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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第四章 スマートな誘拐、野蛮な求愛
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 風化し、空気に溶け込んだ出島には目もくれず、蒼平はうららを見つめて微笑みかけた。口元を歪めるだけだと目元にはなんの変化もないが、少しでもそれ以上に深く笑むと、途端に目尻が優しくなって顔の印象が変わる。メガネの奥にある双眸を魅力的な三日月の形にして、蒼平は拍手の真似事をした。


 「あ、あぅ」

 綾乃の方角から情けない声が漏れる。どこで仕込んだのか、白衣のポケットにはティッシュが入っていて、それを素早く取り出すと、彼女は形の良い鼻の穴から姿を現した赤い液体を押さえた。


 「またか、露井。君は本当に粘膜が弱いな。一度、きちんとした検査を受けたらどうだ?」


 いえ、粘膜の問題ではなくて、あなたの笑顔に綾乃さんは毎度やられているのだと思います!

 とは場の雰囲気からうららには口に出しづらく、鼻血を押さえている綾乃は小さな声ですみませんとだけ謝罪した。


 「青本君。さきほどの映像の要約、見事だった。それでは、あの映像では説明されていなかった事項を、私から話していく」


 組んでいた脚をほどいて、まったく無駄のない動きで蒼平が立ち上がる。綾乃からタブレットを手渡してもらい、彼女を自分が座っていたソファに勧めると、プロジェクターを『かっぱってなあに?』の提供会社の場面へと切り替える。NKC、NCoWM、ICoWM。NKCは出島たちが属している会社だとしても、あとの二つには聞き覚えもなければ見覚えもない。


 「NKCの正式名称は、さきほど地下のラボで話した通り。全日本河童委員会という。全国各地に散らばっている河童の生活状況は多岐に渡る。河童であることを公にしたまま暮らしている者も少数ではあるがいるが、その大部分は人間のふりをして、人間社会に溶け込んで生きている。だからこそ、NKCはそういった河童の安全を確保し、またルールを作り秩序を保つことで、河童の人権をこの人間社会の中で守ってきた」

 「NKCに所属しているひとと、していないひとの差はなんなんですか?」

 「NKC自らの推薦やスカウト以外では、自己判断だ。NKCは表向きはオーガニック系の会社として知られているが、それはここ二十年ほどの話で、それ以前は、水関連のトラブルを扱う土木系の会社だった。過去と現在では、NKCに所属している河童の質も違う」

 「大幅な転身だと思うんですけど、それってバレたりとか怪しまれたりとかしないんですか?」

 「青本君。私は、大多数の河童は、人間のふりをしながら、人間社会で生きていると言った。では、こうは思わないか? そのうちの何人かは、人間として社会的成功者になっている」


 綾乃に鼻血を出させないタイプの笑いを浮かべて、蒼平がタブレットを操作する。別窓で映し出されたのは、うららもテレビで見かけたことのある事業家だった。地域密着型の小さなホームセンターの経営主から始まって、水道管工事のスペシャリストに転身、今では全国にチェーン店を持つ大きな水道管工事専門の会社の社長だったと思う。


 「彼は、河童だ。無論、彼の正体について知っているのは、我々同族、そして同じ水妖の者だけだが」

 「ええ!」


 驚いて、ソファから立ち上がりかけたうららは、口をきれいなOの形にして、中腰で固まった。


 NKC自体が河童の秩序と安全を守るために設立されていて、それが表向きは河童で構成されているとは公表されていないのだとしたら、それを裏から守る別のものが必要になるのは明白だ。そういう意味では、画面で成功者独特の余裕のある笑みを浮かべている事業家のような存在は、河童たちにとってはなくてはならないものなのかもしれない。しかし、このレベルのビジネスマンが河童だということは、他の分野にも河童がいて、その世界を裏からコントロールしているのかもしれない。待てよ。蒼平は、事業家の正体について知っているのは、河童の他に、水妖だと言わなかったか?


