。

  悪かったですね、ポーカーフェイスのひとつもできなくて」


 「いえ、僕としては好都合です。

  肝心なところで口下手なうららさんですが、表情を見ていれば、ちゃんと思考はトレースできます。

  ある程度は、ですけど」


 「どうせ、私は底が浅いですよ」


 「うららさん」


 はじめて、出島が苛立った声でうららを呼んだ。

 その声のトーンに、思わずうららが体を強張らせる。


 「うららさん。あとでたっぷり、うららさんの言い分も聞きますから。

  今は、僕の話に集中してください。

  うららさんを傷つけてしまったこと、本当にごめんなさい。

  僕の本意からはまったくかけ離れたことだったのですが、僕の行動のせいだというのは自覚しています。ごめんなさい。

  もっと早くに、お話をするべきでした。

  僕が河童だという話も、もっと段取り良くお伝えするつもりだったんです。

  でも、なぜかあんなタイミングでお話してしまって……。

  そのせいで、うららさんは色々と、余計なことに気を遣ってしまわれたかと思います」


 両手を胸の前で開いてうららが口出しできないように牽制しつつ畳み掛けるように言って、ようやく出島は息をつく。

 息つぎのために黙っただけかと思っていたが、そこから次の言葉は容易に出ず、彼が言葉に迷っているのだとうららは知った。


 「出島さん」


 布団から手を出して、出島の膝に触れた。

 反射的に出島の手が、うららのそれに重ねられる。

 うららがびくりと震えて手を引くと、出島もそれに反応して手を引っ込めた。


 どうして出島に触れようとしたのか、自分でもわからない。


 「正直に、答えてください。本当に、正直に、ですよ?」


 「善処します」


 「あのね!」


 「うららさん。これも、全貌をお話しできないので信じていただくのは難しいのですが、僕の意思とは関係なく、現時点でお話しできることとできないことがあるんです。

  もし、今からうららさんがお尋ねになる質問の内容が、その核心に触れるようなことであれば、僕は、たとえ僕自身がうららさんにすべてを包み隠さずお話ししたいと、どれだけ切に願っていてもそれが叶わないこともあるんです。

  それは、了承いただけますか?」


 「了承できるように善処します」


 ふくれっ面で言えば、出島は初めて笑顔を見せる。

 はの字になっていた眉の間に寄っていた皺がなくなるだけで、その表情は優しく包み込むようなものになる。


 「それでは、お聞きいたしましょう」


 背筋を伸ばし膝を揃えて座り直し、ついでに両手を行儀よく膝頭の上に乗せる。

 出島がきりりと口を真一文字に結ぶのを見て、うららは吹き出しそうになるがすんでのところで堪えた。


 「私がバス停で出島さんと出会った時、出島さんは私が対薫だって知ってたんですか?」


 「…………」


 「答えられないんですか?」


 「…………」


 だんまりを決め込む出島は、その沈黙をもってして答えている。

 うららは深くため息をついてうなだれた。そして大きく、一度息を吐き切ると顔を上げる。


 「出島さんが、私に恋人になって欲しい理由は、私が対薫だからですか?」

 

 「違います!」


 大きくかぶりを振って、出島が例の段ボール箱に入れられて雨に打たれている子犬の瞳でうららを見つめる。


 「でも、出島さんは対薫に興味があるんですよね?」


 「研究対象としてです。

  例えば、蝶の研究をしているからといって、蝶と恋仲になりたいと思いますか?」


 「いや、それは。蝶々は虫じゃないですか。私は人間だし」

 

 「僕は、人間じゃありません。

  長い歴史の中で、人間のような容姿で、人間社会で生きて行く術を学んだ、人間でないものです。

  ここだけの話ですが、河童の中にも人間に対して好意的なものとそうでないものがいるんです。

  まだまだ、河童と人間の恋愛は多数派とは言えません」


 「でもそれって、出島さんと関係ないですよね」


 「どういう意味でしょうか」


 「それは、河童という種族の話であって、出島さんという個人の話ではないですよね? 

