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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第三章 夏休みは猫を被って
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11

 夕食は、うららにとって天国のような時間だった。


 サナと玲子が来てくれたおかげで、母は、普段は面倒がって作ってくれない手巻き寿司を夕食に出してくれたし、みんなでわいわい言いながら好きな具材を寿司に入れて食べるのは、楽しかった。父の機嫌もすこぶる良く、奮発してくれたであろうリンゴ味の炭酸飲料をボトルで買ってきてくれた。話は、学校生活から神主の仕事にまで多岐におよび、頭の良い友人たちは、大人の会話にもすんなりと入っていってくれて、うららは内心、彼女たちのことが鼻高々だった。


 それよりもなによりも。出島の振る舞いは、一片の非も見当たらないくらい完璧で、夕食の間中ずっと、うららは感動していた。サナと玲子に、恋愛の話や過去の彼女の話などを振られても、困ったように微笑みながら、それでいて嫌な顔ひとつせず答え、しかも核心に触れるようなことはひとつも漏らさず、うららとの関係を聞かれても、徹頭徹尾、居候先でお世話になっている家族の娘さんに対して非常に感謝しています、というスタンスを崩すことなく、反対にサナと玲子に自分の話をさせるように持って行く。出島と話していると、いつも煙に巻かれたり、こちらの論理を逆利用されたりして腹の立つことが多かったが、それが自分のために作用しているのを見るのは、心地よかった。


 紳士的な振る舞い。どこまでも都会的な身のこなし。エレガントな仕草。貴族的な微笑み。これまで、うららが接してきたストーカー気質の変質者然とした出島とは、まるで別人だ。そして、別人の出島は、初めて会った時と同様、我が目を疑うかのように美しい、王子様のようだった。


 こんな物分かりの良い、プリンス出島だったら、お礼にキスをしても構わなかったかもしれない。


 ふと、そんな思いが心に浮かんで、うららは一人で赤面する。欲張りすぎた具材がはみ出てくるのを抑えながら、大きな口で一気に頬張った寿司の陰で、彼女は出島の唇を盗み見た。


 夕食の後、父がどこからかツイスターを発掘してきて、久しぶりに遊んだ。父はどうやら、かなりサナと玲子のことを気に入ったらしく、一緒にやろうと言い出したところを、母に半ば無理矢理、連れ去られていく。リビングを好きに使って良いと言ってもらい、ひとしきり、三人で嬌声を上げながらツイスターに興じた。


 風呂に誰が先に入るかで揉め、結局、ツイスターの成績順に入ることとなる。本ばかり読んでいるはずの玲子が一番体が柔らかく、一位。毎晩、ストレッチを欠かさず、週に三回はヨガをしているというサナが二位。結局、うららがビリで、風呂に入るのも最後となった。


 「はい、うららとこうたーい」


 白いマスクを顔に張り付かせて、サナが寝室にやってくる。サナのパジャマはパステルピンクのベビードール風上着に同色のかぼちゃパンツ。がさごそと持ってきたポーチを探って、マッサージ用のオイルを出すと、入念に脚のリンパマッサージを始めた。


 「早く入ってきなよ、うらら。まだおじさんたち、入ってないんでしょ?」


 うららの両親のことを気遣う玲子は、まるでおぼっちゃまのようなパジャマ姿だった。襟付きの半袖のシャツと、長袖のパンツはどちらも、ブルーのストライプ。生地は薄手ながら上質のコットン。上着の胸元には金色の刺繍がほどこされている。敷かれた三組の布団の端、窓に一番近い側に陣取って、うつ伏せに寝転がり、足をぶらぶらさせながら持ってきた本を読んでいた。


 「じゃあ、いってきまーす」


 うららも、自分のパジャマを掴むと、軽い足取りで浴室へと向かった。


 髪を洗っているときも、湯船に浸かっているときも、髪を乾かしているときも、歯を磨いているときも、うららは、気付けばにやにやと笑ってしまいそうになるのを抑えなくてはいけなかった。


 出島が、あれほど素直にうららのお願いを聞いてくれるなんて。夕食の彼の立ち居振る舞いを目の当たりにしては、サナと玲子も、出島がうららに対して特別な感情を抱いているとは言えないだろう。現に、夕食のあとからは、二人とも出島の話を一切口にしなくなった。


 計画通りだ。


 サナと玲子は、うららの大事な友人だ。しかし、うららにとって高校生活は、地味すぎるほど地味で、平々凡々としていて、ありきたりな毎日の連続であることの方が望ましい。まだ高校一年なので、そこまで勉学にがっついているひともいないが、これから学期が進むにつれて、みんな、自分の進路のことを最優先に考えるはずだ。それまでは、できるだけ目立たないように、ひっそりと楽しく生きていたい。そのためには、出島のような目立つ容姿と目立つ性格で、公言はしていないようだが目立つ職種の男性(しかも男性)と一緒にいるようなところを見られるわけにも、噂されるわけにもいかない。


 そうして、目立たない生活の中で、好きなだけ本を貪り読み、そこそこの成績を狙い、友人たちと無責任な話に花を咲かせたりして学校生活を謳歌するのだ。クラスにはいるけど、どんなひとだったか思い出せない青本さんとして。そうして、集団生活の中で、ゆるりと生きていきたい。


 ようやく、自分の思っていた未来が近づいてきたことを予感して、うららは腰に手をあてて大声で悪役風の笑い声をあげたい気持ちだった。


 出島には、色々と迷惑をかけられはしたが、今回の件で世話になったことは否めない。なにか、お礼をしなくてはいけない。河童だから、キュウリを大量にでもあげれば喜ぶのだろうか?


