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これまでにも、出島が常軌を逸した言動を取ることはあったし、冗談にしては度を超えたものもあった。その度に、うららが本気で怒ったり、怒ったふりをすると、出島はすっと一線を引いてくれていた。何度もしつこく構ってきて、面倒臭いことこの上ないけれど、でも、引き際をわきまえていてくれるらしいことはうららにとって出島への信頼感につながっていた。やや、屈折しているが。
しかし、今回は、なにを思ったのか、出島は布団の上から微動だにしない。それどころか、体育座りに座り直すと、どこか挑むような目つきでうららを見上げてきた。
「お話をお聞かせするもなにも、うららさんがおっしゃったことですよ?」
「私、嘘八百をサナちゃんと玲子ちゃんに言ってくれなんて頼んだ覚えはないんですけど」
「でも、夕食のときだけでも、友達みたいな感じで接してくれれば、それでいいっておっしゃってましたよね」
「そ、それは」
「ですから、夕食時の際は、それはそれは完璧な友人として接したつもりなのですが、なにか僕の態度に落ち度でもありましたか?」
ない。まったく、ない。重度の潔癖性のひとの家のように、夕食時の出島の態度には、落ち度と呼べるようなものは塵一つ転がっていなかった。悔しくて下唇を強く噛み締めると、出島はそれをうっとりと眺める。
「でも」
言いながら、うららは頭をフル回転させる。この性悪河童に対抗する術が、まだどこかに残っているはずだ。諦めるな。
「変な誤解を招かないように、とも私は言いました。いつ、私が出島さんにこの部屋に入るのを許可したのか、いつ、出島さんが私にお休みのキスとやらをしたのか、教えてほしいくらいです。どうして、よりにもよって私の友人に、そういう嘘を吹き込むんですか。迷惑です」
いつになく厳しい物言いをするうららを、サナと玲子が目を丸くして見つめている。出島にお願いをしてしまったことは事実だ。そして、その内容が卑怯であったことも認める。だからこそ、罪悪感を拭い去るためにも、身の潔白を証明しておきたかった。大事な友人たちには、自分がこんな変質者と恋仲であるなどと誤解されたくない。
「と、いうわけです。天野さん、稲川さん」
両脚をぎゅっと抱いて、出島がため息をつく。苗字で呼ばれたサナと玲子は、同情的な視線を出島に向けた。
「出島さんも、苦労しますね」
「いえいえ。うららさんに振り向いてもらえない僕が、不甲斐ないだけですので」
「出島さんの容姿は、うららにとってはどストライクなはずなんですけどね」
「容姿は嫌いじゃないと言っていただけましたけど、でも、僕の過剰な愛情表現がダメみたいです。精進いたします」
「え、なに、どういうこと?」
三人の会話の内容に、ついていけない。うららの目には、出島を励ます友人たちという図式に見える。それが正解なのかどうかは、ともかくとして。
サナが黒髪をかき上げながら、立ち上がった。うららの手を引いて、布団の上の密会に加わらせる。
「あのね。出島さんから、話は聞いてるの」
「どんな」
「出島さんは、うららのことが本当に好きなんだけど、うららは出島さんとまだ出会ったばっかりで性格が分からないと、恋愛対象としてはみられないって言ってて、それなら、出島さんが本気でうららのことを好きだって伝えて、わかってもらうまで頑張るって」
あぐらをかいた玲子が、その大人びた目線をうららに向ける。
「でも、好きだと伝えれば胡散臭いと言われ、近づけば気持ち悪い変質者だと扱われ、散々な目に遭ってるけど、やっぱり好きだから諦められないんだって。今回も、私とサナが、出島さんとうららが恋愛すればいいなって思ってるって言ったから、わざわざ、うららが出島さんに友人みたいに振る舞えって言ったんでしょ?」
「そう、だけど」
「それって、結構酷だよ、うらら。あたしだったら、好きなひとにそんなこと言われたら、その場で泣いちゃうかも」
「え、そうなの」
「そうだよー。だって、好きなひとなんだから、好きなんだもん。あのね、うらら。勉強にはこれ!っていう正解があるかもしれないし、合理性をつきつめても良いけど、恋愛にそれを求めてちゃダメだよ。恋愛って、もっと不条理で理不尽なものだから」
「そ、そうなの……?」
うららよりも遥かに恋愛経験値の高いサナにそう言い切られると、反論などできるはずもない。
