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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第四章 スマートな誘拐、野蛮な求愛
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 うららたち四人を乗せたエレベーターは、途中、どの階に止まることもなく最上階に着いた。地下とはうってかわって、ふかふかと弾力のあるカーペットが敷き詰められた床は、全員分の足音を吸ってなお、静寂を作り上げていた。人気がないことには変わりはないらしい。


 高級ホテルのような、淡く柔らかい照明が照らす廊下を、蒼平を先頭にして歩いていく。重厚な木製の扉には金のプレートが掲げてあって、そこにMeeting Roomと書かれているのが見て取れた。目的地はここらしい。


 部屋の中は、ミーティングルームというよりもミニシアターのようだった。入ってすぐに目に入るのは、三つ並べられた一人用の革張りのソファ。背中を覆う丸いデザインで、赤茶色がきれいに光っている。扉から見て左側の壁面は、一面プロジェクター用だろうか、大きな白い布で覆われていた。目の前は、天井から床まで高さのあるガラス張りの窓。まだ日の暮れるのが遅いとはいえ、空はすっかり暗くなっていて、両親に送ったメールの返信をチェックしなければと思う。超高層とはいえないビルの最上階なので、他のビル群を見下ろすというよりかは、混在するビル群の中にいることを思い知らされるような景色だった。


 三つのソファの後ろ側、プロジェクターの真反対は、これまたガラス張りになっている。ただしこちらは、ウッドデッキに繋がっていて、大小様々な植物が所狭しと並べられたミニジャングルのような場所へと続いていた。


 部屋に入るなり、賢介はうららたちに後ろ手で手を振りながら、ウッドデッキに出てしまう。


 「賢介さんは、参加されないんですか?」

 「別段、彼にとっては新しい情報はないからな」

 蒼平は、咎めるでない口調で言い、出島も、

 「賢介はヘビースモーカーですからね。ここまで、大分我慢してたんじゃないですか?」

と気にとめる風でもない。窓とプロジェクターのコーナーにはもう一つ扉があって、そこから綾乃が現れる。室内の三人とウッドデッキの賢介の姿を認めると、うららに視線を定めて微笑んだ。


 「いらっしゃい、うららちゃん。準備はできているから、好きなところに座ってね」

 「はい……」


 好きなところと言われても、ソファはそもそも三つしかない。別に席順について話し合ったわけではないが、うららの隣には出島が座るような気がした。ソファは一つずつ区切られていて、各々少し距離をあけて置かれてはいるものの、手を伸ばせば充分に届く距離でしかない。うららのいつもの行動パターンでは、真ん中に座るのを避けてどちらかの端に座るのだが、そうすると、出島に隣に座られた場合逃げ場がない。自ら真ん中に座るのは、ひどく偉そうな所業に思えて気が引けたが、これも自己防衛のためだと思って自身を納得させる。


 「ここでも、いいですか……」


 ただ、そのまま座るのはあまりに失礼かと思って、蒼平を見ながら尋ねると、彼は例の能面のまま頷いた。自分は、誰の承諾も得ずに窓側の端に腰を下ろす。長い脚を組んで、膝の上で長い指を組んだ。なんというか、無駄のない体をしているひとだとつくづく思う。


 「じゃあ僕はここですね」

 口調こそ明るかったものの、出島の笑顔は引きつっていた。彼もまた、うららのように不安なのだろうか。何に対して?


 「じゃ、始めましょう」

 綾乃が、部屋の照明を落とした。室内の照明はなく、ウッドデッキとプロジェクターの光のみがある。ウッドデッキの床下に組み込まれた照明が、下からジャングルを照らしている。デッキの間からこぼれるような光が、賢介の黒ずくめのシルエットを美しく彩っていた。ただしそのシルエットがどちらを向いているのかは、うららの席からはわからない。


 手にしたリモコンのようなものを操作すると、プロジェクターに再生ボタンが映し出される。出島が隠していると思われること。蒼平がうららの洽雫のサンプルを欲しいと言った理由。賢介の言った、うららが勘付いているらしい事柄。それらすべてに対する答えが、今からこのプロジェクターに現れるのかと思うと、緊張しないではいられなかった。