 「水妖、ってなんですか」

 「君は、本当に面白いな。その体勢で、そんなことを考えていたのか?」


 目を細めて蒼平が、座れとジェスチャーを返してきた。大人しくそれに従うことにして、ソファに座り直したうららは、返答をじっと待つ。


 「水妖とは、ざっくりと言ってしまえば、水に関わる妖怪すべてのことを指す。河童は、この水妖の一部でもあるため、NKCは、子会社のようなものだ。母体は、水妖なのだから」

 「あ、さっき出てた、NCなんとかってやつのことですか?」

 「ふふ、鋭いな」


 科学部の部長という紹介だったが、蒼平はそれよりもずっと教師に近い雰囲気をしている。学校の教師というよりかは、厳しい家庭教師のような。出来の良い生徒にしか見せない笑顔で、蒼平がきゅうたん映画の提供社が映ったシーンを大きく映し出した。


 「NCoWMは全日本水妖委員会。ICoWMは国際水妖委員会の略称だ」

 「エヌカムとアイカムって読むんですね、それ」

 「正しくは、エヌカウムとアイカウムだがな」


 うららの発音を直してから、蒼平はまたもタブレットを操作する。画面には、様々な妖怪の姿が現れる。うららにも見覚えある、緑色の河童の姿の横に、龍や蛇に似たものや、アザラシに似たものがあった。


 「これらは、水妖の一部だ。水妖の生態は多岐に渡る。川辺に住むもの、海を住みかとするもの、雫のようなある特定の条件下の水の中でしか生息できないもの、そして稀に、水辺に住まわない水妖もいる。それらすべてを統合することはほとんど不可能だが、できるだけ、お互いに譲歩しあいながら折り合いをつけていこうと設置されたのがNCoWMとICoWMだ。管轄としては、NKCはNCoWMの直属の組織となる」

 「ていうことは、NKCが表向きはオーガニックのうんたらかんたらって体で活動を続けられるように、色々と根回しをしているのがNCoWMってことですか?」

 「察しがいいな。その通りだ。NCoWMとICoWMは、人間社会にはまったく認知されていない、表向きは存在しないことになっている組織だ。だからこそ、そういった情報戦に長けている」 

 「あれ?」


 ふと、なにかがよぎった。それは、直感というには弱く、思いつきにしてはしっかりしている。ただ、それを言語化するのは、逃げていく猫のしっぽをつかまえるような作業で、するりと去っていってしまう。


 「どうした?」

 「うららちゃん?」


 綾乃と蒼平、両方から尋ねられるけれど、一度逃した思考の欠片は、もう見つからない。消化不良の思いを抱えたまま、うららはかぶりを振って、なんでもないですと答えた。


 「この際、ICoWMは置いておくとして。どうして、NCoWMとNKCがそこまで密接な関わり合いをしているのか、じゃないの? うららちゃんが気になっているのは」


 ウッドデッキの方から、賢介が入ってきた。相変わらず足音が立たない。まるで、さっき取り逃がした思考の猫のようだ。賢介は、ゆっくりとした足取りで、うららのソファの後ろまでやってくると、うららの肩に両手を置いた。出島のそれよりもずっと骨太で、頑強な印象を受ける。


 「えっと……」


 賢介の言った言葉がトリガーになって、うららの思考の中で、猫がふたたび姿を見せる。今度は無理につかまえようとせずに、ゆっくりとそれと瞳を合わせる。手の中に入らなくてもいい。意思疎通が少しでもできれば。


 慎重に言葉を選びながら、うららは目を閉じて思考の欠片に集中する。


 「私が気になったというか、ふと思ったのは、NCoWMが表立って活動できないのは、その、所属している水妖の中に、反人間だったり、人間の姿になれなかったり、なんらかの理由で人間社会に溶け込むことができないから、だったりとかするのかなって。だとしたら、もしかして、河童は、人間に近い形で生きていける水妖なのかなって……。だから、その、賢介さんのいう通り、NKCには利用価値というか、NCoWMからの援助を受ける理由があるのかなって」 

 「うららちゃん、あなたすごいわね」


 綾乃が、目を大きく開いてうららを見つめている。背後の賢介も、嬉しそうな声を出した。


 「いやいや、予想以上の飲み込みの早さだよ、うららちゃん。浩平なんかにやるには惜しいね」

 「青本君の予想は、おおむね当たっている。河童は、人間との関わりが深い水妖で、その分、人間とのコミュニケーション能力に長けている。ここ百年、二百年ほどで、妖怪に対する人間たちの姿勢も随分と変わってしまった。旧制のやり方では生きていけなくなってしまった水妖も多い。海坊主なんかは、その大きさ故に、今では絶滅危惧種だ」