  私が聞いているのは、出島さんが、蝶の研究をしながら、尚且つ蝶に恋愛感情を抱くようなひとなのかってことです」


 「もちろんです」


 にこりともせずに即答してから、出島は顔の筋肉を緩めた。

 片手をおずおずと伸ばして、うららの指先に爪先をかける。


 「僕は、うららさんの、そういうところが好きなんです」


 「そういうところ?」


 「うららさんはとっても常識人で、世間体を気にされる割に、普通という言葉に惑わされずに個人のフィルターを通して理解されようとされます。

 河童はいない。妖怪は存在しない。そんなことを言い出す僕は頭がおかしい。

 そう思ってしまえば、もっと楽に僕と距離を置けたはずなのに、あなたはそれをしなかった。

 頭を悩ますことになっても、うららさんご自身の感覚を通して、僕という個人の言い分を聞こうとされた。

 それって、素晴らしいことです。今だってそうです。

 大多数の河童が、人間との恋愛に対して批判的だと言っても、それを僕に当てはめようとしなかった。

 あくまでも、僕の意見にこだわってくださっています。

 そういうところが、僕は大好きです」


 「そ、それは。その。私の性格というか。

  なんでも鵜呑みにしたくないっていうか。

  納得してからでしか先に進めないだけで……」


 「そう。それはうららさんの性格です。

  そして、そんな性格をしたうららさんが、僕という人格は大好きなんです。

  そこには、僕が河童だとかうららさんが人間だとか、そんなことは関係ないんです」


 「そ、それは理解できます、けど……」


 だんだんと熱の籠もってきた出島の言葉に、気恥ずかしくてうららは顔を上げることができない。


 「それだけですか? そこだけ? 

  だったら、もうちょっと聞いていてください。

  僕はね、うららさん。うららさんのことが世界で一番可愛いと思っていますが、それは容姿だけの話じゃないんですよ」


 「なんですか、急に」


 「うららさん、ご自分が対薫かもしれないって聞いたときに思われたんでしょう。

  ああ、それで僕がうららさんに執心しているのかって。

  自分は容姿に目立ったところもなく、恋愛経験も少なくて手慣れてもいないし、可愛げのない発言ばかりをしているから、僕がうららさんのことを好きなのは、対薫だからなだけだって」


 図星だったので、ますますうららは俯いてしまう。

 うららの指先、ちょうど第二関節から爪にかけてだけを、ゆっくりと出島の指が撫でる。


 「完全に誤解されています。

  その誤解を生んだ一因が、僕の失言というかタイミングの悪さでした。

  それについては陳謝します。ごめんなさい。

  でも、うららさんの誤解は、まったくもって根拠のない出鱈目で不必要な謙遜、もしくは自虐からきているものだと断言します。


  いいですか。第一に、僕はうららさんのことをものすごく可愛いと、美しいと思っています。

  うららさんがそれに無自覚なことが、それに輪をかけて色っぽく見せるので、こうやってうららさんにお話しして自覚症状を促すのも嫌なくらい、うららさんが時折見せる表情や仕草は、僕をそそりますし煽ります。

 

  第二に、うららさんの性格は僕の好みのど真ん中を豪速球で打ち抜いています。

  真面目なところも不器用なところも、妙に素直じゃないところも、だからって意固地になりきれない、他人にほだされやすいところも好きです。

  本当はすごく親切なのに、なぜか自分のことを冷淡だと思って、たまに悩んでいらっしゃるところも可愛らしいですし、恥ずかしがり屋なのに急に大胆になるところも素敵です。


  うららさんと会話していると楽しいですし、予想がつく箇所とまったく予測不可能な箇所があって、一緒にいてワクワクします。

  物事を客観的に見られるところも、他人の気持ちに対して共感的なのも素晴らしいですし、兄さんの話を一度であれだけ理解できるほどの頭脳をもちながら、僕が顔を少し近づけるだけで顔を真っ赤にして硬直してしまうのもぞくぞくするほど好きです。

 

  本当は、僕がうららさんのどこを好きかなんて、教えたくないんです。

  だってお話ししたら、それをしないでおこうとされるでしょう?」


 「あ、当たり前です!」


 「でも、僕は、うららさんがそうやって顔を赤らめたり、びっくりしたり動揺したり、怒ったり呆れたり、笑ったり睨んだりするのが好きなんです。

  僕の言葉に反応してくれるのが、何よりも嬉しいんです。

  無理をして無視されている姿も、可愛らしいですけど」


 「も、もう止めてください!」


 どうして出島がうららのことを好きなのか、まったくわからないと思っていた。

 もしそれが嘘ではなくて、演技ではなくて、どこかに欠片ほどの真実が紛れているのなら、それを知りたいとも思っていた。

 でも、いざ面と向かって長々と説明されると、恥ずかしくて憤死しそうだ。


 顔を真っ赤にして、空いている方の手で目元を覆ううららに、出島はくすりと微笑みかける。


 「じゃあお望み通りやめますから、うららさんも正直に答えてくださいね」


 「え、な、何をですか……」


 戸惑ううららの手を今度はしっかりと握って、出島が問いかける。


 「うららさんは、僕のこと好きですか?」


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