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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第三章 夏休みは猫を被って
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  出島が淹れてくれたコーヒーは美味しかった。コーヒーの香りは好きだけれど、味が苦手だと伝えたら、温めた牛乳と砂糖に少量のココアパウダーをコーヒーに混ぜてくれて、はじめてコーヒーを美味しいと感じた。

 賢介はどうやら猫舌らしく、マグに並々と入ったコーヒーの表面をしきりに吹いて冷ましている。時折、ぺろりと舌で温度を確かめているようだが、まだ飲めるほどには冷たくなっていないらしい。

 

 「浩平。わざとだろ」

 恨みがしそうに賢介が睨むと、出島は満足そうに微笑んで、顔をそっぽ向けた。

 「なんの話でしょう」


 岡崎は、意外だったのだが、コーヒーをブラックで飲む習慣があるらしい。


 「つっても、毎日とかじゃないよ? たまに。週に1回くらいかな」

 「苦くないの?」

 「苦いよ。でも、それがいいんじゃん? ゴーヤと一緒だよ」

 「ゴーヤとコーヒーを一緒にするひと、はじめて見たわ」


 皮肉混じりにそう言っても、岡崎は、そうかあ?と笑みを崩さない。そうこうしているうちに、しびれを切らした賢介が、ジャケットの胸ポケットから煙草を取り出した。口にくわえたところで、出島が、 


 「賢介。僕の知る限り、青本家のみなさんは喫煙されません。控えてください」

 「それは失礼。うららちゃん、外でだったら吸ってきてもいい?」

 「えと、たぶん」


 灰色の小型パウチみたいなものを取り出して、賢介が煙草をくわえたままウインクをよこす。


 「ゴミは出さないから」

 「それ、携帯灰皿っすか?」


 岡崎が興味津々にパウチに顔を近づける。頷いて、賢介はパウチを開けて、中を見せた。


 「へー、なるほど。こんな造りになってるんですね」

 「俊樹くんは、煙草なんて吸わないでしょ?」

 「吸わないっすね。まだ未成年だし、サッカーもやってるんで」

 生真面目に岡崎が答えた。相変わらず、目がキラキラとしている。話辛くなってきたのか、煙草を口から外して指の間に挟むと、 


 「絶対、吸っちゃだめだよ? 百害あって一利なしだからね」

 「賢介が言うんですか、それを。説得力ないですよ」


  呆れてため息をつきながら、出島がコーヒーを一口飲む。それを羨ましげに見つめて、賢介も言い返す。


 「俺が言うから、説得力あるんでしょうに。俺みたいになっちゃだめだよって、ね。うららちゃんも。煙草は手を出しちゃだめだよ? 浩平にどれだけストレスかけられようと、迷惑かけられようと、イライラして捌け口を求めてようと、煙草はだめだからね」

 「はい。あんまり興味ないんで、大丈夫だと思います」

 「興味ないのは、煙草? それとも、浩平?」

 「煙草に決まってるじゃないですか! うららさんは、僕に興味津々ですもん。ねー」


 むきになって声を上げてから、可愛らしく首を傾げてうららを上目遣いに見つめてくる出島に、うららは冷ややかな目線だけを送って無視を決め込む。

 

 「ああ、それ! それです、うららさん! 僕は、うららさんのそういうところが堪らなく好きなんです!」

 「出島さん。出島さんって、発言のいちいちが気持ち悪いってよく言われませんか?」

 「言われませんよ?」


 精一杯の意地悪だったのに、なぜか出島は先ほどよりも嬉しそうに、満面の笑みで応えてくる。げんなりと、出島から視線を外して、マグカップの中身を口に含むと、岡崎が脳天気に、


 「出島さんって、青本のことが好きなんですか?」


などと聞くものだから、あともう少しで、口の中身を噴き出すところだった。少量のコーヒーが食道以外のところへ入ってしまったらしく、盛大にむせ始めたうららの背中を出島がさすってくれる。親切なはずのその行為は、しかし、さするというよりかは撫でるに近い手の動きをしていて、出島が厚意だけでしているのではないとうららは直感した。


 「ええ。大好きです」

 「言い切るねえ」


 真顔の出島を、賢介がからかう。


 「俊樹くん。このお兄さんみたいになったら、だめだよ」

 「どういう意味ですか?」

 「好意も、こじらせてしまうと、こんな風に面倒なことになっちゃうから」


 失礼なと憤慨する出島を気にも留めずに、岡崎に笑いかける賢介は、指の間にはさんだ煙草を器用に回してみせる。キラキラ瞳とピカピカ笑顔に定評のある岡崎は、それを惜しげなく発揮させ、

 

 「でも、なんか憧れます。出島さんみたいに、素直にひとのこと好きって言えるのって、格好良くないですか?」


と言ってのけ、テーブルの他の3人をのけぞらせた。賢介は煙草を落としそうになり、指に力を再度込めて、新しい生き物を発見した生物学者の顔をした。うららは岡崎の比類ないポジティブシンキングに畏怖を覚え、隣の出島の顔が輝いているのに気づいて、更に体を硬直させた。出島はというと、テーブルから身を乗り出し、マグの近くに置かれた岡崎の手をしっかりと握りしめる。


 「岡崎さん。僕が間違っておりました。僕はてっきり、岡崎さんはうららさんをめぐっての恋敵とばかり思っておりましたが、まさか僕の味方だったとは! これからも、応援よろしくお願いいたします!」


 ぶんぶんと上下に激しく揺すられながらも、体幹がしっかりしているのか、岡崎の体がぶれることはない。出島に対して、人の好い笑みを投げかけた。


 「こちらこそ、よろしくお願いします?」

 「じゃ、丸く収まったところで、俺はちょっと失礼するね」


 マグを片手に賢介が立ち上がり、出島に視線を送る。


 「浩平、付き合ってよ」

 「ええ?」


 不服そうに出島が口を尖らせるが、


 「あ、そうだ。うららちゃん、あのね。浩平がまだ中学生の頃の話なんだけど……」

 「行きます。行きます! すみません、洗い物は戻ってきてからしますので、置いておいてくださいね」


 口早に言って立ち上がると、賢介を引っ張り、愛想笑いを浮かべながら去ってしまう。残されたうららと岡崎は、互いを見やってから、めいめいに肩をすくめた。


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