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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第三章 夏休みは猫を被って
31/56

 「ちょっとちょっとちょっと!」


 ドアを閉めるなり、サナと玲子に両方の手といわず腕を引っ張られて、ローテーブルまで連行される。真ん中に鎮座させられたうららは、二人の友人に左右からにじり寄られ、居心地の悪い思いをする。まず口を開いたのはサナだった。


 「話が違うじゃない、うらら!」

 「ええ?」

 「ただの居候なんかじゃないじゃない、どう考えても超弩級のイケメンの居候じゃない!」

 「でも、居候がいるってことは嘘じゃなかったでしょ?」

 「そういうことじゃないから」


 興奮しきったサナを宥めるように乾いた笑いを上げるが、冷静な玲子にそれを阻止されてしまう。玲子が話している間じゅう、サナはずっと激しく首を振り続けていた。基本的なスタンスの似ている三人ではあるが、こと細かい点ではよく意見が分かれる。その度に、十人十色だよねとお互いに譲歩しあってきた。今のように、意見がぴったりと合致することの方が、珍しい。


 「なに、あの居候さん。うららの理想の具現化じゃん」

 「そうだよー! そこだよー!」


 玲子の指摘に、サナの賛同がエコーする。厄介なことになったと、うららは泣きたい気持ちだった。どうやって説明すれば、わかってもらえるんだろうか。あれは人畜無害なウサギの着ぐるみをきた、当代きっての変態さんなのだ。ウサギに騙されてはいけない。中身は、河童だ。


 「いや、あの、二人とも。落ち着いて。ね」

 「落ち着いているよ」

 「落ち着いてるから」

 「落ち着いてないひとが、そうやって即答するんだよ」

 「ああもう、禅問答みたいなのはいいから! うらら。理想の男のひとがあらわれたら、恋愛してみたいんだよね?」


 サナが詰め寄る。毎日お風呂でケアを怠らないと言うだけあって、近づけば、彼女の髪からはふわりと甘い、女性的な匂いがした。


 「そ、それは……」


 してみたい。気もする。彼氏が欲しい、とか、デートをしてみたい、ということではなくて。祖母が自身の結婚生活だったり、祖父の話をしてくれるときに、とても幸福そうな顔をする。満ち足りた、ひとと何かを比べての幸せではなく、ただただ、そこに在るだけの幸せ。そんなものが存在するのかと、祖母の表情を見て思った。そして、そんな気持ちを味わえるのなら、体験してみたいと思った。だから、もし、この人なら恋愛できるかもしれないと思える人があらわれたら、その人が奇跡的にうららのことを好いてくれるなら、二人でそんな贅沢な幸福を育てていけるのなら。それも良いかもしれない。そう思っただけだ。


 「とりあえず、あのひと、出島さんだっけ? 容姿は完全に、うららの言ったリストの全項目に当てはまるでしょ。あとは、性格だけだね」

 「玲子、うららの理想の男性の性格ってなんだっけ」


 目を閉じて、詩を暗唱するみたいに、玲子はサラサラとうららの発言をもう一度口にする。今度は、容姿に対する部分を除いて。


 「大人で、私に理解があって、でも引っ張ってくれるようなひと」

 「わかった」


 大きな両目をさらに大きくし、並々ならぬ炎をそこに宿して、うららの手を両手で握る。


 「あたしたちに、任せて」

 「え、な、なにを?」


 聞き返しながら、うららには見当がついていた。そしてその見当が、大きく外れていれば良いのにと心底願いながら、尋ねた。


 「ね、玲子」

 「おう」


 サナの手よりも大きな玲子の手が、もう片方のうららの手をしっかりと握る。玲子の両目もやる気に満ち満ちていて、それが余計にうららの不安を煽る。


 「私とサナが、出島さんがうららの恋愛対象として合格かどうか、しっかりと見定めてあげるから。安心しろ、うらら」

 「いや、あの、二人とも? なんで、そうなるの? たしかに、出島さんは見目麗しいひとなんだけど、でも、だからって、私、出島さんと恋愛したいだなんて一言も」

 「あのね、うらら。あたし、ずっと思ってたんだけど」


 手を握られたまま、サナが上目遣いに見てくる。こうして近距離でみれば、やっぱり可愛らしい顔立ちをしていて、このポーズでお願いをすれば大抵のひとが言うことをきくと本人が豪語するのも頷ける。