 綾乃がリモコンのボタンを押すと、再生ボタンが消え、映像が映し出される。真白いプロジェクターに出てきたのは、大きくかかれたNKCの文字。提供という文字が出て、その下にNCoWMとICoWMと出る。聞いたことのないブランドだ。もしくは、会社か。


 小川がさらさら流れている場面になり、桃太郎の桃よろしくキュウリが流れてくる。画面中央まで落ちてきたところで、手書き風フォントでタイトルが現れた。


 『かっぱってなあに?』


 「……ん?」


 パステルカラー満載の雲が画面いっぱいに流れ始め、カメラはそのまま降下し、川辺へと近づいていく。川岸には緑色のマスコットキャラ的ななにかがいて、それがカメラに向かって手を振る。萌えアニメに近い作風のマスコットキャラは、その愛くるしい顔をこれまた画面いっぱいに映し出すと、


 『やあ! 僕、河童のきゅうたんだよ!』

とアニメ声で自己紹介した。


 「…………」


 横目で出島、蒼平、さらに視線を少し上げて綾乃を見るが、三人とも真顔で画面を見入っている。


 『今日は、僕たち河童について、きゅうたんと一緒にたくさんお勉強しよう!』


 「これ、なんですか」

 「河童の子供用教育映像だ。河童の生理現象や生態について、わかりやすくまとめてある」

 「馬鹿にしてます?」

 「なぜ?」


 ここに来るまでの不安と緊張が追い風となって、うららの怒りのスイッチをドミノ倒しに押していく。


 「私は!」


 右隣に座る蒼平のすました顔が最高に憎らしい。アイロンのかかったシャツもパンツも、磨き上げられた靴も、似合いすぎるほど似合っている白衣も、すべて憎らしい。そのきれいに撫でつけられたオールバックの髪をぐっしゃぐしゃにかき回して、泣き黒子と最強タッグを組んでいるメガネに揚げ物を触ったあとの手でべったべたに指紋をつけてやりたい。


 握りこぶしを太ももに叩きつけうららが声を荒げると、蒼平はちらりと綾乃に目配せをする。それを受けた綾乃は即座にリモコンのボタンで、『かっぱってなあに?』の再生を一時停止した。画面の中のきゅうたんは、無邪気にこちらを見つめたままだ。


 「色々と疑問に答えてもらえるからって聞いて、それでここにいるんですけど」

 「その認識で間違いはない」

 「だったらどうして、こんな」

 「かっぱってなあに?は、長い河童の歴史の中でも、最高傑作と言われる作品です。河童に生まれた者も、河童の生態を知る必要があるひとたちにも、簡潔にわかりやすく、それでいて専門用語も苦なく学べる教育用映像でありながら、優れたエンターテイメント作品でもあるんです」


 なぜか出島がきゅうたんの援護に回った。

 「出島さんも、これを見て育ったクチなんですか?」

 「いいえ」

 やんわりとかぶりを振って、出島は残念そうに、

 「製作されたのはほんの10年ほど前なので。これで育っていける今の河童の若者たちが羨ましいです」

 「ちなみに、製作者は私だ」

 かつて見るドヤ顔で、蒼平が目を細めた。


 「え? これのですか?」

 「そうだ」

 「きゅうたんの原作者が?」

 「私だ。脚本もキャラクターデザインも、私だ」

 「兄さんは、いつもは冷血蛇野郎ですが、キャラクターデザインの才能だけは認めています」

 もじもじしながら出島が言えば、綾乃まで、

 「部長の手がかけられた萌えは、究極ですね!」

 清々しい笑顔で、賛辞の言葉を浴びせる。蒼平は、ふ、とため息にも近い笑みを浮かべると、

 「きゅうたんは、その年のキャラクター賞ならびにベストスクリプト賞を受賞、また私も新人監督賞を与えられた」

 「処女作で三冠だなんて、さすが部長です!」


 脳内で出島に飛び蹴りを食らわし、綾乃にタックルをかまし、蒼平に鼻フックを引っ掛けてから、うららは唐突に悟った。河童たちの非常識に拍車をかけているのは、深刻なツッコミ役不足なのだと。


