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雨もしたたる良い河童  作者: 卯ノ花実華子
第三章 夏休みは猫を被って
24/56

 「腐れ縁です」

 「腐れ縁だよ」


 そのふてくされた口調とは裏腹に息の合ったところを見せる出島と賢介が、気まずそうに目を合わせて、靴でこづきあう。


 「真似しないでください」

 「真似なんてしてないって。浩平だろ、俺の真似ばっかしてるのは」

 「誰が賢介の真似なんて。賢介は、僕にとっての反面教師でありこそすれ、お手本になったことなんて一度もありません」

 「ああそ? その割には、学習能力が低いんじゃないの。いっつも同じようなことで、俺にからかわれてるじゃん」

 「それは、わざと乗っかってあげてるんですよ。いつも同じ手管でしか人のことをからかえない、想像力が欠如した賢介に対する、僕の親切です」

 「へーえ? そんなこと言っちゃうんだ。俺に。この場で。なるほどねえ」


 器用に片眉だけを上げて、賢介が出島の口を手のひらで覆うと、そのビロードの声をうららに向ける。


 「ねえ、うららちゃん。俺、浩平の恥ずかしい失敗談とか絶対に思い出したくない黒歴史をいっぱい知ってるんだけど、教えてあげようか。それを使えば、この変態がうららちゃんに迫ったときに、効果的に退散させられるよ」

 「ぜひ!」

 「うははひゃん!」


 身を乗り出せば、出島が涙声で喚く。やりこめられている出島を見るのは新鮮で、また彼の知らない一面が見られたようで、うららは少し楽しい気持ちになった。


 「()て!」


 どうやら、出島が賢介の指に噛みついたらしい。手をさする賢介に、出島はしてやったりの笑顔を見せる。


 やっぱり、そうだ。今まで見た中で、一番自然体だ。少年のようにじゃれ合う2人を、うららは眩しそうに見つめた。


 「すみません、うららさん。騒々しくしてしまって。あれ? そういえば、ご両親は?」

 「お父さんは組合会のなんとかがあるって出かけてて、お母さんは今さっき買い物に出かけたところです」

 「じゃあ、この家には今、うららさんおひとりということですか……?」

 「そうですけど」


 くわっ!と般若のように目を見開いた出島は、その大きな手で小さな顔を覆って、おお神よとつぶやいた。


 「賢介のバカが一緒に来なければ、僕はうららさんとのふたりきりタイムを堪能できたということですよね。なんという不覚! その可能性は考えていませんでした。賢介。今からでも構わないです。とっとと帰って、僕とうららさんをふたりきりにしてください」


 賢介に対しては急にぞんざいな口調になる出島は、しっしっと猫を払うような仕草をする。


 「え、ちょっと、嫌ですよ。帰らないでください」

  出島とふたりきりにされるなんて、心の準備ができていない。引き止めるうららに、顔を輝かせる賢介と赤くさせる出島。

 「ななな、なんという破廉恥なことを! うららさんたら! 大胆!」

 「今のなにが大胆なんですか」


 鼻血でも出ているのか、鼻をつまんで上を向く出島に、なんだか自分がとんでもなく恥ずかしいことを口にしてしまったような気持ちにさせられて、うららが声を荒げた。


 「まあ、うららちゃんみたいに可愛いこに帰らないでって言われたら、ちょっと期待しちゃうよね」


 賢介にまでそう言われてしまい、ますますうららは動転する。うららにウインクをひとつよこすと、賢介はまだ上を向いたままの出島の両耳を力一杯引っ張った。


 「痛い痛い! なにするんですか」

 「浩平ちゃん。俺が今帰ったら困るのは、浩平ちゃんでしょ? お前の荷物、どうすんの」

 「荷物?」

 「そ。浩平の荷物、俺の家に一時的に置いてあったんだよ。インターン期間のステイ先が決まったっていうから、持ってきたの」

 「なるほど。あれ? でも、お二人って、別々に来られましたよね」

 「うん、それはね」


 笑顔の賢介を遮って、出島が恨めしそうに、

 「ここに来る途中の道で、いきなり車から落とされたんです。あそこにいるのって、うららさんじゃない? とか言って僕を騙したんですよ。そして、賢介は僕を置き去りにして走り去ったんです。ひどい男ですよ、まったく」

