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「じゃあ出島さんは、自ら志願してこの村へ来たってことですか?」
スイカを抱っこした出島と並んで歩くうららがこの短時間で学んだのは、いつ何時発生するかわからない出島の、うららさん可愛いです攻撃が自分の心身に大打撃をくらわせること。
そして、それを避けるためならば、いっそのこと河童話に花を咲かせた方が、楽だし安全だということだ。
処世術ともいう。
そういうわけで、うららが必死に愛想笑いを浮かべながら、出島に河童に関連する話題を振ると彼は実ににこやかに話し始めて、うららの思惑通り、その発言内容にさえ気を回さなければ、ひどく穏やかな時間が流れていた。
「そうですね。先ほども申しました通り、今回設立された課が新しく、また、大々的に人員募集をかけられない内容のものでしたので、結局、僕だけしか志願していないんです」
「知られちゃダメな内容なんですか? 仕事内容が?」
「そう、ですねえ」
出島が小首を傾げる。と、前髪がさらりと揺れた。
たったそれだけの仕草が、悶絶しそうなくらい様になる。
「まあそのうち、知られるようにはなるかと思いますが、まだそれは先の話です。
それまでは、極秘任務というくくりになるのではないでしょうか」
「そんな極秘任務を、私なんかに話して良いんですか?
いえ、別に内容を聞いたわけではないですけど、でも、極秘任務って、極秘だってことすらも隠さないといけないんじゃないんですか?」
なんの気はなしに呟いた言葉だったが、出島は傾げた小首のまま、視線だけをうららに向けると、
「じゃあこれは、うららさんと僕だけの秘密です。
守ってくださいますか?」
目を細めて言った。
鼓動が速くなってしまうのをコントロールできない。
うっすらと赤くなった顔に気づかれるのが恥ずかしくて、うららは下を向いた。
「うららさん?」
「だ、誰にも言いません」
「ありがとうございます」
耳のそばでお礼の言葉を囁かれて、飛び上がりそうになるのを必死で抑えた。
つくづく、心臓に悪い。
何が一番始末に負えないって、そこかしこから漏れる出島のアクの強さを上回る、チャーミングさに対する耐性がうららにはほとんどないことだ。
こんなことなら、普段からクラスの男子ともっと積極的に関わって、男子耐性度を上げておくんだった。
あーあ、これでこの人が、普通に格好良いだけの社会人だったら、なんだか漫画みたいな展開なのに。
なんで自分のことを河童だとか言ってるんだろう。本当に惜しい。
ん?
今日は本当に良い日ですねとか、この河は素晴らしいですねとか、僕たち河童にとってやはり水というのは文字通り命の源でして、などと悦に入って話し続ける出島の声を遠くに聞きながら、うららははたと己の思考の問題点に気がついた。
私、いつのまにか、出島さんが河童だってことを認めていないか?
もしくは、河童って、もしかしたらいるかもねくらいには、出島さんの言うことを信用してしまっていないか?
うらら自身は、そんなものの存在をこれまで信じたこともなければ、いるかいないかと考えたこともないのにもかかわらず、だ。
やばい。これは、やばい。
気づけば、出島に流されそうになっている。
己のその位置に気づいたうららは、必死で頭を回転させた。
どうして? どこから丸め込まれそうになってるのだ?
河童なんているわけがない。
そして、いもしない河童の話をここまで延々と続けられるということはつまり、出島は思いつきの嘘をついているのではなく、誇大妄想とかそういった類のものをこじらせたのでは。
となったら、たとえ見た目が天使のようでも、住所を特定されるのは危ないのではないか。
まさかとは思うが、ストーカーとか犯罪者予備軍の人なのでは。
そうだ、そう考えると色々と辻褄が合う。
そもそも、うららのような何の変哲もない平々凡々な女子高生に、出会って数分で好きですなどと伝える男性は、やはり何かがおかしいのではないか。
もしかして、私、殺されるんじゃ。
もしくは誘拐されるんじゃ。
もしくは、誘拐されて監禁されて、挙げ句の果てに殺されるんじゃ。
ありえる。大いにありえる。
ここまで天使的な容姿で、ここまで絶望的に変態な言動をやってのける出島なのだから、もはや何でもありえるような気がしてきた。
うつむいたままのうららの顔が蒼白になるのを、にこにこ顔で口を動かし続ける出島は気付かなかった。
「あ、あの!」
「ですから僕は、河童と人間の架け橋になりたいと、そう考え……。
え? どうかされましたか、うららさん?」
「あ、あの、出島さんって、その、えっと、嘘をつくことについてどう思われますか?」
本当に聞きたい質問は、出島さんって犯罪に手を染めたことはありますか?だ。
「哲学的な質問ですね。うららさん、素敵です!」
「いや、そういうコメントを期待していたわけではなくて」
「ほう! うららさんは謙遜の美をすでにそのお若い身で習得された、気品ある女性なのですね。
ますます素晴らしい!」
「だから、その、そういう話でもなくて」
「分かります、分かります。皆まで言わずとも分かりますとも。
淑女たるうららさんですから、恥ずかしい思いをされているのですよね」
「そうですね、恥ずかしいのは本当です。
ただ、その原因は出島さんが作っていますけど」
「なんと!
