「なろう小説」は小説ではない
こんなものは小説ではない。
「小説家になろう」というサイトを訪れ日刊ランキングに乗っているいくつかの小説を読んだ人の中にはこういう感想を抱く人がいる。最初は好きな小説を読んでいるだけで満足していた人も、日々入れ替わるランキングを眺めながら心のどこかに違和感や憤りを覚えてくるのではないだろうか。
「小説家になろう」において人気の小説は一般的に流通している小説とは性質が異なる。ここでは「異世界」「転移・転生」「悪役令嬢」「VRMMORPG」「魔王・勇者」「婚約破棄」といったキーワードが踊っている。ランキングに乗るのはいつも同じような内容、タイトルばかりだ。
また文章もお世辞にも上手いとは言えないものが多い。ためしに日刊上位の感想欄をいくつか眺めてみるといい。今日も読者が感想という名の罵詈雑言を繰り広げているはずだ。忘れてはならないが、なろうでは作者も読者なのだ。日刊上位の小説を見て「なんでこんな文章の小説が俺より上なんだ……」などと落胆と苛立ちを覚える人もいるだろう。
そして読者はなろう小説は低俗で安易な価値のないものと考える。
そのことはエッセイランキングを見ていても明らかだ。ランキング上位はなろう小説への反発とも言える多くの意見が伺える。多くの人がなろうの現状を嘆いているのだ。
だが彼らは大きな勘違いをしている。
「なろう小説」は小説ではないのだ。
小説ではないものに対して、一般的な小説の理論を持ち出しても意味はない。ラーメンを食べながら「こんなものはカレーではない!」と怒っているようなものだ。
ではなろう小説とは一体なんなのか。
なろうとは一種の「ゲーム」である。
あまりピンとこないかもしれないが、なろうとは一つの場であり、大勢のプレイヤーが参加するゲームのようなものである。ゲームと表現するとまたRPGかと思うかもしれないが、ここで言うゲームとは古代ローマのコロシアムのようなものである。
参加者はゲームルールの範囲の中で、他の参加者と競い合いながらランキング上位を目指して駆け上っていく。観戦者はその戦いの様子を見て楽しみ、時に気に入った参加者を応援する。それがなろうである。
ではゲームルールとはなろうでは何を指すのか?
それはつまり、いわゆるテンプレと呼ばれる「異世界」「転移・転生」「悪役令嬢」「魔王・勇者」「婚約破棄」といったものである。作者はこのテンプレの範囲において、自分だけのアレンジを加えオリジナリティを生み出し他の参加者との差別化を図る。そのアレンジの多様性は一見すると分かり辛いが、なろうに親しんだ人にはなんとなく分かるはずである。同じテンプレでも、それぞれの流行り廃れがあるのだ。
そう考えてランキングを見てみると、ランキング上位のものもそれぞれ微妙にテンプレから一捻り入れてあるのが分かる。ランキングがテンプレばかりなのは読者のせいでも作者のせいでもなく、そういうルールだからなのだ。
このような現象は他のジャンルでも見ることができる。
音楽の世界ではヒップホップがそれにあたる。MC達はラップという比較的敷居の低い歌唱法により言葉を紡ぎ、そこにDJがトラックを乗せる。ヒップホップにはサンプリングという手法があるがこれは自分の好きな曲の好きな部分だけ抜き出すという身も蓋もないものだ。それをパクリと呼ぶかどうかは聞く人次第だが、ヒップホップは楽器が弾けなくとも音痴でも誰でも参加可能な文化だ。
また漫画の世界で言えば、これは少年ジャンプにあたる。少年ジャンプの漫画は少年ジャンプというジャンルであり、毎週毎週アンケート至上主義による掲載順というランキングが発表されている。人気が無ければあっと言う間に打ち切られる厳しい世界だ。逆に言うと、例え絵が下手だろうと話が破綻していようと人気があればよい、面白ければよいという価値観のもと漫画が生み出されている。
これらが共通するのは、誰でも参加ができるということだ。ラップも漫画も、誰でも今すぐやることができる。特別な技術や道具は必要なく、誰でもこのゲームに参加でき作品を発表できるこの敷居の低さ、窓口の広さが特徴だ。
またもう一つの共通点は、常に作品をジャッジする観戦者がいることだ。作品の勝敗を決めるのは評論家や編集者ではなく、観戦者なのだ。大事なのは観戦者=ファンではないことだ。ファンは作品の人気が落ちても付いてきてくれるが、観戦者は常に今一番面白いものを求めている。そのため、ランキングの入れ替わりは早くそれに適応できない参加者は自然と淘汰されていく。
この淘汰の末生き残った遺伝子がいわゆるテンプレと呼ばれるものなのかもしれない。
鶏が先か、卵が先か。それは分からないが、なろうにとってテンプレは不可分の存在でありテンプレこそがなろうをなろうたらしめているのだと私は思う。
「なんでこんなクソ小説がランキング上位なんだ!」と思っているあなた。その小説をよく観察してみよう。そこにも作者の工夫が隠されているはずだ。そうすればランキングの見方も変わってくる。それができたら今度は自分で作品を発表してみるのもいい。観戦者から参加者になると、同じ作品でもまた違った見方ができるようになるだろう。
もう既に作品を発表している人は自分の作品を見直してみよう。ちゃんとなろうのルールは守っているだろうか? 「私は自分の書きたいものを書く!」と言う人もいるだろう。それは素晴らしいことだ。だがそれを一度なろうのルールの中に落とし込んでみてはどうだろうか。ゲームはルールがあるからこそやりがいがある。テンプレの中でいかに自分の書きたいものを書くか……それを考えるのも楽み方の一つだ。
なろうはゲームであると同時に、多くの参加者が試行錯誤を繰り広げる実験場でもある。参加者の数が多いほど、そのスピードは飛躍的に上がり多様性は枝葉のように幾重にも広がっていく。そのため時に化学反応や突然変異のような作品が生まれることがある。つまり名作と呼ばれる作品群だ。
だが敷居の低さ故、時にそういう場は嘲笑の的にされることがある。確かに中には未熟な作品が多いのも事実だが、それは全体の一面に過ぎず、一面を見て全体を分かったつもりで語ることほど愚かなことはない。
下手でも不器用でも無学でも、誰でも参加できる場。
そこにこそ価値があると私は思う。




