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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第四章 スマートな誘拐、野蛮な求愛
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7

なんだか若干、難産でした。

お待たせしてすみません><

  たった数時間ぶりに見る制服は、アウェイでしかないこのNKCの白い部屋において、うららにとっては慣れ親しんだくまのぬいぐるみのような感覚を呼び起こした。綾乃が、きちんと畳まれた制服の上下を、うららに手渡そうとして枕脇に置いた。それは、うららにとってはとてもありがたいことだった。受け取ろうとすれば必然的に手をシーツから出さなくてはいけなくなり、そうすると、何かのはずみにうららの体を覆っている布一枚がはだけてしまうかもしれない。そんなハプニングを虎視眈々と狙っている出島の視線に気付いたからだろう。綾乃の気遣いが嬉しかったし、出島の小さな舌打ちが恐ろしかった。


 「ありがとうございます」

 「どういたしまして」


 にっこりと微笑む綾乃は、やっぱり艶やかだった。同性の美人というのは、異性の美人よりも時としてインパクトが強い。うららは、訳もなく赤面して俯いた。


 「何をしている? 早く着替えたまえ。君には、即刻、尋ねたいことがあるんだ」


 長い腕を組んで、部長と呼ばれた泣き黒子の男性がベッド脇に仁王立ちになっている。うららから見て、男性の右隣に綾乃、左に賢介と出島が立っていた。


 誰一人として動こうとしない気配を察知して、自明のことだと思いつつも愛想笑いを顔に貼り付け、視線を扉の方に向ける。


 「えっと、着替えたいん、ですけど」

 「了解している」


 男性が即答した。その顔は、部屋へ入ってきたときと寸分違わない、精巧にできた人形のような無表情だ。


 「見られていると、着替えられないん……ですけど……?」


 もう一度、自明の理を口にすると、男性と綾乃が怪訝そうに首を傾げた。タイミングも同じなら、首を傾げた向きに角度まで同じだ。白衣をまとった美人二人が、ペンギンのように首を傾げる様はユーモラスではあったが、あいにくと、そのユーモアを楽しむ余裕はうららにはなかった。


 「皆さんはどうだか知りませんけど、私は、衆人環視で着替えるような趣味はありません」


 きっと、初めて火を起こすことに成功した人類が、こんな顔をしていたに違いない。


 かえすがえすも、河童の非常識っぷりは度を越えている。郷に入ってはなんとやらと言うが、ここはうららの新たな生活の場所ではないはずだ。そこまで迎合することもない。はずだ。


 皆まで言わなければいけないのだろうかと逡巡していると、救いの手は意外なところから差し伸べられた。


 「そうですよ、皆さん。こんなところで突っ立って、うららさんのことを凝視していては、うららさんがお召し替えになられないのも至極当然のこと。ささ、早く部屋の外へ。うららさんのお着替えが終わりしだい、お知らせいたしますから」


 ほうきで床を掃く動作で、出島が自分以外の河童たちを扉の方へと誘導する。扉を開けたまま、賢介の背中を押し、綾乃を手招きし、男性を追い払うようにしてから、閉じた扉を背にうららに向き直った。満面の笑みを見せて、うららを安心させるように両手を広げた。


 「さ、うららさん。もう大丈夫ですよ」

 「何で出島さんは出て行かないんですか」

 「え?」


 じっとりとした目つきのうららに、出島は生まれたての子鹿の目を向ける。この期に及んで無邪気な振りをする出島に、うららは髪を逆立てて怒鳴った。


 「出島さんも! 早く出て行ってください! 私がいいって言うまで、絶対に入ってこないでください!」


 文字通り飛び上がって驚いた出島は、そそくさと部屋から立ち去る。誰もいなくなった部屋に、うららの怒鳴り声が数秒間エコーしていた。


 「ったくもう!」


 早く着替えたかったけれど、それからゆうに一分間は扉を監視していた。結構きつめに怒ったけれど、立ち直りの早さだけはゴキブリ並の出島が、いつなんどき扉を開けようとしてくるかもしれない。


