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まさか、自分の掘った穴に落っこちるとは。
父から話を聞いていたときにはただのインターン生だった、出島の人となりを知らなかったとはいえ、迂闊すぎる。インターン生の性別を聞かなかったうららもうららだが、男性が来るということは父は知っていたはずだ。うすうす勘付いていたことだが、この両親は基本的に呑気すぎる。
「期間は?」
「期間?」
はっと顔を上げて深刻な口調で聞くうららに、オウム返しをする父。
「出島さんの、ホームステイ期間。インターンってあれでしょ? 期間限定の研修みたいなやつなんでしょ。期間とかってないの?」
「最短半年、最長はちょっと僕にもはかりかねます」
詰め寄ったうららをやんわりと宥めるようにして、出島が答えてくれた。
「うららさんにも少しお話しましたが、今回、僕がインターン生として派遣された部署は、うちの会社で新設される予定の課になります。その仕事内容いかんは未だ社内でもトップシークレットとして扱われていて、僕以外の人間にはまだなにも知らされいないのが現状です」
「じゃあ、出島さんは大抜擢されたのねえ。すごいわね」
母がのほほんとそんなコメントを口にすると、出島は目だけで会釈をした。
「新設される課の上司から僕に出された課題は、龍神を祀っている神社、またそれがある村ないし小さい町、できれば河が流れている場所をリサーチすることです。リサーチ内容は、ちょっと、機密事項となりますので、青本さまがたにはお伝えできません。課題内容に一番適していたのが、この村になるんです。それを僕は上司に伝え、上司の方から会社を通して青本さまにご連絡がいった形になるかと思います。僕の方は、今回のホームステイ先の件に関しては一切関与しておりませんので、バス停で出会ったお嬢様が、ステイ先の方だと知って驚きました。そもそも、ホームステイという形を取ったインターン期間になることも、事前に知らされていなかったくらいですから」
お嬢様、のところで出島はうららを見つめる。両親にはわからない、でもうららには通じるくらいの微量の蜜を込めて。
「リサーチ内容だけは知らされているのですが、どこまでのリサーチ情報を上司が望んでいるのかが今はまだわからないんです。僕の見立てでは、最低半年もあればそれ相応の情報を収集、提出できると思うのですが、それが上司の満足いくものであるかがどうか。ですので、期間はあるにはあるのですが、今日のこの場でははっきりとした期間を申し上げることはできないんです。青本さまがたには、僕のような下宿人を無期限で受け入れるような状態になってしまいますから、甚だ心苦しいのですが、これからまた上司に連絡をつけて期間については詳しいことを伺ってみますので、どうかそれまでお待ちいただければと思います」
そう言って、出島は粛々と頭を下げた。大分長い間そうしていたように思う。父が、出島の肩に手を置き、
「出島さん。そんなにかしこまってくださらなくても大丈夫です。見ての通り、うちはそんなに堅苦しい家ではありません。これから一緒に生活をしていくんですから、もっとリラックスしてくださって良いですよ」
「ありがとうございます・・・!」
すっかり打ち解けた様子の父と出島を横目に、うららは出島の言った内容を頭の中で反復していた。できすぎている、という感覚がぬぐえない。どこかに辻褄の合わない部分があるのではないだろうかと思ったのだが、この場ではそれは見つけられなかった。
「じゃあ、出島さん。せっかくだから、早速うちの一員になってみる?」
母が茶目っぽく人差し指を顔の高さに上げる。
「はい、ぜひ!」
内容も聞かずに出島が首を縦に振る。
「あら、良い返事。うちではね、夕食だけ、作った人以外が洗いものをするっていうルールがあるの」
「わかりました。それが僕の青本家での初お手伝いになるわけですね?」
スイカのなくなった皿を4枚重ねると、それを片手に立ち上がる。
「お台所はどこでしょうか?」
「うらら、お連れしてあげて」
「え、なんで私が」
「なんでって、あんたも洗いもの係でしょう」
「ええ? 私が? 出島さんがやるって言ってるじゃない」
「出島さんも、やるって言ってるの」
も、の部分をしっかりと強調して、母が手を振って早く行けと合図する。皿を手に持ったままスタンバイしている出島は、うららのしかめっ面を楽しそうに見ている。父はすでに新聞に戻っていて、知らぬ存ぜぬだ。
「……こっちです」
渋面のままではあったが、うららも立ち上がり、出島を先導して居間を後にする。台所につくまでの間、また背後霊のようにしてくっついてくるかと思ったが、適度な距離を保ってくれていたのでちょっとホッとした。
「さて。はじめましょうか」
白いシャツの袖をまくって、出島がシンクに立つ。スポンジと洗剤を手に手際よく皿を洗っていく。
無言で出島の隣に立って、洗いあがったものを布巾で拭いていく。そう広くはない台所に、そう広くもないシンクで隣り合って立つと、どうにも距離が近いような気がするがこればっかりは仕方がない。それでも、出島には触れないように極力気をつけながら、うららは水気を拭き終えた皿を重ねていく。
「うららさん。緊張されてます?」
「緊張っていうか、警戒しています」
「はは、なるほど」
冷徹な物言いにも傷ついた様子はなく、出島はただ声を上げて笑った。