 吹けもしない口笛を吹きながら、正確には口笛のように唇を尖らせてでたらめな鼻歌を歌いながら、浴室に向かったときと同じくらいの軽やかな足取りで、うららは階段を上った。階段を上りきったところからでも、寝室から漏れる話し声が聞こえる。美容のために早く寝るというサナと、零時以降起きていられたことがないという玲子のことだから、てっきり、うららが戻って来るころには二人とも寝落ちしてしまっているかと思ったのに、どうやらお泊まり会は別のようだ。


 さて、どんな話をこれからしようかと、うららが心を弾ませて、一歩を踏み出した。


 寝室から漏れる人声の中に、ひとつだけ、低音のものが含まれている。まさか、父ではあるまい。となれば。


 可能性は、ひとつ。


 「何してるんですか、出島さん」


 ドアを開くなり、尖った声で糾弾してしまったのは、それだけうららが驚いていたからともいえる。玲子の布団と、どうやらサナの布団になったらしい真ん中の布団の上に、サナと玲子と出島が肩を寄せ合ってひそひそと話していた。電気が煌々とついていなければ、その姿はまるで、時代劇に出てくる悪代官と悪徳商人の密会だ。もしくは秘密結社の儀式、または不当な理由で少女を魔女裁判にかけようとする村人たち。たとえ顔が見えなくても、秘密裏に算段し合っている姿というのは、背中だけでもそうと判明するのだとうららは学んだ。


 「あ、うららおかえりー」


 お肌のお手入れを終わらせ、蛍光灯を反射させる勢いでぴかぴかになった肌で、サナが屈託なく笑いかけてくる。読んでいた本を枕元に置いて、玲子がほんの微かに口元を緩め、うららに向けて片手をあげる。


 そして。


 招かれざる客である出島は、夕食時と同じ服装でうららの姿を見上げると、ぱあっと顔を輝かせた。両手を西洋人のお祈りの形に組むと、瞳をうるうるさせながら、サナと玲子に話しかける。


 「うららさんって、いつも、何をされても何を話していらっしゃっても、何をお召しになられていても何を考えていらっしゃっても可愛いですけど、湯上りって特別ですよね。毎回、感動します」

 「ああ、やっぱりそういうもんなんですか?」


 玲子が冷静に尋ねると、出島は首が千切れるんじゃないかと思うくらいに強く、そして激しく、縦に何度も頷いた。


 「そうですよう!」


 そのまま、首を痛めてしまえばいいのに。苦虫を噛み潰した顔で、うららは思う。


 「よかったね、うらら」


 そう言うサナの表情からは、まったくもって悪意を感じない。心の底から、うららの幸せを祈るような、祝福するような表情だ。そう、まるで、うららと出島がすでにそういう仲であるかのような……。


 「出島さん。ここで何してるんですか」


 さっきよりもドスのきいた声で尋ねると、サナと玲子が首を傾げる。


 「どしたの、うらら。いつも、なんでしょ?」

 「は? なにが?」

 「いっつも、寝る前は、ここで出島さんにお休みのキスしてもらってるんでしょ?」

 「は? ……は? はあああああああ!!??」


 お休みのキス? 出島から? いつも? この部屋で?


 もし、アメコミのヒーローのように特殊能力が得られるのなら、目からレーザーが出ればいい。そうすれば、自分が風呂に入っている間に、サナと玲子を嘘偽りで言いくるめた出島を、この世から抹消してやれるのに。


 憤懣やるかたなく、うららは、ちらりと机の上に置いてあるペンたてに目をやる。そこには、シャーペンやら蛍光ペンやら定規やらの他にカッターナイフが差してあって、あれを使って出島を襲ってやろうかと、本気でうららは逡巡した。とりあえず、友人たちの前で血の海の惨事を起こしたくはないし、出島ごときのせいで犯罪者にもなりたくない。


 「うららって、本当に照れ屋だよね」

 「大丈夫だって。うららが出島さんと付き合ってたとしても、あたしたち、それについてキャーキャー言わないよ?」

 「そうだよ。ちゃんと、うららの望み通り、学校では出島さんのことは絶対に口にしないから。安心して」

 「いや、あのね。サナちゃん、玲子ちゃん。聞いてくれる? 出島さんになにを吹き込まれたか知らないけど、私は、そのひとと恋人関係とかじゃないから」


 どこまでも真っ直ぐな瞳でうららを見つめる友人たちに、うららは困惑しきった笑顔を向けた。うららにとっては紛れもない事実であり真実であることを述べるが、なぜか、二人とも、幼児がお手伝いをしようとして、逆に粗相をしてしまったときのような、ミスに対する圧倒的な大らかさを匂わせる笑みを浮かべている。それを助長させるかのように、出島が保護者に大人気の保育士的スマイルで、

 「ね? 僕の言ったとおりでしょう?」

と言うと、二人は訳知り顔で頷いた。


 なにがどうなっているのかは分からないが、とにかく、とてつもなく危ない状況に立たされていることは、ひしひしと理解できた。


 「出島さん。とりあえず、表出ましょうか。話、聞かせてくれますよね?」


 昔のヤンキー漫画みたいな台詞を口にして、うららはこめかみの血管をピクピクさせながら、親指で廊下を指差した。


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