まだ出会って一時間も経たない僕のような者が、うららさんの感情の変化の一因になろうとは!
感激です!」
「いや、そういう良い原因じゃないです。
主に、なんで私は出島さんと二人っきりで歩かないといけないんだろう的な、どこをどう間違って、今の私はこんな困った状況に陥っちゃったのかな、ああ全部出島さんが悪いんだったな、このひとと知り合いだと思われるの恥ずかしいなって、そういう感情なんで。
で、そこについては一因ではなくて、元凶です。
どう考えても、出島さんだけが理由ですから」
「ええ! 僕が、うららさんの心を独り占め? なんと!」
「だから! 違うって!
ひとの話聞いてます?」
「うららさんの可愛らしいお口から発せられるものだったら、言葉だけでなく吐息もすべて独り占めしたいくらい聞きたいです」
「キモい、キモい。
もう、どうしてくれるんですか。フォローの余地なく気持ちが悪いです」
「じゃあ、うららさんが僕を治療してください。ぐふふ」
「怖い怖い。
気持ち悪い上に怖いって、やっぱり出島さんは犯罪者なんですか?」
「犯罪者? はて。
うららさんへの恋心をもどかしく思うという罰は受けておりますが、僕とうららさんが恋に落ちたのは犯罪ではないのでは?」
「誰と誰が恋に落ちたんですか。私は、出島さんなんかと恋に落ちてません。
ていうか、フラグをへし折ったのは出島さんでしょう」
「どういう意味でしょう?」
「だから。出島さんの顔って、私の好みだし、初対面のときの立ち居振る舞いなんて王子様みたいだったし、こんなひとが本当に存在するんだってちょっと感動したのに、どんどん変態な言動が増えてくるから。
もしかして、私にも遂に恋愛の兆しがあらわれたのかなって思ったのに」
「へえええええええ。
僕の顔が、うららさんの好みなんですか。それは、それは……」
どんどんと脱線していく出島につられて、言葉を返していったうららは、いやらしく何度もうなずく出島の視線にようやっと己の失言に気付き、左手で口を覆った。
「他には? うららさんのお眼鏡にかなったところは、ないんですか?」
色っぽい声でにじり寄ってくる出島から逃れようと、歩調を速めるが、出島の長い脚はいとも簡単にそのスピードに追いついてしまう。
「ち、違います!」
「なにが違うんですか?」
「えと、全部です、全部。
今のは全部、全然、本当に、まったく意味のない言葉ですから。
忘れてください」
「えっと。何を忘れたら良いんでしょう?
たくさんおっしゃっていたので、どれを忘れれば良いのか分からないんですけど」
「出島さんの顔が好みとか、そんなこと、絶対にないですから」
「本当に?」
「本当です!」
「誓いますか?」
「は? 誓う? 誰に?」
「この村の守護神、龍神様に」
「龍神に誓えば良いんですか?」
「はい。誓えます?」
龍神は、何を隠そう、うららの実家が祀っている神だが、しょせん形だけに過ぎない。
そこまで迷信深くない。
必死で脚を動かし、競歩の体勢で歩く羽目になっているうららは、息を切らしながらも軽く鼻で笑った。
この粘着質な王子から逃げられるのであれば、いもしない龍神に誓うなど、簡単なことだ。
「誓います、誓います」
「龍神様に誓うっておっしゃってください」
「龍神に誓います!」
「なにを?」
ああもう。面倒臭い。
「出島さんの顔が好みだなんて、絶対ありえません。
顔どころか、見た目だって私の好みじゃないですって、龍神に誓います」
「もし誓いが嘘だと分かったら、なにを贄として差し出されるんですか?」
「は?」
「龍神様に誓いをされるということは、それが破られたときのことも考えておかなくてはいけません。
もしその誓いを破られたり、それが偽りであると発覚された場合は、それ相応の対価を捧げる必要があります」
「出島さんって、しつこいですね」
「よく言われます。諦めないで最後まで完遂できるのが、僕の長所です。
で、贄は何にされるんですか?」
「じゃあ、出島さんが欲しいものにします。
出島さんを拒否するわけだから、出島さんが私にしてほしいこと? みたいなのを贄にすれば、公平なんじゃないですか?」
「うららさん、思い切りが良いですね」
「よく言われます。で?」
「はい。では、そうしましょう」
でしたら。
そう笑顔で言って、スイカを片手で持つと、空いた方の手で出島はうららの手首を掴んで強引にその足を止めた。
「な、なんですか。手、離してください」
肩で息をしながら、うららが冷たく言い放つが、出島はその手の力を緩めなかった。まったく息の上がっていない彼は、
「では、今から試してみましょう」