 「わかりました、観ます。観ればいいんですよね」

 「露井」

 「はい」


 げんなりと肩を落としたうららの暗い声に気も留めず、蒼平はほんの少し嬉しそうに綾乃の名を呼んで、映像を再生させた。


 物語は、きゅうたんが人間世界へと遊びに行ったある一日を切り取ったもので、人間とのコミュニケーションを介して、自分の特異性に気がついていくという内容だった。マスコットキャラの見た目はそのままに、話す人間に応じて自分の容姿を変えていく必要性や、川や噴水といった水が近くにない都会での身の振る舞い方なども学んでいく。最後は、特異である自分を認め、その上で人間社会で生きていこうと決心するきゅうたんのモノローグで終わった。


 非常に不本意だが、きゅうたんの声をあてている役者の演技が達者だったこともあって、少しばかり感動してしまった。


 「さて、青本君」


 言いながら、蒼平が片手を上げる。綾乃が室内の照明をつけ、にわかに明るくなった視界に、うららは目を瞬かせた。正直なところ、目尻に涙が浮かんでいたので、瞬きでごまかせるのはありがたかった。


 「今の映像を要約してくれ」

 「なんのためにですか?」

 「もちろん、君の理解度を確認するためだ。アウトプットなしのインプットだけでは、それは知識を得たとはいえない。確実に自分のものになっているかどうかをチェックする、簡単かつ手堅い方法は、情報を咀嚼し、他人に説明することだ。説明できれば、青本君の中での理解度は増し、また我々もどの程度の範囲、深さで理解されているのかを確認できる。その上で、もし補足説明が必要であれば、そのときに私が話す」

 「なるほど」


 蒼平の言っていることはもっともだと思ったし、合理的で効率的だとも感じたので、うららは小さく頷くと、脳内できゅうたんの話していた内容を整理した。できるだけ、簡潔に。


 「えっと……。河童っていうのは、水妖(すいよう)と呼ばれる妖怪の一種で、もともとは水神の一種だったと思われています。その縁から、龍神との関わりが深く、龍神は河童の上司ともいえる存在です。それから……。河童の後頭部には皿と呼ばれる洽雫(こうだ)および水分をキープする器官があって、ここが枯渇すると命に関わるので、炎天下の日だけでなく日照時間の長い季節や場所での長時間の活動には注意すること。その場合は、帽子などを着用すること。それが無理な場合は、洽雫を使って、人間には見えない幕のようなものを作って、日光を遮断することも可能……」


 話しながらも、頭をフル回転させる。記憶が鮮明である分、思い出すことは簡単で、またそれを自分自身の言葉に変換するのは楽しい作業だった。これを普段の勉強に活かせれば、もっと効率的に学習ができるかもしれないと、うららは脳内のメモに記す。


 「洽雫は、河童のにみに機能する生命エネルギーを指す言葉で、これは有機的存在から常に摂取することが可能。なので、通常の食事からも摂取可能です。ただ、幕を作るだとかで洽雫を過剰に使用した場合や、洽雫が減るような状況にあった場合は、食事ではなく、洽雫を摂取することが主目的の食事が必要になってきます。それが、汲汪沁(きゅうおうしん)。汲汪沁は、対象者の生命エネルギーを無理矢理奪う行為で、加減をコントロールしないと、相手の生命が危険にさらされます。汲汪沁には相手の同意、合意を得る必要があるけれど、そのためには、自分が河童であることをカミングアウトしなくてはいけなくて、それは、現代の人間社会ではあまり受け入れられないことだから、できるだけ避けた方が良い。それから、えっと、そう、もし緊急を要する場合であれば、カミングアウトをして汲汪沁を行った後に、もらった洽雫の一部を使って、相手の記憶を消去、改竄することも可能。あとは……。ああ、そうだ。汲汪沁の代わりになるサプリメントが研究開発されていて、汲汪沁に抵抗のある河童、または汲汪沁の対象者が極端に少ない場所で生活している河童には、NKCからサプリメントが支給される……。ただ、サプリメントはまだ完成品ではないので、過剰摂取やサプリメント依存による副作用も考慮して、適宜使用すること……くらいですか?」


 言い終えて息をつくやいなや、出島がスタンディングオベーションをし始める。早鐘のように両手を鳴らし、拍手の音が室内にエコーする。泣きそうな顔をして、いや、本当に目尻に涙を浮かべて、出島は感激に身を震わせていた。


