クレムリン
王城こと『クレムリン大宮殿』。
美咲が冗談で言ったらその名前になってしまった。
その一室に青山匠と緑美咲がいた。
青山は領地から上がってくる報告書を見ながら、承諾したものにはサインをし、それ以外は保留というように書類を整理していた。
美咲はその中でも軍事に関するものだけを担当していた。
「予想はしてたけど……農業が壊滅してるな……無駄に土地が広いから開拓しないのかねえ。大根やほうれん草……大量生産向きじゃないな……土地があまりまくってるからか?」
「農業政策はいじんなよ。ポル・ポトもけ、けざわあずま?も農業政策で失敗して大変なことになったからな!」
「毛沢東な。北朝鮮も農業で失敗したな」
社会主義国ではなぜか農業政策の失敗が多い。
カンボジアのポル・ポト。コメ以外の生産を禁じ、強制労働で大量の灌漑用水路を作ったが、専門家の意見を聞かなかったために設計上の問題で全く機能せず逆に減産。結局は大量の餓死者を出した。
毛沢東。大躍進政策での四害駆除運動(ハエ、蚊、ネズミ、スズメの駆除)を行ったが生態系のバランスを崩し大量の害虫が発生、農業が壊滅した。また、密植(密に植える)深耕(地中深くに植える)運動ではトロフィム・ルイセンコの学説に従った農法をしたために太陽の餓死者を出す事態にまでなった。
ちなみに北朝鮮は密植深耕運動と似たような政策を行い大量の餓死者を未だに出している。
「こっちは兵站の備蓄が危ないぞ……これ前政権が横領してたんじゃねえの?」
「うっわ!それはダメだ……どうりで弱すぎると思ってたんだ……そりゃ士気も下がるわ!」
「兵士痩せてるもんなー」
青山たちが都を占拠したとき、そこにいたのは鎧を着て動けないほど痩せた兵士や市民の姿だった。
青山たちが革命など起こさずとも国はもう詰んでいた。
国には戦争をする体力もなかったのだ。
「とりあえず、狩猟系の亜人を兵士にしよう。人間の兵士は選別して、漏れたものは食料与えて開拓に回そうか」
「でも何作るのよ?」
「作物の品種か……俺も地方出身だが農業は全くわからんな……そういうのは黄生が詳しいんだよな……」
懐かしそうな顔をする青山。それを見た瞬間、美咲はなぜか猛烈に嫌な気分になった。理由などわからない。なぜか気に食わないのだ。
見る見るうちに美咲の機嫌が悪くなっていく。むくれる美咲。その表情を見た青山は何かまずいことを言ってしまった事だけは理解した。
重い沈黙。戦士として完成している青山だが、この手のストレスにはめっぽう弱い。人間関係で生じるストレスに慣れていないのだ。
誰か助けてくれ。本気で青山はそう祈った。それほどまでに追い詰められていたのだ。
祈りが天に届いたのだろうか。青山が無用なストレスを溜めていると執務室のドアが勢いよく開いた。
そこから燕尾服を着た犬のような姿の獣人が慌てて入ってくる。
「魔王様。ジークフリートいついてのご報告が……あれ?お邪魔でしたか?」
「そ、そんなことないぞ!」
慌てる美咲。
そんな美咲を見る黒いつぶらな瞳のニキータ。服から出ている尻尾が揺れていた。
ニキータを見て美咲がため息をついてむくれるのをやめる。
「でかしたニキータ君。GJだ!」
青山のサムズアップ。
「なんですか?魔王様?」
首をかしげるニキータ。青山はニキータに心の底から感謝した。
「『魔王様』じゃなくて『同士』なー」
美咲が頬杖をつきながらツッコむ。
「奥方様。ご機嫌麗しゅうございます」
「お、奥方!違う、違うからな!」
手を振りながら顔を真っ赤にして慌てて否定。
「わかりました。奥方様」
まるでわかっていなかった。
「聞けコラァ!」
キレた美咲は羊皮紙を投げつける!
「ぴいいいいいいッ!すみませぬ!このお詫びは腹を掻っ捌いて!」
「そういうの嫌だから王政廃止したんだけど……」
「お前が死んでもなんもいいことないわな」
慣れたせいか二人とも冷たい反応を返す。
ニキータが「ぴーッ」と鼻を鳴らす。
青山は原因不明の頭痛がするのを感じながら、ニキータの報告を聞くことにした。
「で?同士ニキータ。報告の内容とは何かな?」
ニキータは小さく頷いて、すぐに報告を始めた。
「ジークフリートは、やはり学園を狙っているようですね。旧王制派の残党がジークフリートに合流。そのうちの200人ほどが学園に向けて進行中との報告を受けました」
「んじゃ、行ってくる。留守番頼んだよ」
「待てコラ」
「ん?」
「国のトップのお前が行ってどうするよ!」
「戦ある。俺行く。楽しい」
「……頭いいヤツって何でもできる完璧超人だと思ってたけど、お前見て認識を改めたわ……天才って一周回ってキチガイなのな!」
「ひどいなぁ。ただ単に己の欲望に忠実なだけじゃないか」
「忠実すぎんだよ!」
美咲のツッコミ。
青山はそんな美咲を見てエグイ笑みを浮かべる。
「まあ、それは冗談として……行くメリットはたくさんある。第一に旧王制派が他国で暴れると、俺たち自体が後始末もできないで他国に迷惑をかける蛮族とみなされる。人間関係において後始末は非常に重要だ。ゆえにポーズだけでも兵を出さなければならない」
「お前みたいな人でなしに『人間関係』って言われるとイラッとするのは気のせいか?」
「第二に王政側があちこちに放火した影響で、このまま行けば冬には援助物資が必要になるだろう。亜人たちは自然の中で生きているから死にはしないだろうが、人間はそうはいかない。このままだと死者が大勢出る」
「まあ、それは現実的な問題だな。お前自ら出兵する理由にはならんけどな」
「いや、これはオージンとの契約だ。俺が行かなければならない」
青山は断言する。
オージンと直接会った美咲はそれを見て納得する。
「まあ仕方ないけど……国民に迷惑かけるなよ」
美咲はそっけなく答えた。
だが青山もそしてニキータもそんな美咲に驚いていた。
この世界に来た当初、美咲は自分の事以外を考えられない人間だった。
一定程度は論理的なのだが、その思考の範囲は自分に関するものだけであった。
自分が生き残る手段については正常な思考を持っているのだが、他人がどう思うとか、他人が死んでしまうとかということが理解できなかった。
そして他人を踏みにじった結果が自分にどう降りかかるのか。そういう想像力が欠如していたのだ。
どうやらそれは単独行動の戦士型の緑では珍しくないことのようだった。
だが、今の美咲は国民の視点を持ち、国民に及ぼす影響を想像できる。
迷惑をかけるという概念もちゃんと理解していた。
「……なんだよ?」
目を丸くして驚いている青山とニキータに不満そうな表情を浮かべる。
青山はそれをごまかすように咳払いをし話を続ける。
「えっと……続けるぞ……第三にヤツラが動いたということは……真がやって来たんだろうな。ここで見殺しにしてもすぐに巻き込まれるよ。それだったら早いとこ対策したほうが良いだろう」
「ふーん……お前そいつに異常なくらい執着してるけど……グリーンになるくらいだから潜入工作員だろ?お前がこだわる戦士タイプじゃないよな?」
「……俺が知っている中では最強だ」
再び懐かしそうな顔をする青山。
不思議なことに美咲は今のは腹が立たなかった。