「お休みの前のキス、なんて話は、出島さんの冗談だよ。この手の冗談をうららが嫌うからって出島さんが言うから、私たち、うららはそんなに心の狭い人間じゃないですよって笑ってたんだ。でも、たしかに、うらら、ブチ切れてたもんね。ちょっとびっくりした」
「それは、だから、過去にもそういうようなことをしたことがあるから……」
「そして、毎回怒られちゃうんです。それでも懲りない僕が、全面的に悪いんですけど」
「そんな! 出島さんは、全然悪くないですよ! 出島さんは、うららが好きなだけですから。心配しないでくださいね。うららって、ツンデレであまのじゃくで全然素直じゃないですけど、根っこはお人好しで正義感の強い、いいやつですから。根気強く出島さんの気持ちを伝えていけば、きっとうららも邪険に扱わずに、出島さんのことを真剣に考えてくれますよ。そこから、恋愛に発展するかどうかはあたしにもわからないですけど、でも、まずはうららに出島さんの気持ちが真摯だったことを伝えていきましょう。あたし、応援します!」
「ちょっと、サナちゃん……?」
「天野さん……!」
「そうそう。うららの恋愛してもいいかなって思える理想の男性像の容姿に、出島さんはオーダーメイドしたみたいにぴったりです。あとは、出島さんが、大人で、うららに理解があって、でも引っ張ってくれるようなひとであることを証明できれば、きっとうららもほだされ、じゃなかった、出島さんのことを恋愛の土俵に入れてくれますよ。警戒心が強いだけで、ひと嫌いじゃないですから、うらら。私もサナも、うららには良い恋愛が必要なんじゃないかなって話していたところなんです。そうしたら、もうちょっと頑ななところが取れて、妙に遠慮する癖とかが減っていって、生きやすくなるんじゃないかなと思ってて。だから、うららの恋愛対象としてふさわしい相手が現れるといいねって、この間も二人で話してたところです。その点では、出島さんは合格です。私も応援するんで、がんがん、うららを口説いてやってください!」
「玲子ちゃん……?」
「稲川さん……!」
お風呂上がりだというのに、どんどんと顔面の体温が降下していくのを感じる。絶望的なシチュエーションに、うららは蒼白になりながら、めいめいにうららに対する熱い友情を見せてくれる素敵な友人たちが、あろうことかうららの天敵である出島の味方になります宣言をしていくのを聞いた。対象的に、出島は例の西洋人のお祈りポーズで、サナと玲子を感動の面持ちで見つめ返している。
出島が二人に話した内容は、彼がうららに話した内容と同じだ。だからこそ、ややこしい。出島のことを受け入れられない理由に彼の変質的性格がランクインするのは間違いないが、それ以上に、うららにストップをかけているのが、彼が河童だという事実だ。
だって、河童だよ? あの、妖怪の中ではそこそこ有名だけど、良い意味で有名なわけでもなくて、どこか三枚目な雰囲気が拭い去れない、緑色のぬらぬらした、あれだよ? 出島さんの顔はたしかに超絶格好良いけど、でも、手とか湿ってるんだよ? 頭頂部に皿が付いていて、それが乾くと具合悪くなっちゃったりするんだよ? それで、その渇きを癒すために、コウダとかいうのが必要だからって、ひとにベロチューしてきたりするんだよ? そのくせ、今のはキスじゃありませんとか、しれっと言うんだよ? 意味わからなくない? ていうか、そもそも河童と恋愛って、初めての恋愛にしてはハードルが高すぎない? 普通、高校生で恋愛っていったら、クラスの同級生とか、部活の先輩とか、そんなのじゃないの? なんでよりにもよって、超弩級の容姿淡麗さを持った、ストーカー気質の河童と恋愛しなくちゃいけないの? そんなものに手を出したら、私、一生「普通」でいられない気がする。どんどんと、私が望んでいる普通と平凡と地味から離れていく気がする。
とは、言えない。なにせ、居候先であるうららの両親にも、出島が河童であることは隠しているのだ。サナと玲子に、そんな話をしても良いとは思えない。こにくたらしいことこの上ない出島ではあるが、そういうプライバシー侵害に興味があるわけでもない。
袋小路に追い詰められたネズミの気分で、うららは三人の顔を順番に見た。サナは、うららの恋愛がきっと上手くいくと信じて、期待に満ち満ちた顔をしている。玲子は、うららが緊張しているのは恋愛に対して奥手だからだろう、精一杯サポートするから安心しろと言わんばかりに、男前な微笑みを浮かべている。お祈りのポーズのままの出島は、それはそれは意地悪な顔をしているのだろうと思ったら、うららと目を合わせて寂しそうに微笑んだ。
