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「は?」
後頭部の方から気の抜けた声が出る。
「え、っと……」
何か返さなくてはいけないと脳みそが早とちりして、結局、意味のない言葉を紡ぐだけに終わった。
出島はその神々しいまでに整った微笑みを浮かべたまま、うららの方を邪気のない瞳で見つめている。
「今、ちょっと、聞こえなかった……かも……」
「河童です」
聞き間違いであれば、空耳であれば、どんなにか良かったのに。
残念ながらそのどちらでもなく、しかも二度も同じ答えを聞いてしまった今、聞こえなかった振りをするという選択肢がなくなった。
「河童、ってお仕事だったんですか?」
「おお、素晴らしいご質問ですね、うららさん」
「ええ、そ、そうですか……?」
「河童というのはもちろん種族のことなのですが、河童のコミュニティというものが存在しまして、そちらに属する者。例えば僕ですね。
そういった者たちは、職種も河童になります」
「はあ……」
それ以外の相槌を思いつけない。
「河童のコミュニティに属するか属しないかは個人の自由ですが、種族としての存続も考えていかなければなりませんので、コミュニティでの労働義務はなくとも、年に一回、登録されている個人情報をアップデートすることが推奨されています」
「へ、へえ」
「今回、僕がインターンシップとして派遣された課は、まだ設立されて日が浅いので、僕の人格・スキルその他諸々の適性を判断するためのものだと思います。
でもね、うららさん。ここだけの話、僕、この課に向いていると思います」
もう一度、はあと返事をしようと思ったのだが、出島が期待に満ちあふれた目をこちらに向けているのを感じ、彼の求めている言葉をうららは口にしてしまう。
「なんていう課なんですか?」
「それは、秘密です」
語尾にハートマークがついた口調で、出島が肩をすくめる。
そんなアイドル然とした仕草でさえ似合ってしまうのだから、美青年とは恐ろしい。
河童だけど。
大分、アイタタタタなひとみたいだけど。
「本当に、河童なんですか?」
誘惑に耐え切れず、遂にうららは禁断の質問をしてしまう。
「はい、本当に本物の河童ですよ。
お会いになるのは、初めてですか?」
「いや、私と出島さんって、今日が初対面ですよね」
「今、なんて?」
「へ?」
この会話の流れにそぐわない眼光の鋭さで、出島がうららに詰め寄る。
誰か一人くらい目の前の道路を散歩してくれれば良いのに、そんな楽観的状況は訪れていないため、うららは一人ぼっちで、紛うことなき美形の、でもどうやら若干痛い人であるらしい出島に対処しなくてはいけなかった。
「うららさん。今なんておっしゃいました?」
「今日が、初対面ですよねって」
「その前です」
「その前?」
「さっきおっしゃられた文言を、一言一句正確に、もう一度おっしゃってください」
「えっと……、いや、私と出島さんって、きょ」
「はいストップです!」
優雅な手つきで制止のポーズを取ると、出島が更に一歩、うららに近づいてきた。
これで、手を伸ばせば、簡単に出島のシャツに触れられる。
身長差のせいで、近づかれると自然にうららは上目遣いになってしまう。
視線を上にやれば出島の整った顔が、視線を上げずにいれば出島の胸が眼前にせまる。
決して男性的とはいえない雰囲気の彼だったが、その胸板は意外と筋肉質で、同級生たちのそれとはやはり違う大人の色香がするみたいで、結局のところ、うららはどちらを向いても心拍数上昇からは逃れられないのだった。
「いや、の後、もう一度お願いできますか?」
もう大分前から雲行きは怪しいが、出島の挙動がどんどん変質者のそれに近くなってきていることに、うららも気付き始めていた。
というよりも、気付かざるをえない状況になってきていた。
「いや、私と出島さん……」
「ありがとうございます!」
更にぐいっと一歩踏み込んで、出島がうららの両手を取った。
あまりの速さに拒否する間もなく、体だけがびくりと反応する。
「……え? なにがですか?」
ちょっと、泣きたくなってきた。
でも、うららの直感が、ここで泣いてはダメだと警鐘を鳴らしている。
その理由は、後々になって判明するのだが。
「うららさん、初めて僕の名前を呼んでくださいましたね。
感激です。嬉しいです。感動しています。
今のをボイスレコーダーで録音して、毎日聞けるように保存しておけば良かったと後悔しています」
気持ち悪い。
つい数分前まで王子様だと思っていた都会人が、こんな変態じみたことを言うなんて。
あのとき、一瞬でも感じたときめきを返して欲しい。
両手を握られたまま失望するうららをよそに、出島は瞳を潤ませて、妙に蠱惑的な声音で続ける。
「ちょっと早いかなとも思うんですけど、でも、こういうのって、ビビビ!ってきたときが一番良いとも言うじゃないですか。
なので、驚かないで聞いてくださいね。
僕、うららさんのこと、好きです」
「は?」
本日二度目の、後頭部からの声だった。