 「なに、サナちゃん」

 「うららって、鈍いでしょ」

 「は?」


 にわかに降ってきた失礼な言葉は、天井からタライが降ってきたのと同じ衝撃を、うららに与えた。


 「あたし、言ったでしょ、うららのこといいなって思ってる男子は、結構いるって。でも、告白とかされたこととか、ないんだよね?」

 「な、ない」


 というか、そもそも、うららに好意を持っている男子がいるということすら眉唾ものなので、告白しようとしている男子がいることが疑わしい。


 「なんでだと思う?」

 「実は私のことをいいなと思っている男子なんて存在しないから?」

 「はいはい。そういう、意味のない自虐はいらないから。答えは、うららがアプローチしにくいからだよ」

 「アプローチしにくい?」


 まるで、六法全書に書かれた法律用語のようだ。サナの言う意味がわからず、うららがおうむ返しをすると、玲子が助け舟を出してくれた。


 「声がかけにくいってこと。青本さんって、普通に話しかけたら普通に話してくれるけど、特別おれにだけ優しいってわけでもないし、格別おれにだけ笑顔が多いってわけでもないし、可愛いなって思うけど、告白とかして引かれてしまったらもっと困るから、まあいいか。告白とかするには、青本さんからの決定打にかけるんだよな。わざわざフラれたいわけでもないしな。みたいな感じで思われてるんだと思う、うららって。あと、周りの男子もうららには告白してないみたいだから、おれが我先にと声をかけなくても、まだ大丈夫かなって思われてるのもあると思う」

 「なに、そのめちゃくちゃ詳しい男子心理」

 「でさ、まあ、うららに声をかける勇気のないダメな男子は、ダメなままでいいのよ、別に。あたしだって、うららにはとびきり素敵な彼氏といちゃいちゃラブラブしてほしいし、うららが彼氏ののろけ話をしてくれるのを心待ちにしてるから。でもね、問題は、うららの性格」

 「性格? ていうか、問題って言った? 私の性格が問題?」

 「ほら、怒らないで聞きなって」


 玲子になだめられて、立ち上がりかけていたのをまた座り直す。グラスに残っていた緑茶を飲み干してから、サナはもったいぶった調子で話し始める。


 「そう。うららって、意見とかしっかり持ってる割には、肝心なところで主張しないでしょ? クラスの中でも、そう。反対意見を持ってても、大多数が賛成意見だと、妙に弱気になったり。そのくせ、賛成意見に鞍替えすることもあんまりないし。筋は一本通っているんだけど、その筋に、うらら自身が弱気というか、やや無関心というか。だからね。あたしが思うに、うららって自分が意識している以上に、恋愛には興味があるんだと思うの。でも、うららの方から積極的にその相手を探して、恋に落ちて、駆け引きして、なんてことはやらないでしょ?」

 「それは、そうかも」


 まだ出会って数ヶ月だというのに、驚くほどに精確にうららの性格を理解しているサナに、内心舌を巻く。感心した顔のうららを、今度は玲子がじっと見つめる。


 「だからさ。うららがもし恋愛するとしたら、相手からきてくれないとダメなんだと思うんだよね。しかも、できたら相手の方が経験値が高い方がいいと思う。そういう意味では、同級生とかじゃない方がいいと思う。お互いが探り探りの恋愛だと、うららはリスクが高いと思って、踏み出せないだろうから。そういう、色々なことを考慮すると、すでにうららが持っている理想の男性の項目にあてはまって、年上で、うららがビビる間もなく恋愛に引きずりこむような、そういう積極的なひとがいいんだと思うんだ。で。見たところ、出島さんってうららのこと好きでしょ?」

 「は? な、なに言ってるの? な、な、なななな、なにを根拠に」

 「最早、そのどもりがすでに根拠として数えられそうなくらい、怪しいんですけど。ま、いいや。だって、さっき出島さん、うららにキスしてたよね?」

 「へ? え、な、なんで? なんで知ってるの?」

 「あ、やっぱりそうなんだ」


 サナがにんまりと笑うのを見て、かまをかけられたことに気がついた。奇しくも、自らで暴露してしまったことに立ち直れず、うららはがっくりとうなだれる。さっきから雲行きが怪しい。外ではまだ降り続けている雨が、窓に雫の絵を描き殴っている。斜めに打ち付けられた絵の具のような水滴は、さながら抽象画のようだった。