 「あんな古典的な手に引っかかるお前が悪い」

 「ともかく。賢介は車で先にこちらに。僕はその後を追いかけて、全力疾走しました。賢介の魔の手にかかる前にうららさんを救うことができて、本当にホッといたしました」

 「何回も言いますけど、魔の手の持ち主は、どっちかって言うと出島さんですからね?」


 釘を刺しながら、うららは玄関に出しっぱなしにしてあったサンダルに足を入れ、2人の間を通り抜けると外に首を出した。駐車場にいつも停まっている母の車は当然ながらなく、そこへの出し入れには支障ない位置に、見慣れない軽トラックが停まっていた。荷台には段ボール箱がごろごろと載せられていて、飛ばないようにブルーシートがかけてある。


 「あれ、全部を預けてあったんですか? えっと……」


 賢介を振り返って、彼のことをどう呼べば良いものかと思案していると、それに気付いた漆黒の青年は、0円どころか、お金を払いたくなる笑顔を見せた。


 「好きなように呼んでくれて良いよ、うららちゃん」

 「じゃ、じゃあ、賢介さん……」

 「うん」

 「ちょ、ちょっと待ってください」


 出島が賢介、賢介と何度も呼ぶから、つられて賢介さんと口にしただけなのに、当の本人はやけに満足そうに微笑む。対照的に、出島はというと、涙目になってうららのTシャツの裾を引っ張ると、

 「なんで賢介は名前で呼んで、僕のことは名字で呼ぶんですかあ? ずるい!」

 「ずるいって。小学生ですか。私、出島さんの名前、知らないですよ?」

 「え?」


 整った顔の非有効活用とでも言うべきか。口を英語のOの字に開けると、瞳をきょろきょろと上下左右に動かし始める。呪いの人形が、動き始める直前のような怖さと、昔の人形芝居で使われていた動きのぎこちないパペットのコミカルさとを併せ持った、れっきとした生き物である出島は、数秒間その姿勢でいたが、急に膝から崩れ落ちる。玄関のたたきに膝立ちになり、肩を落とし、目は白目を向いている。わなわなと手を震わせながら芝居がかった動作でそれで顔を覆うと、声を張り上げた。


 「ああ! なんということでしょう! 僕の人生で最大最低の失態です!」

 言いながら、顔を覆った指の隙間から、ちらりちらりと何度もうららを見上げてくる。


 この、かまってちゃんめ。

 わざと無視をして、うららは賢介に質問を投げかける。


 「あの量を、賢介さんのおうちに置いてあったってことですよね。結構、場所取りませんか?」

 「分かってくれる? うららちゃん、聞いてよ。俺、そもそも、浩平が前の家を出るって前日にいきなり手伝えって呼び出されてさあ。それで行ってみたら、あの量の段ボール箱があって、俺の意見も聞かずに、勝手に俺んちに荷物を置くって言うんだよ? ひどくない?」

 「それはひどいですね。悪魔の所行です」

 「うららさん!」


 本気で涙を目の端に浮かべて出島が立ち上がる。結局、無視に耐えきれなかったらしい。


 「もう、賢介とは喋っちゃだめです。この男は、こうやって人を丸め込んでは、自分の思うように動かす悪い男なんですから」

 「俺がいつそんなことした〜?」

 「いつもですよ。数え切れないくらいですよ。ついこの間も、地方出張のときに、岡田さんとかっていう女性をだまくらかしたでしょう」

 「え、なんで浩平ちゃんが岡田ちゃんのことを知ってるの」

 賢介の顔が、ほんの一瞬だけばつが悪いものに変わる。

 「その岡田さんから僕に連絡がきたからです。賢介、あなた、岡田さんに僕の携帯の番号を渡したでしょう」

 「いやあ、だって教えろ教えろってしつこかったからさあ」

 「にしても、もっとやり方があったでしょう! 真夜中に電話がかかってきて、誰かと思って出てみたら、聞いた覚えもない女性の声で親しそうに話しかけられる僕の身にもなってください」

