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にわかに騒がしくなった青本家の玄関にうららの母は立って、娘とその友達を出迎えた。
「おじゃましまーす」
声をそろえて言ってから、シンクロし過ぎだよと笑い合う。いつもはどちらかといえばクールな娘が破顔しているのを見て、母は気付かれないように微笑む。
「はい、どうぞ」
「いらっしゃい」
玄関に顔だけ出して、うららの父が挨拶をする。うららの友人、サナと玲子は声の方へと頭を下げて、また双子のように似た声音でおじゃましますと声をかけた。よそゆきの声を出しているらしい。普段は、まったく違う声の持ち主だから。
「夕食まで、あと1時間くらいだから、それまでくつろいでてね」
階段を駆けていく少女たちの背中に言うが、はしゃいでいる彼女たちの耳には入っていないようだった。
「青春ねえ」
独りごちて、来訪者たちに出すためのお茶を用意しに、台所へと向かった。
「うららんち、広いね!」
サナがマカロンの形をしたクッションを胸に抱いて、部屋の中をきょろきょろと見て回る。
「広くないよ。ていうかサナちゃん、あんまり見ないでよ、恥ずかしいから」
「なんで? なにか見られちゃまずいものでも隠してるの?」
玲子が荷物を部屋の隅へやってから、うららの首に手をかけて、からかう。
「エロ本とか?」
「男子じゃないし」
「自作のポエムとか」
「書かないし」
「日記とか?」
「書いたことないし」
「なんだ、つまんないの」
ぱっと手を離すと、玲子は窓辺へと向かう。窓からの景色を眺めている彼女は、サバンナの雌ライオンのように凛々しい。玲子には、女子のファンが多いというのも頷ける。うなじが見えるくらいまで後ろを刈り込んだ、ショートヘアーがよく似合う。
「こっちからは神社、見えないんだね」
サナと玲子。うららにしては珍しく、四六時中一緒にいられる女友達だ。といっても、四六時中いないのだが、そこがまた居心地が良い。小学校のときも、中学校のときも、女子とつるむということに縁がなかったうららにとっては、この二人はとても貴重な友人たちだ。いつも一緒にいなくても平気で、一緒にいないからといって仲良くないなんて思わないですむ。変に詮索されることもなく、私たち友達だよねと血判を押させられそうな剣幕で詰め寄られることもなく、世の中の一般的な女子高生としてはドライな関係なのだろうが、うららはひどくこの二人と一緒にいることが好きだった。
夏休みに入る前に、お泊まり会なんかできたらいいねとサナが軽く提案したのに、うららと玲子が賛成した。どうせなら、うららの家を見てみたいと玲子が言い出し、サナも、乗り気になった。そこで初めて、うららは自分の実家が神社であることを打ち明けた。うららにとっては、少し勇気のいる告白だったのだが、サナの返事は「へえ」で、玲子の返答は「あ、そうなんだ」だった。それにどれだけ、うららがホッとしたかわからない。
玲子の隣に立って、うららが指をさしながら説明する。
「神社は、ちょうど家の裏手になるから。私の部屋からは、村の方しか見えないんだ。もうちょっとあっちの方に、河があるんだけど、それもこっからじゃ見えにくいんだよね」
「隣の部屋からだったら見えるってこと?」
「ああ、そうだね。たしか、窓が中庭の方に向いていたから」
「隣って、あれだよね。例の居候さんが住んでるって部屋なんじゃなかったっけ」
マカロンのクッションは手放さず、サナが窓辺にやってきた。玲子とは対照的に、きれいに手入れされた黒髪を背中の中程まで伸ばしたストレートヘアーが、新人アイドルのようだ。現に、サナの顔は愛され系というか、いわゆるモテる顔をしていて、本人もそれについて謙遜しない。高校が始まってまだ一学期しか経っていないのに、もう校内で彼氏を見つけているのだから、やり手だ。と、少なくともうららは評価していた。
「うららのパパママも、進んでるよね。うちの親だったら、居候とかまずアウトだもん」
「いや、うちの両親が進んでるんじゃなくて、世間知らずなだけじゃないかな。もしくは、お人好し?」
「うららそっくりじゃん」
「玲子ちゃん、ひどい!」
「あはは、でもあたしも玲子に賛成—。うららのお人好しって、遺伝だったんだね」
「サナちゃんまで!」
「まあまあ、そんなに怒るなよ、うららくん」
宝塚の男役スターよろしく言ってから、玲子がうららの頭を撫でる。うららの肩に顔を乗っけて、サナも「怒るな、怒るな」と笑った。
お泊まり会を決めている最中は、はじめて友達が村にやってくることで頭がいっぱいで、出島のことを忘れていた。日程が決まったところで、ようやく彼のことを思い出したうららは、次に盛大に頭を抱えることとなってしまった。あの存在をどうやって話せば良いのか。岡崎がいたときは、岡崎が岡崎だから、つまり、出島の無駄に甘い発言や過剰なボディータッチに無頓着でいてくれたから良かったのだけれど、さすがにサナと玲子相手ではそうはいかないだろう。
必要以上に興味を持たれないように、うららは二人に話をした。出島という名の居候をしているひとがいること。男性であること。どこかの会社のインターンシップで、村の調査をするためにやってきているが、ほとんど仕事の都合で家にいないこと、などを伝えた。