 どうやらセーフらしいと判断し、うららはようやっとシーツを握りしめていた手を緩め、傍らに置かれた制服を取った。手早く着替えて、ベッドに座って靴下を履いている最中に、扉が開いた。


 たたらを踏みながら、出島が入ってくる。その目は徹夜明けで原稿を書き終えた漫画家のように血走っている。やたらと胸を上下させて、息を切らしているのが嘘くさい。


 「うららさん、呼びました?」

 「呼んでませんけど。ていうか、出島さん、呼ばれてないって知ってて、今入ってきましたよね?」

 「え? な、なんのことでしょう」

 「こそ泥みたいなことしないでください。呼ばれた振りをして、あわよくば、私の着替えを狙ってただけでしょう? しかも、あたかも今は緊急事態みたいな、そんな三文芝居を挟んで」

 「うう……。だって……。うららさんのお着替え、見たかったんですもん」


 眉をへの字にして、人差し指同士をつっつきあいながら唇をとがらす出島を、うららは情け容赦なく切り捨てる。


 「もんとか言ってもだめです」

 「じゃあせめて、靴下を履いているところだけでも……」


 上目遣いでにじり寄ってくる出島は、殊勝なふりをしているが、その目が爛々と輝いているところからして、まったく懲りていないらしい。うららはわざと靴下を音速で履き終えると、四つん這いになりそうなくらいに腰を低くしていた出島の傍をさっと通り過ぎた。唖然としている変態さんに無視を決め込んで、扉を開いて、外で待っていてくれた三人に声をかける。


 「終わりました」


 扉の外には、ここへ来たときと同様、白い廊下が続いている。窓もないため、方角もわからず、今いる部屋がどの位置にあるものなのかもわからない。人気のない廊下には、文字通りひとの姿はなく、出島以外の三人の姿はどこにも見あたらなかった。


 廊下に出て、きょろきょろと左右を見渡す。耳をすましてみたけれど、ひとの声はしなかった。諦めて部屋に戻ろうとしたとき、廊下を曲がってやってくる賢介の姿が見えた。黒のレースアップブーツだったように記憶しているが、まったく足音が立たない。すべてが白い場所にあって、賢介の前進黒ずくめの姿は、夏の毛のままでいるテンのように違和感を感じた。


 「うららちゃん。着替え終わった?」

 「はい」

 「じゃあ、これ。どうぞ」


 手にしたプラスチックカップを手渡される。中には、湯気の立つミルクティーが入っていた。カップの中ほどを掴もうとしたら、あまりの熱さに顔をしかめる。賢介が笑って、カップの上の縁を摘むようにして持つといいよと改めて渡してくれた。湯気の合間から、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。


 「ああ、砂糖を入れたんだけど、なしの方が良かった?」

 「いえ、大丈夫です」

 「うららちゃんは、ベッドの上にでも座ってて。俺が、あの二人呼んでくるから」


 賢介の広い背中を見送りながら、気の利くひとだなあと感心していると、ふいに背後に気配を感じ、その主がうららの耳元に息を吹きかけるものだから、危うく紅茶を取りこぼしそうになった。主の正体は、確認せずとも出島だ。さりげなく肩に手をかけながら、うららの顔をのぞき込もうとする。


 「うららさんって、ああいうやつの方が好みなんですか?」

 「はい?」

 「ああいう、年がら年中黒ばっかり着て、煙草ばっかりバカスカ吸って、女性だったら誰でも良いと言わんばかりに良い顔をして、そのくせ女性に対してルーズな、八方美人の権化みたいなスケコマシ賢介の方が、好みなんですか?」