 「それで? 岡田ちゃん、なんだって?」

 「賢介にもう一度だけでいいから会いたいって、最後は泣いていらっしゃいました」

 「あちゃ〜」

 片手で髪をくしゃりとつぶして賢介が言う。その言葉とは裏腹に、顔はずいぶんとさっぱりとしている。


 「浩平ちゃん、まさかだけど」

 「教えてませんよ、賢介の連絡先は。そんなひといません、知り合いじゃありませんって伝えておきました。そもそも、記憶に残すからだめなんですよ。賢介こと、まさかとは思いますけど、会社の名前を出したりはしていないでしょうね?」

 「うん、それはしてないよ。俺もそんなに迂闊じゃない。でも、あれだなあ、後処理がうまくいってなかったんだね。ちょっと洽雫(こうだ)をもらっただけだったんだけど」

 「やっぱり。だから、出張のときには科学課に寄っていけとあれほど。女史がこの話を聞いたら、半殺しでは済まないですよ」

 「おお、それが一番怖いな。ねね、浩平ちゃん。女史だけには言わないでね。今度から気をつけるから」

 「まったく。賢介はいつも調子が良いんですから。あれ? どうしました? うららさん」


 ポンポンと軽やかなキャッチボールを楽しんでいる2人の会話を聞くのは楽しい。いつもとは違う出島の顔や声を聞けるのも楽しい。しかし、今、聞き捨てならない単語が耳に入ってしまって、うららは胡乱な視線を出島に投げかけたまま硬直してしまう。


 「今、コウダって言いませんでした?」

 「言ったよ」


 あっけらかんと賢介が頷く。


 「もしかして、賢介さんって」

 「うん。俺も、浩平と同じ。河童だよ」


 心のどこかでまだ捨てきれなかった、出島は河童じゃない説が音を立てて崩れていく。


 よくよく考えてみれば、出島が河童でさえなければ、まだ許容範囲内というか、ただの変態さんで済む話なのでは、とこの5日間考えていた。変態で、しかも自称河童とくれば、それはもう間違える隙間もなく危ない人認定されるわけで、しかも、変態と自称河童を天秤に載せれば、どう考えても河童の方が危ない。


 出島さんが、たとえ多少変態で、ストーカー気質で、演技過多でかまってちゃんで、暇さえあればエロいことばっかりを口にする残念な美声年であったとしても、まだ彼が河童だと認めるよりかはマシなような気がしていた。


 実際問題、決してそれは天秤にかけられるようなものではないのだが、自分の感覚も既に麻痺し始めていることに、うらら自身は気付いていない。そして、そこに出島はつけこもうとしていることにも。


 「あれ? うららちゃん、浩平から聞いてたんじゃないの?」

 「賢介。色々と、デリケートなんですよ、うららさんも。そもそも、うららさんの性格を考えれば、妖怪がこの世に存在しているなんてことを認めるだけでも無理難題なはずなんですが、なにぶん、ご自分が僕から洽雫を摂取されたりしてしまったから信じざるを得ない状況になっていて、でもまだどこかで、妖怪なんていないはずだ、僕が話したことも夢かなにかの可能性があるって、そう思っていらっしゃるんですから」

 「そこまで細部までわかってるくせに、よく何度も何度も、私に河童の話をしますよね、出島さん」

 「ええ。だって、本当のことですから」


 両肩をすくめて、唇を片方だけ上げてみせると、すごく意地悪そうに見える。そして、それすらも様になる。


 「まあ、そのうち、嫌でも受け入れてしまうんじゃない? うららちゃんは、特に」


 含んだ言い方で、賢介が出島と同じように唇を片方だけ上げる。それは、出島よりもずっとニヒルで悪魔的な印象を与えた。どういう意味かと聞くよりも前に、賢介は玄関から出ていってしまう。軽トラックに賭けられていたブルーシートを外し、段ボール箱を3箱ほど持つと、

 「さてと。さっさと終わらせちゃおうか、浩平」

 「そうですね」


 こちらもまたあっさりと、うららを玄関に置いて出ていってしまう。段ボール箱には何も入っていないのかと思うくらいに軽々と持ち上げる出島と賢介を見ながら、うららは言いようもない不安を覚えていた。


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