Episode 4 : 報告
『お時間です』
部屋の備え付けのインターリンクから若い男の声が聞こえた。
「今出る」
俺は鏡を見て着崩れした場所がないかを確認する。
――問題ないようだ。
確認した後デスクに向かう。
そしてデスクから先程まとめ終った簡単なレポートを手にして、俺は部屋を出た。
領事館の中でも異様な存在感を放つ部屋――
この部屋以外はすべてが合理性を追求したつくりなのに対し、この部屋は富と権力を見せびらかすように豪華な調度品で飾られている。
そして中央の小さな台の上に立たされた俺――
そしてそれを取り囲むように並ぶ軍の上層部の面々がいる。
「アラン――いや、今はクレア・ハーミットだったな……元大尉」
正面、俺の10m前方の席に座る立派なひげを蓄えた老人が、抑揚のない平坦な声を発しながら俺を睨んでいる。
彼の眼光は鋭く、それに見つめられた俺は忽ち萎縮してしまった。
彼の名は、ドクトレイ・ザンズバルス――ヒューゴスティア国・航宙軍統合司令部司令だ。
そんな男を前に、俺は平静を保つことで精一杯だった。
「それにしても驚いたよ。聞いてはいたが君が……そんなにも“かわいらしくなっている”とはな――」
ザンズバルスは少し間を開けて話し続ける。
「分かっていると思うが君の立場は一般人だ、それはいいかね?」
「はい、理解しているつもりでありますサー」
「いや、分かっていない。君は今、私の部下でもなければ軍人でもない、私が君に“サー”と呼ばれる筋合いはないのだよ」
言葉が出なかった。
では、どう答えればよいのだろうか?
「はい」
「いいえ」
それで許されるのか?
―――否、それは許されない。
なぜなら一般人がこんな場に呼び出されることなどあるはずがないのだ。
そしていくら“元”と呼ばれていても正式に除隊をしたわけではない。
「サー、自分は除隊をしたつもりはありません」
「君がしたつもりがなくても、もともと君は軍人でもなんでもないのだ。そこを理解してくれたまえ」
なるほど、あくまで俺は“クレア・ハーミット”であるという事を言いたい訳か。
「では、どうお答えすればよろしいのでしょうか」
「普通にしたまえ」
「ですが自分は、一般人になるのは初めてであります」
「その口調をやめろと言っているんだクレア・ハーミット」
抑揚のない声に明らかな苛立ちが見えたあたりで、俺は口を閉じた。
「ザンズバルス司令―――いくら相手が“可愛い少女”であっても、今はお戯れを慎んでいただきたい」
横から少しざらついた女性の声が聞こえた。
俺の視線は、その声の主の方に動く。
肩の上で切りそろえられた淀みの一切ない白髪の女性――
何処かで見たことがある――
メイヤ・ドン・ポルス――ヒューゴスティア国・航宙軍バイオメディカル局局長だ。
今回の俺の任務――つまり俺がこうなった理由の任務を受ける際に一度だけ、作戦司令部のブリーフィングルームで見た事を思い出す。
「元大尉、あなたはどうしてそのような姿になったのですか?」
ポルスは抑揚のない声とは裏腹に、興味と好奇心で沸き立つ科学者の目を輝かせ、俺を見つめていた。
「はい、自分は任務の遂行中に――――
俺はアカシックレコードのある遺跡であった出来事を“覚えている事”を余すことなくすべて洗いざらい話すことにした。
ブリーフィングルームを出た後の出来事―――
ウェイン博士と少し仲が良くなったことなど。
思い出せることすべてを話していく。
そして丁度、あの忌々しい“エイリアン”が出た場面を話しているとき、突然横から「待った」を掛けられる。
「それは生きていたのかね」
俺は声がした方に振り返った。
振り返った先にいるのは老人とは思えないッ鍛え抜かれた肉体をもつ老人が座っていた。
老人の顔には深い皺が刻まれていて、それはその男がよほど慎重か、もしくは短気な男であることを連想させる。
「ギリアス・スクイットマン兵器開発部長官、まだ彼女の発言中ですよ」
その男の声にポルス局長が「静かに」と注意を促す。
「局長――我々は知らなければいけない。彼、もとい彼女の体の変化も確かに興味深いが“アカシックレコードの番人”の存在は聞かなければならないとは思わないかね?」
「……わかりました。クレア・ハーミット話しなさい」
ポルスは渋々と言った様子で頷きつつ、スクイットマンを睨みつけていた。
俺はそれを横目に口を開く。
「はい、それが現れたのは博士がアカシックレコードの存在を見つけたときでした。
自分は警戒と威嚇から銃をソイツに向けました。するとそれは我々の姿を見るやいなや“アカシックレコードに関わるな”と警告してきたのです」
そう話しているとスクイットマンは興味深げに「ほう、それはおもしろい」とつぶやき頷いた。
ザンズバルス司令も「そんなもの聞いたこともない」といった様子で目を見開き此方を見ていた。
その中で唯一ポルス局長だけは、なぜだか不満げに「早く次の話をしろ」と言った様子で俺を睨みつけてきた。
「自分は敵の戦闘力が未知数である以上、非戦闘員がいる中で戦闘をするのは難しいと考えました。
そして博士に調査を一時的に終了するよう促したのです」
「なるほど、それを博士は拒んだという訳か」
スクイットマンが机上に置いた手をこすり合わせてながら、細く閉じた瞳をこちらに向けていた。
「はい――彼は、あれが人類にとって有益であるという事を理解していたのと同時に“二度と見つからない”と仰っていて――」
「それで戦闘が始まったと、それで?」
ザンズバルスが相槌をうった、そしてその先を説明するようにせかしてくる。
ここで聞かれているのは結果である。
俺は戦闘中の事をすっ飛ばし結果を伝えることにした。