 その点、と言いながら、蒼平は窓際に移動して、もたれかかるように外に視線を向けた。ビル群の光にほんのりと照らされた蒼平は、白衣のカタログモデルのように美しい。出島といい、蒼平といい、こんなに美形の兄弟がいたら、さぞかし目立つだろう。さっき見せられた小さい頃の出島も、天使のように可愛かったし。天は二物を与えずというが、これほどまでに整った容姿の引き換えとして、彼らは常識を手放してしまったのだろうか。


 「河童は、すんなりと人間社会に溶け込めた。昨今では、河童のように人間と共存したいと願う水妖も増えている。そのために、NKCは人間社会の情報収集と、水妖が無理なく生きていけるためのサポート、つまり河童の場合だとサプリメントの研究だが、そういった研究成果を他の水妖にも当てはめられるようにとNCoWMから支援を受けている。まあ、ていの良い下っ端だ。河童というのは」


 自虐的に鼻で笑うと、蒼平は視線を室内に戻した。


 「黒本。悪いが、それを外へ出しておいてくれ」

 「了解です」


 それ、を指でさしたわけでも、目線を送ったわけでもない。それでも、蒼平の指示を受けて、賢介は軽く頷き、うららの背後から離れる。いまだに凄惨な悪魔の最期を保存した彫刻と化している出島を、賢介は軽々と持ち上げると、自身の肩に俵のように乗っけた。そして、入ってきたときと同様に足音を立てずに、ウッドデッキの方へと歩いていく。ガラス張りのドアを片手で開くと、ミニジャングルの中に設置されていた木製のベンチに出島を寝かせた。そのまま彼を放置すると、賢介自身は室内へと戻って来る。後手にドアの鍵をかけたのがうららには見えた。


 うららの隣のソファ、出島が座っていた場所に座るときも、賢介は音を立てなかった。うららの視線に気づいて、彼は例の極上ダークチョコの声音で、

 「大丈夫。ちょっと、浩平には黙っていてほしいだけってことだから。うららちゃんには、なんの危害もないよ」

 「でも……」


 その後を、どう続けていけばいいのかがわかっていたわけではないが、うららの言葉は結果的に、蒼平のそれに遮られることとなった。


 「ああ。言い忘れていたが、青本君。今、この部屋で君が見聞きしたすべての情報は、一般の人間には知られていない極秘情報だ。これらには守秘義務があるが、できなさそうなら言ってくれ。あとで君の記憶を消去しよう」

 「はあ?」


 その物騒な単語に反応したのか、それとも蒼平の能面が癇に障ったのか。どちらにせよ、うららは勢い良く立ち上がった。今度は中腰ではなく、しっかりと足を踏みしめて。窓からウッドデッキの方を確認しながら、蒼平はため息をついて、親指で唇をなぞった。


 「話はまだ終わっていない。むしろ、ここからが本題だ。なにせ、君に関することだからな。それらすべてを聞いた上で、秘密を守れるかどうかを判断すればいい。ああ……。記憶の消去について不安なんだったら、それについては保証しよう。記憶を消したとしても、君のこれからの生活には何ら支障はきたさない」

 「消すとしたら、どこから消すんですか」


 出島と出会ったことも、消されてしまうのだろうか。出島が河童だということを覚えていてはいけないのなら、出島と出会ったあのバス停からの記憶が全部消されてしまう。キラキラ光る太陽を、万華鏡だと言ったあの瞬間も。


 「どれだけの情報を、君が守れないと判断するかにかかってくるな、それは」


 唾をごくりと飲み込んだ。急に、喉が渇いたような気がする。のろのろと座りながら、うららは薄笑いを浮かべている蒼平を一度睨めつけ、そして背後のウッドデッキを振り返った。うららの位置からは、覆い茂った観葉植物たちのせいで、ベンチの一部分しか見えない。投げ出された出島の脚と靴が見えるだけだった。


 ようやく座り直したうららに、賢介が甘くとろける声をかける。


 「覚悟を決めようねって話だよ。うららちゃん」


 うららは、ぶり返してきた不安と緊張を感じながら、きつく唇を結んだ。想像していた以上に、河童の世界はややこしいことになっているらしい。河童のくせに。


NCoWMはNational Committee of Water-related Monsters

ICoWMはInternational Committee of Water-related Monsters

の略です。

あと一話で4章も終わり!のはず……。

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