終電の夜
自分にしては少し長めの作品です。
ここまで来たら……是非、読んで帰っていただけると嬉しいです。
家には帰りたくない。そう思った。
仕事も、恋も、思ったようには上手くはいかない。それは当たり前だと気付いていたのにそれを受け入れることができなくて、今日もまた一人で終電近くまで飲んでいた。
「明日は、絶対に二日酔いだよな……」
終電前だからか、思ったよりも多くの人が駅のホームに並んでいる。
学生にサラリーマン、何をやっているのかよく分らないオッチャン、この時間になってもテンションが落ちない女性グループ。とにかく様々な面々だ。まぁ、僕もその一人な訳なんだけど。
それにしても電車はずいぶんと遅いな……。
時計を見ながら、時刻表を見る。
もうとっくに終電は終わってしまった時刻だ。きっと事故とかトラブルがあったのだろう。それで遅れているに違いなかった。
「アナウンスもナシかよ」
愚痴を言っても仕方ないことだ。
しかし、この時間になるとやはり無性に眠くなってくる。残業で疲れているうえに、あれだけ飲んでいれば無理もない。重くなってくる瞼を必死で支えながら電車を待つ。
いつから僕はこんな生き方になったのだろう。
大学の入試に失敗して二浪したくらいからか、それとも五年付き合った女に浮気されて別れたことか?とにかく思い返せばそれなりの修羅場を経験して一皮むけたと思っていたら、今度は会社が吸収合併されて降格とは。ついていない。だが、それさえも世の中に多くあることで誰が悪いという訳じゃない。自分の心が弱いだけだ。
耳元で響く雑踏に僕は目を覚ました。
「おっと、乗り遅れるところだった……」
急いでホームから電車に飛び乗る。
ここで乗り遅れたら、今日は家まで帰れない。まぁ、明日は休みだからいいが。それでもこんなところで寝ていたら風邪を引くだけじゃすまないかもしれないしな。
乗った安心感からか、僕はまたゆっくりと眠りについた。降りる駅まで三十分。まだ時間はある。
誰かが僕に囁いた。「大丈夫?」と。
それをまるで遠くで聞いている自分がいる。これは…夢、か?
目を開けると、あれほどたくさんいた乗客の姿はもうない。前の駅で降りてしまったのだろう。でも、誰だ? 声を掛けてきたのは。
窓から見える真っ暗の空。月や星でさえ見えなかった。次第に、電車がどこを走っているのかさえ分からなくなってきた。ここは、一体どこなんだろう。こんな景色がいつまでも続くはずがないのに。
停車のアナウンスはない。ただ、電車は線路に沿って走り続けている。しばらくするとスピードが落ち、前に小さな光が見え始める。あれが駅だろうか? とてもそうは思えない。別の場所にでも連れて行かれるんじゃないか、直感的にそう思った。それとも、僕が深酔いして勘違いしているだけかもしれない。
「と、止まった……?」
電車は光の前で止まった。そして、
『お客さま、ここから先はお客様に選んでいただきます。ホームに戻るか、それとも”次”のあなたになるまで休むか』
僕の答えを待つように電車は静かになった。
言われたことの意味など、僕は考えていなかったろう。それでも、僕は即答した。
「ホームに戻る」
******
背中に冷たい感触があった。それはとても冷たく固い。全身が鉛のように重く油を差していないロボットのようにぎこちない動きしかできない。
「い、痛いな……」
なにやら耳元で囁く声が聞こえる。
「大丈夫ですか!?」
「ここは…どこだ?」
声に応えて起きようとするけど、力が入らない。どうやらホームのベンチで横に寝かされているようだった。
気絶しそうな痛みの中、霞んだ目に飛び込んできたのは一人の女性。僕と変わらない年だろうか。その女性は泣きながら僕に寄り添っている。どうやら僕は酔って線路に落ちたらしい。それで近くにいた人たちに助けられたってことか? それはそれで空しいな。
いつの間にか、人だかりができているようだ。
そんなに注目するもんじゃないだろう。まぁ、新聞くらいには載るかもしれないな。実名で。
「あんちゃん頑張ったなぁ」
「はっ?」
近くに寄ってきた小太りの男が声を掛けてきた。どうやら僕を助けてくれた一人らしく、着ているスーツがボロボロになっている。
「おいおい、忘れているのか? そこの嬢ちゃんが線路に落ちたのを助けたのはアンタなんだぜ」
「そう、だったのか。僕が、ね」
「まぁ、大した怪我じゃなくてよかったよ。救急車も来たし大丈夫だろ」
「はい」
僕は力なく答えた。そしてあの電車は何だったのだろうと考えてみた。でも、答えなんて見つからないまま僕は意識を失った。
病院では精密検査やら手術やらで結局、しばらく入院することになった。医者の話ではあと少し当たり所が悪かったら肺がつぶれて死んでいたらしいと聞いて正直ぞっとした。助けた女性は軽傷だったらしく一日だけ病院で過ごし、退院した。
あの夜、自分がやったことを正確に覚えていない。ただ言えることはあの電車は僕に選択肢をくれた、ということなのかもしれない。
「暇だ」
個室だったこともあってか、僕は暇を持て余していた。両親が持ってきた雑誌や小説はもう読んでしまったし、仕事もないから他にやることがない。
「入っても、いいですか?」
声が聞こえて、僕は「どうぞ」と答える。扉が開き、一人の女性が入ってくる。あの夜、ホームで僕が無意識のまま助けた女性。この病院まで寄り添ってくれた人だった。
まだまだ色んな出来事があるのは間違いない。それでも僕はまだ絶望はしていないんだろう。
普段であれば、「バッドエンド」な感じの展開にするのですが今回は希望を持たせた終わり方に途中から変更しました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。