「そいつの本体、といったらいいのでしょうか……自分は一度、奴を倒しました」
「では、なぜ君を残してあの中にいた人間が全滅したのかね?」
「それは―――」
俺は言うのを少しためらった。
人をこの世から存在ごと消してしまう虫――
俺の記憶では、その場には博士と俺しかいなかった。
そういう記憶とは別に、複数人の仲間を連れてきていた、その2つの記憶がごっちゃになっているのだ。
「それは……なんだね?」
ザンズバルスが早く話せと苛立ちの表情を浮かべ、こちらを睨みつけているのが視界の端に映った。
「それは……わかりません」
そう、どうして全滅したのか、まずあの中に何人いたのか覚えていなかった。
「はあ……私は君のために数十人の戦闘員を手配していたはずなのだが――どう言う訳か、君とスミス・ノートレン、そしてローレンス・グミディアの3人しかいなかったことになっているのだ。
つまり他の連中はどうしたと聞いているんだ元大尉」
ザンズバルスもまた「自分の記憶違いなのかもしれない」といった様子だった。
あの苛立ちはたぶん、自分が手配した人数と、実際に俺によって報告された人数が違うことによって、ザンズバルスが自己嫌悪で苛立っているのかもしれない。
俺の報告では、あの中には俺と博士しかいなかったことになっている。
ザンズバルスにしてみれば数十人手配した記憶が微かにある。
それこそ部隊を作るために金が動いている。
いない人間の分の金を動かした――そんな事が遭ってはザンズバルスの立場がない。
だからこそ“全滅”を強調し、文字通り“存在を抹消された人間”がいるのかを聞きたがっているようだった。
「わかりません」
やはり俺は俯いたまま「分からない」と言うので精一杯だった。
記憶にないのだ、モヤッとした黒いシーンだけが俺の中で再生される。
「言えっ! クレア・ハーミット‼ 貴様はあの場にいた唯一の人間だっ! そして、見たことを言う義務があるのだっ」
ザンズバルスは机を勢いよく叩きつけ、立ち上がり怒鳴り散らした。
俺は軽く深呼吸をする――
「少しだけですが他にも人間がいた可能性はあります」
「可能性ではないっ! 証明しろと言っているのだっ」
「それは無理ですっ! なぜなら“すべての物から存在を抹消する奴”がいたのでっ――」
俺があらん限りの声で叫んだ。
そして、俺は周りの人間がまるで時間が止まったかのように固まってしまっている事に気付いた。
「クレア・ハーミット、それはどういうことだ」
一瞬の静寂の後、スクイットマンが口を開いた。
「は、はい。先程も述べたように触れたものの存在を、すべての記憶から抹消してしまうものです」
俺は不意に問われた質問に咄嗟に返した。
「それで?」
スクイットマンがじっと俺を見つめる。
そして周囲の人間もまた俺に注目していた。
「ですからソイツに襲われた人間は、この世に存在しなかったものとして扱われてしまうのです」
「では君にその記憶が無かったり、書類上に見られる人員の欠如は――」
「はい、不確かではありますがそれの可能性があります」
その一言に周りがざわついた。
「クレア・ハーミット、なぜ先程の報告書にそれを書かなかった」
ザンズバルスが苛立ちを表に出し、俺を睨みつけている。
「それは――不確定の物を書くことは信用にかかわるので」
「言い訳はいらん、貴様は行動でそれを示せっ」
ザンズバルスの冷静さは既に皆無だった。
言葉から推測するにこの場でザンズバルスに頭を下げること――それがあいつが俺に求めていることなのだろう。
だが、そうすればザンズバルスは満足するかもしれないが、彼の信用は落ちることが間違いない。
そしてそうなれば恨まれるのは俺――
謝罪は言葉で述べることにする。
「申し訳ありません――私のいらぬ配慮が無礼でありました。
しかし、不確定の情報で場が混乱することを防ぐため、私は書かない事を選んだのです。
その点だけはご理解していただけると助かります」
「――ふん」
ザンズバルスは大きく肩を鳴らした後、席に座り込み大人しくなった。
――ふう。
それにしてもザンズバルスに睨みつけられると寿命が縮みそうだ。
さっきは本当に生きた心地がしなかった。
「―――すまないが続きを話してくれるかクレア・ハーミット」
若干、呆れ気味にスクイットマンが口を開いた。
「はい、何人が犠牲になったかは不明です。しかし自分の記憶には、自分と博士以外が居た記憶がないことから、相当数消えてしまったかと」
「それで、君は……体はともかくよく無事だったな。その理由は?」
「自分もそのことは解りません。ただこの体になる前に、自分もソイツに一度やられた覚えがあります」
さらにもう一度、周囲がざわめいた。
「ほう――ではソイツにやられたことでその体になったと」
「それだけが理由かは自分にはわかりません。ですがそれがきっかけであることは確かです」
「ふむぅ……」
スクイットマンは顎に手を当て考え唸る、
そして周囲の人間も、同様に近くの人間と囁き合っていた。
そして数分間の沈黙の後、俺は再度出来事について話した。
「―――以上が、自分があの場で体験したことの全てです」
俺は手元のレポート用紙をまとめケースに閉まった。
「つまり博士の行方は今のところ不明という事だな?」
ザンズバルスが言う。
「はい、自分は彼のその後を知りませんし、中尉も軍曹も彼の姿を見ていないと言っていました」
「ふむ、わかった。今から我々はこの話について協議する。君はいったん部屋に戻るといい」
「わかりました。お心づかい感謝します。ザンズバルス長官」
俺はその場で一礼した後、宛がわれた部屋に戻った。
ご一読ありがとうございました!