それは、うららの心臓を掴んで、胸の辺りがきゅっと痛むような、そんな微笑みだった。どうして、そんな切ない顔をしているのかがわからない。でも、その顔をさせているのが、紛れもなく自分なのだとうららは理解できた。そして、その表情を和らげてほしいとも思う。
「だから。何回も言ってますけど。私は、別に恋愛至上主義ではないですし、彼氏が欲しいだなんて思ってもいません。でも、出島さんが、その、私のことを好いてくれているのは、えっと、認めているというか」
何が言いたかったのか、わからない。とにかく、出島がその切ない微笑みをやめて、いつものようにスキップしながら「うららさーん」とこちらに飛びついてくるだけの元気を取り戻してくれさえすれば、それでいい。そのために、何か、安心させるようなことを言いたかっただけなのだ。概要だけが決まっていて、内容が決まっていないために、うららは文の途中でおもむろに黙りこくってしまう。
助け舟を出したのは、サナだった。
「持久戦ですよ、出島さん」
明るい笑顔で、出島に向けてファイトポーズを取る。玲子も頷き、ぐいとうららの首に腕を巻きつけた。
「うららは、鈍感ですから」
「玲子ちゃん! 誰が鈍感だって?」
「うららのことだよ。ほら、無自覚な分、タチが悪い。出島さん、いけます。そもそも、うららの性格を考えれば、本当に嫌だったらこんな口数多くないですから。もっと当たり障りのないことばっかり言って、フェードアウトを狙ってきますから」
「そうそう。だから、出島さん。頑張ってくださいね! それから、うらら。うららも、頑張ろうね。自分が好きなひととできる恋愛は、恋愛至上主義じゃなくても楽しいものだから。確信なんて持てなくても、いいの。そうかも?って思うだけでいいから。ね?」
「うう……」
三人分、合計六つの瞳に穴があくほど見つめられて、うららはいよいよ追い詰められたのだと感じた。そして、真正面に座っている出島が、捨てられた子犬の顔でこちらを見ている。なにも望まない、ただ、善人であることを期待するような瞳。
「ぜ、善処、します」
絞り出した答えは、わあっと周りを喜びのオーラで包み込んだ。いえーい!とサナと玲子がハイタッチをして、その後、二人が出島とそれぞれハイタッチをする。そのアメリカンな空気は、うららにとっては胃もたれのするシカゴピザ以外のなにものでもなく、果たして今の答えが自分にとってどれほどの損害をこうむるものなのか、冷静に計算できないでいた。
出島は、うららが好き。うららは、出島が好きかどうかわからないけど、とりあえず、嫌いではない。出島は、うららに伝えるのが目的だと言っていたけれど、それは理解したように思う。そして、その後に出島が目指しているのは、やはり恋人関係なのだろう。それに対してうららは二の足を踏んでいる状態だが、出島と恋愛しても良いかどうかを、これからゆっくり考える。前向きに検討する、というやつだ。
大丈夫。まだ王手はかかっていない。挽回しようと思えば、できる。
大丈夫、大丈夫と己に言い聞かせ続けるうちに、ようやっと落ち着いてきた。なにも、今すぐ出島と恋仲にならなくてはいけないわけでも、出島の無駄にエロティシズム溢れる攻撃を正面から受け止めないといけないわけでもない。サナと玲子が応援すると言っているけれど、それはあくまでも、うらら本人がそれを求めていればの話であって、無理強いさせられるわけでもない。
「出島さん」
衆人監視の中、うららが口を開いた。出島が、うららの次の言葉を待っている。
「とりあえず、お友達からでお願いします」
座り直して正座し、昔見た時代劇を思い出しながら、三つ指をついて頭を下げた。出島もまた、居住まいを直して、うららに深々と頭を垂れる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
その滑稽とも思える生真面目さに、サナと玲子が堪えられなくなり、とうとう盛大に吹き出した。うららは拗ねた顔つきで、友人たちのからかいに応じる。それを見つめる出島は、やはりどこか寂しさの残る笑顔だった。でも、うららが恥ずかしそうに出島と視線を合わせると、それまでの陰りを払拭させるように、破顔してみせる。出島が、一度唇を引き締め、目を閉じる。もう一度開いたとき、そこには決意のようなものが見てとれた。うららは、無意識に出島の言葉を待つ。ちょうど、出島がうららの言葉を待ってくれていたように。
その時。出島の携帯が、ふいに鳴り出した。