事実、賢介が出島の引越しを手伝ってから、一緒に夕食を共にしたのは数えるくらいしかない。朝は、神社の境内を掃除するうららよりも早くに家を出て、夜は、うららが眠った後か、部屋で勉強をしているときに帰ってくる音がするくらいだ。村への交通手段は、夕方過ぎには途絶えてしまうので、一度、どうやって帰宅しているのかを尋ねたら、会社の車やバイクをたまに借りているとのことだった。
ドアにノックがあって、母が盆に冷たい緑茶の入ったグラスとどら焼きを載せて入ってくる。あんこだけでなく、カスタードやチョコレートの入ったどら焼きだと聞かされ、たちまち三人は嬌声を上げて、しばし無言でどら焼きに貪りついた。夕食前だというのに、結構な量のどら焼きをぺろりと平らげてしまう。食べても太らない体質のサナと玲子は、食に貪欲だ。ややあってから、部屋の真ん中に置かれたローテーブルを囲んで座っていたサナが、うららの部屋にないものを見つける。
「うららって布団で寝てるんだね」
「そうなの。サナちゃんはベッドでしょ? 玲子ちゃんは?」
「私? 私もベッド」
「いいなあ」
「うらら、ベッドで寝たいの?」
「憧れだよ、ベッド」
「そんな変わらないよ。私、おばあちゃんちが布団だからさ、おばあちゃんち行ったら布団で寝てるんだけど、どっちかっていうと、布団の方がよく眠れるような気がする」
食べ終わると同時に立ち上がり、依然として窓の向こうを見つめていた玲子が、肩を落としているうららにちらりと目をやった。窓の外に広がる空は、少しずつ夕暮れに向かっているようで、太陽が眠りにつこうと準備を始めているみたいだった。また、着いたときには晴れ渡っていた空は、雲が広がっていて、雨が降りそうな気配だ。
「ねえねえ、うらら」
さきほど、玄関先で出していたよそゆきの声を出したサナを、うららは警戒心たっぷりの表情で迎える。サナがこの声を出してくるときは、ろくでもないときだと、この数ヶ月で学んだ。
「居候のひとって、男のひとなんでしょ?」
「そうだけど?」
歯切れ悪く答えるが、サナはそれに気づいた風もない。代わりに、ニヤリと小悪魔の笑みを浮かべて、
「格好良い?」
「はあ? なに言ってるの、そんなの、関係ないよ」
「なんでー? 家に格好良い居候がいるのと、不細工な居候がいるんだったら、格好良い方が良いに決まってるじゃない?」
「サナちゃんの格好良いと、私のは違うもん」
「なんていうか、こう、涼やかなひとがいいの。髪の毛とかサラサラ〜ってしてて、睫毛とか長くて、唇もちょっと薄めで、中性的とまではいかないけど汗とかかかなさそうな感じで、都会的で、立ち居振る舞いが紳士で、笑顔が殺人的に可愛くて、でも大人で、私に理解があって、でも引っ張ってくれるようなひと? だっけ?」
玲子がスラスラと口にしたそれが、自分が夏休み前に口にした内容なのだと気づくのに数秒かかった。大型のネコ科を思わせる玲子は、その見た目から体育会系だと思われがちだが、本人はまったくスポーツに興味のない自称活字中毒者だ。しかも、特技が速読、趣味は記憶力の鍛錬、という変わった好みの持ち主だ。前にも、うららやサナがふとつぶやいた内容を一言一句正確に暗唱してみせて、二人の肝を冷やした。
「玲子ちゃん! そんなの忘れてよ」
「忘れるわけないじゃん。いっつも恋愛話になったら、サナにばっかり話させて、自分はおとなしく聞き役に徹するばっかりのうららが、はじめて、理想の男性についてあれだけ話したんだよ。私が記憶力悪くても、覚えておこうとするね」
「言ってたねー。あのあと、うららが帰ってからさ、あたしと玲子で、うららにも彼氏できるといいねって話してたんだよ」
「私は彼氏はいらないけどね。も、っていうのは、サナとうららってことだから」
独特の恋愛観を持つ玲子が、冷静にサナの発言の曖昧な部分を訂正する。
ポツポツと降り始めた雨は、次第に、しかし迅速にその足を早め、見る間に空は灰色の一人勝ちとなってしまう。オセロの真の勝者は、白でもなく黒でもなく、灰色なのではないだろうか。白にも黒にもなれる色。そんなことを考えて、玲子は意識をうららの方へと向け直す。
「ま、うららの理想の男性は、あまりにもレベルが高すぎて、正直、この地球上に何人いるかなって感じだけど」
窓辺に背中を向けて腕を組み、玲子が片方だけを上げるニヒルな笑みを受かべた。サナも、憐憫の表情を浮かべて、わけ知り顔で首を横に振る。
「いるにはいるんだろうけど、その人に出会う確率は、隕石に打たれるくらいに低い確率だろうしね」
「そ、そうだね。いないよね」
まさか、あの日言った理想の男性に、容姿だけはほぼ完璧にトレースしたひとに出会ってしまったとは言えない。しかも、それが居候なのだと、隣の部屋で寝ているのだとは言えない。それよりもなによりも、その性格にかなりの難があるとも、言えない。河童だ云々のくだりは、絶対に絶対に言えない。
高速で、何度も頷くうららに、二人が怪訝な顔をする。サナが素早く玲子と目を合わせ、視線だけの会話で、うららがなにかを隠しているらしいと情報交換した。ちょうど、サナの方が、うららに揺さぶりをかけようと口を開きかけた、そのときだった。
「あれ? 誰か来たよ。あれって、もしかして、居候さん?」