 「素晴らしい! うららさん、素晴らしいです! ハラショー! ワンダホー! トレビアン! ベリッシモ!! さすがです、さすが僕のうららさんです!」

 「誰が出島さんのですか。ひとを所有物みたいに言わないでください」

 「僕はもうずっと、うららさんの所有物ですよ」

 「じゃあその権利を、今すぐ破棄します。ネットオークションに安価で出品します」


 「あの」

 蒼平をなんて呼べば良いのかわからず、うららが話しかけると、彼は意外にもすぐに察してくれたようだった。


 「あれを出島と呼んでいるのなら、私のことは名前で呼んでくれて構わない」

 「じゃあ、蒼平、さん。出島さんに精神的打撃を与えて、ちょっと大人しくさせられますか?」

 「もちろんだ。露井?」

 「了解です」


 うららの願いを快諾してくれた蒼平が、プロジェクターの横に立ったままの綾乃の名を呼ぶと、彼女は女神のような神々しさで微笑んだ。そして、手にしたタブレットを操作し、リモコンのボタンを押す。すると、プロジェクターに昔の映像らしきものが映る。


 『待ってよ、お兄ちゃん』

 さらさらの髪をなびかせて、少年とも呼べないほど小さな男の子がカメラに向かって走ってきている。半ズボンに靴下。それにストラップのついた革靴を履いたその姿は、ヨーロッパの古い映画に出てくる小公子のようだ。


 『ねえ、待ってってば。ぼくひとりじゃ、怖くて行けないよ』

 『またか、浩平。そろそろ、ひとりでトイレに行けるようになっておかないと、これからどうするんだ』


 カメラのすぐそばにいるらしい少年が、半ズボンの男の子を叱り付ける。男の子はすぐにべそをかきはじめ、顔を真っ赤にして泣きじゃくった。


 『だってえ、怖いんだもん。トイレ、暗くて、お兄ちゃんが、もしかしたら妖怪がいるかもって言ったから、怖くなって、それで、ひとりで行けなくなったんだもん』

 『おまえも妖怪だろうが、馬鹿が』

 『僕は妖怪じゃないもん、河童だもん!』

 『同じことだ!』

 『そんなのどうでもいいから、ついてきてよ、お兄ちゃん、トイレ一緒に行ってよう!』


 画面の中では、男の子がわんわんと声を上げて泣いている。もう一人の少年が、カメラのそばから離れて、男の子のそばへと歩み寄った。手を差し伸べて、

 『今日が最後だぞ』

 『うん! ありがとう、お兄ちゃん。大好き!』


 男の子が涙で濡らした頬のまま、めいっぱいの笑顔になったところで映像は途絶えた。


 「え、今のって……」

 プロジェクターを指差しながら聞けば、蒼平はメガネのブリッジを押し上げながら、

 「私と浩平の若い頃だ」

 「え? え? じゃあ、今の半ズボンのこが?」

 「浩平だ」

 「一人でトイレ行けないって言ってたこが?」

 「浩平だ」

 「わんわん泣いてたこが?」

 「浩平だ」


 堪えられなくって、吹き出してしまう。画面と蒼平ばかりを交互に見ていたが、うららは出島の方を振り返る。そこには、生ける屍と化した出島が拍手の途中で硬直したまま立っていた。そんな出島を見ながら、蒼平は心底楽しそうに、口元を歪める。そして、駄目押しの一言を口にした。


 「お兄ちゃん、大好き。か」


 瞬時にして色の抜けた出島の形をした屍は、どこから吹いたでもない風に、さらさらと流されていった。燃え尽きたボクサーというよりかは、エクソシストにやられた悪霊の最期を思い起こさせる。


 「蒼平さん?」

 「なんだ」

 「確かに出島さん、黙ってはくれましたけど。これって死んじゃってませんか?」

 「一時的にな」


蒼平さんがもらった賞は、それぞれ、特製きゅうたんマスコット、輝くシルバーきゅうりの像、龍神が彫られたシルバープレートとして、蒼平さんの家に飾ってあります。きゅうたんマスコットの置かれている場所は、もちろん寝室。彼もやっぱり、残念なイケメンです。イメージは、長谷川博己さん。

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