「出島さん。ひとつ聞いても良いですか?」
「僕のスリーサイズですか?」
「そんなこと聞いてなんの役に立つんですか。教えてくれるって言っても知りたくありません」
「うららさんが僕の体を思い出すときに役に立ちますよ?」
「いつ思い出すんですか、そんなもの」
「僕と一緒じゃないときに、僕のことを思い出して、でしょうか」
「で、私はなんでそんなことを思い出したいんでしょう、そもそも」
「そりゃあ、僕と一緒のあれやこれやを思い出してくださるからでは?」
「あのねえ!」
「あはは、怒った。ごめんなさい。冗談です。僕、自分のスリーサイズもよく知りません」
怒りにまかせて手にしていた布巾で出島の背中を叩くと、体はよけつつも笑顔のままで出島は謝る。
「それで。話、戻しますけど。聞きたいことがあるんですけど」
「はい。なんでしょう」
「出島さんが私と初めて出会ったとき。その、バス停のときですけど」
「はい」
「あれって、本当に偶然だったんですか?」
そこが一番引っかかっていた。出島の会社の話は理路整然としていたし、矛盾もないように思えた。なにより、インターンがどうとか新設の部署がどうとかいう話題は、うららには若干難しく、しっかりと理解できていたか自分でもわからない。でも、うららの家にホームステイするかもしれない、ということはうすうすわかっていたのではないかと思う。だとしたら、バス停で出会ったことは偶然でもなんでもなくて、もしかしたら出島が仕組んだことだったのではないかと思うのだ。
「偶然でなかったら、なんだと思われますか?」
出島の問いに答えずにいると、彼は蛇口の水を止めてうららを覗き込む。
「出島さん、知ってたんじゃないんですか? 私が、その、神社のこだって知ってて、バス停に来たんじゃないんですか?」
「これからホームステイの受け入れを承諾してもらおう、そんな風に思っているのに、いきなり告白したりすると思いますか?」
「それは……」
「おかしいと思いませんか? うららさんには、僕が河童であるということは早い段階でお話しましたが、ご両親にはそのようなことは一言も言っていません」
そういえば。
「つまりね、うららさん。僕が河童であるということを白状するのは、実はそこそこ大事なんです。だからこそ、僕たち河童はおいそれと自分の正体をばらしたりしません」
「じゃあなんで、私には」
スポンジをシンクに置いて、出島が苦笑した。それはうららに向けてのものというよりかは、自分自身を哀れむような、笑い飛ばすような、そんな笑みだった。
「なんででしょうねえ」
出島の声があまりにも無防備で、思わずうららは出島の腕に触れる。そうしてあげないと、泣き出しそうな気がしたからだ。それは、とても馬鹿らしい勘だけれど。
「うららさん。そんなことされたら、僕、勘違いしちゃいます。勘違いして舞い上がって、期待してしまいますよ?」
「あ、ごめんなさい。つい」
「つい?」
腕に置かれたうららの手を見つめて、出島がゆっくりと囁く。
「出島さんが、なんか、泣いちゃうかもって思って」
自分でも意外だった行動に誘発されるように、意外なほど素直に思っていたことを伝える。出島は一瞬だけ目を見開くと、意識的にその目を閉じた。湖の色をした瞳がどんな感情の色を灯していたのかはわからない。今のうららに見えるのは、長い睫毛ときれいなカーブを描く瞼だけだ。
「うららさん、笑わないで聞いてくれますか?」
「なにをですか?」
「あと、怒らないで聞いてくれますか?」
「だから、なにをですか」
まだ手に泡がついた手を伸ばして、出島がうららの手にそれを重ねる。水を使っていたからなのか、それは昼間に触れたときよりもずっと冷たくなっていて、濡れた手はまるで、涙を流すことを拒否した出島の代わりに泣いているようだった。
「好きです、うららさん。それだけは、信じてください」
「出島さん……?」
様子がおかしくなってしまった出島を、うららは持て余していた。重ねられた手を振り払うこともできずに、それどころか、うららの体は出島を抱きしめたい衝動に駆られる。
そんなことは恥ずかしくてできない。それに、そんなことをしてしまったら、まるでうららが出島のことを好いているみたいじゃないか。そんなわけないのに。
でも、目の前でうららに何度目になるのか、好きだと口にする出島は、迷子になってしまった子供のように心細そうで、辛く当たるのが躊躇われる。
だから。
「信じて、あげても良いです」
そう、言った。
出島が、かわいそうだったから。心細そうで、どこか悲しそうで辛そうで、理由はわからないけれど孤独を抱えていそうだったから。
それだけだ。
うららの言葉に、出島が心底安堵した表情を見せたから、うららも安心する。腹が立つけど、いつも悔しい思いをさせられるけれど、でも、出島にはもっと裏表のない笑顔でいてほしいと思うのはおかしいだろうか。
「これからまた、一緒に後片付けしましょうね」
「そんな楽しいものでもないですけどね」
「うららさんとだったら、毎食後やりたいくらいです」
「はいはい」
いつの間にか離れた手は蛇口をひねって、残りの皿や箸を洗うのに専念していて、いつの間にか出島の腕から離れた腕は、布巾でそれを拭くのに没頭する。適当にあしらわれた相槌は、でも、どこか親しみが込められているのに出島は気づき、うららに悟られないように微笑んだ。