 「そう落ち込むな、うららくん。あれはね、サナがドア越しにずっと二人の会話を聞いていて、うららの反応から推測したんだよ」

 「うららが嘘のつけないやつで、あたしは嬉しいよ♡」

 「ああああああああああああああ」


 二人に取られていた手を振り払い、両手を両耳にあてて大声を上げながら現実逃避すると、サナはケラケラと笑い、玲子はやれやれと溜息をついた。


 「違う、でも、キスっていっても、ほっぺたにされただけだから。本物のキスじゃないから」

 「うらら、うらら。落ち着いて。普通、そもそもほっぺたにキスもしないから」


 更に墓穴を深く掘り下げたことを理解すると、うららは真っ赤にした顔を、次は蒼白にして黙り込んだ。人差し指を口元にあてて、さも今思い出したといわんばかりに、サナが笑顔になる。


 「あ! そういえば、あたしと玲子がドアを開けたとき、出島さんって、うららの手を握ってなかった?」

 「違う、あれは、手首をつかまれて」

 「なんで手首つかまれたの?」

 「出島さんが、おいでおいでするから。なんだろうなって思って近寄ったら、急にほっぺたにキスされて」

 「そっかあ。急にされちゃったんだね。びっくりしたよね」

 「そう! びっくりした。だから、なんだろ、叩くつもりじゃなかったんだけど、手を振り上げて」

 「もう、なにしてくれてんのよーって感じでぽかすかやりたかったんだよね?」

 「そうそう! そうだと思う。そしたら、逆に手首を捕まえられて、それで……」

 「それで? 出島さんが、何か言ってきたとか?」

 「うん」

 「なんて?」

 「嘘なんだけど。出島さん、すぐに人をからかうようなことばっかり、言うから。絶対に嘘っていうか、からかわれてるだけなんだけど」

 「からかうために、なんて言われたの?」

 「だって、うららさん、僕と会えなくて寂しかったんでしょう? って」

 「うらら」


 出島の囁きを思い出したのか、恥ずかしさと悔しさがないまぜになった表情で、唇をとがらせるうららの肩に玲子がぽんと手を置いた。玲子の瞳は、真摯にうららを見つめているが、その意図がはかりきれない。首をつきだして目をぱちくりさせると、玲子は一言、


 「誘導尋問」


とだけ。


 「は! サナちゃん!」

 「あたし、なんにもしてないもーん。うららが勝手に喋ったんだもーん」


 半泣きで左隣に鎮座している小悪魔に抗議するが、小悪魔はけろりとした笑顔のままでしらを切った。そして、うららの太ももに手を置いて身を乗り出すと、同志に声をかける。


 「出島さんって、うららのこと、結構本気で好きかもね」

 「そだね」


 スキニージーンズに包んだ長い脚を床に投げ出して、玲子があっさりと肯定する。形の良い膝小僧に手を置き、目を細めて、サナに頷いてみせた。


 「玲子ちゃんまでー」


 少し瞳の潤み始めているうららからの嘆願も聞きとげず、玲子は人の悪い笑みを浮かべた。


 「うららの恋愛レッスン相手にしては、申し分ないな」

 「そだね。そのまま、本気になってくれても構わないしね」

 「というわけだ、うらら」


 またしても、両側から両手を取られ、うららはアイドル然としたサナの顔と、野生の大型ネコを思わせる玲子の顔とを交互に見やる。サナの相手を思わず笑顔にさせる黒目がちな瞳も、玲子の自身と意思に満ちた瞳も、今は不安を駆り立てるばかりの熱意に溢れている。本気で泣いてやろうか、とうららは考えた。


 「あたしたち、うららと出島さんの恋愛を応援するから」

 「全力で口説かれてこい、うらら。私たちがサポートする」


 まさかこんな展開になろうとは、誰が想像できただろう? そもそも、ドライにみえた友人たちが、こんなにうららの恋愛について興味を抱いていたなんて、露とも知らないでいた。しかも、今までほとんど家にいなかった出島が、なぜこのタイミングで帰ってくるのか。しかも、あんな、女子なら誰でも卒倒してしまうような、完璧なスーツ姿で。すべてのタイミングが、狂っている。うららに都合の悪い方向へと、タイミングがずれているような気がする。


 出島が、サナと玲子が、出島との恋愛を応援していると知ったら。


 それは深く想像しなくとも、うららにとっては非常にまずい、最低のルートに向かう豪速の列車に乗るようなものだ。


 それだけは、死守せねば。

 出島に、釘を刺さなければ。


 出島と、この二人が結託したら、ネコに追い詰められたネズミというよりも、ネコ科の動物全員の軍団にリンチされるネズミになってしまう。勝機がない。逃げ道がない。うららの人生におけるアルマゲドンだ。アポカリプスだ。世紀末だ。


 「夕食まで、まだあともうちょっとだと思うし、おかわり、持ってくるね!」


 立ち上がって言うなり、返事を待たずに、うららは盆を手に部屋を飛び出した。


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