 「えらく悪意のある人物描写ですけど、賢介さんって、出島さんの幼なじみですよね」

 「だから、言えるんです。悪いことは言わないです、うららさん。賢介はやめておいた方が良いですよ」

 「そもそも、何の話をしているんですか?」

 「全身黒ずくめくらい、僕だってできます」


 言われて、賢介の服を着た出島を想像する。


 それはそれで、良いかもしれない。いつもの文学青年のような出で立ちの出島も、もちろん美しいけれど、賢介のようにハードな服だったら、渋さや冷淡さが増して、ミステリアスな雰囲気になるかもしれない。


 妄想の中の、陰を背負いつつニヒルに笑う出島に吹き出すと、当の本人は渋面で鼻水をすすりあげていた。


 「やっぱり、そうなんですね。うららさんは、ああいうスカした野郎がお好みなんですね。うう。正直、賢介みたいに根暗でむっつりのファッションは好きではないですが、うららさんが、うららさんがっ、それを僕に求めるとおっしゃるなら。僕だって、イメチェンのひとつやふたつ、やぶさかではないですとも。ええ」

 「求めてないです」


 紅茶をすすりながら、うららはきびすを返して、賢介の背中を憎々しげに睨みつけている出島を放って、ベッドの上に腰掛けた。鼻をぐしぐしとすすりながら、出島が隣に座ってくる。徐々に、徐々に、うららとの距離をつめながら、なおも泣き言を連ねる出島に、


 「出島さん。賢介さんに嫉妬でもしているんですか?」


 尋ねれば、出島は哀れなほどに狼狽した。ぶんぶんと両腕を振り回しつつ、両手と顔は左右に揺れている。


 嫉妬なんだ。


 さすがのうららにも、これだけわかりやすく取り乱されれば、出島が賢介にコンプレックスを抱いていることはたやすく理解できた。


 紅茶を一口、喉に通してから、うららは同情の微笑みを向ける。


 「わかりますよ、その気持ち」

 「え?」

 「賢介さんって、出島さんと全然タイプ違いますもんね。でも、出島さんがそれを気に病むことなんて、ないと思います」

 「うららさん?」

 「私もほら、サナちゃんと玲子ちゃんっていう、全然自分と違うタイプの友達がいて、しかも二人ともすごく魅力的ですし。たまにね、サナちゃんみたいに女子力高い系だったりとか、玲子ちゃんみたいに宝塚の男役系だったりしたら、私ももう少し自分に自信がついたのかなとか思ったりもするんですけど、でも、結局、私はあの二人にはなれないし、そもそも、ベクトルが違うじゃないですか。それと同じで、出島さんと賢介さんも、なんていうんですか、魅力のベクトルが違うから、それはそれでいいと思うんです。出島さんって、どっちかっていうと文学青年風の、物腰穏やかな王子様系と見せかけての、空気読めない変態さんだと思うんですけど、そんな出島さんが、ワイルド系の気配り上手な賢介さんに近づこうとするのは、やっぱり違うんじゃないかなと思うんです」

 「はあ……」

 「だから、出島さんは出島さんのままで、いいんじゃないでしょうか?」


 うららにしてみれば、最大限の励ましを送ったつもりだったのに、出島はどうにも微妙な顔のまま、うららを注視するだけだった。てっきり、出島のことだから、涙を流して感謝を叫びながら床をごろごろのたうち回るかと思っていたのに。


 怪訝に思っていると、出島が人差し指で頬を掻いた。


 「うららさんって、僕が思っていた以上に朴念仁なんですね」


 出島の、トイレトレーニングが中々上手くいかない子犬に対する愛情と同じ種類の匂いを醸し出す微苦笑に、このときのうららは気付かないでいた。その真意を問い質す前に、扉が開いて、白衣の男性を筆頭に三人が戻ってくる。賢介が扉を閉めなり、男性は、


 「青本君。早速だが、君の洽雫(こうだ)を少しくれないか」


とうららに顔を近付けてくる。


 「は?」


 河童に遭遇すると、後頭部から声が出るのが習慣になるんだろうか。そんなことを思わないではいられない。


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