十五夜逢瀬 2
翌朝、眠い目をこすりつつ顔を洗いに井戸へ向かうと、手にした桶に昨夜のことを思い出した。手に持ったまま桶をじぃと見ていると、勘吉たちが不思議そうに満尋を観察する。
「満尋? 水汲まないんですか?」
「ああ」
尚も生返事で桶を見続ける満尋に、痺れを切らしたのか勘吉が桶を奪い取り井戸に放り込んだ。ばしゃん、と派手な音を立てて桶は勘吉の手により引き上げられていく。
「どうしたんだ? なんか悪い夢でもみたのか?」
二之助が心配そうに顔を覗きこむ。悪い夢。そうかもしれない。自分は知らないうちに眠っていて、その上現代のことを考えていたからあんな夢をみたのだ。
「話してみろよ。変な夢なんてこの二之助様が笑い飛ばしてやるぜ! ほーら!」
二之助が準備万端とばかりに胸を張る。確かに、このまま思い悩んでもしょうがないし、一度彼らに笑い飛ばしてもらってすっきりした方がいいだろう。
「……女の子が出た」
間。
どぼんっ、と先ほどよりも重たい音が井戸の中に響く。
せっかく引き上げた桶を再び井戸の底へと落とした張本人は、にやにや笑いながら満尋の背中をばんばんと力任せに叩いた。
「なーんだよ! そういう夢? で、ヤったか?」
「……? ――違う!」
「まぁー、男ばかりですから不満が溜まるのも分かりますよ? 恥ずかしがらずとも……」
「だから違う!!」
「それは笑い飛ばせねーなー。どんな子? 可愛かった?」
「まぁ、普通に可愛いんじゃないか? ってだから違うんだ!!!」
息を荒げて叫ぶ満尋に三人はわははと大笑いした。何故朝からこんなに血圧が上がる思いをしなくてはならないのか。口にするんじゃなかったと後悔していると、十壱が申し訳なさそうに宥めてきた。
「すみません。珍しいから、つい遊んでしまいました。本当はもっと真剣な話なのでしょう?」
そういうと勘吉や二之助もぴたっと笑うのを止め、「悪い悪い、つい」と謝ってきた。その一体感はどこで手に入れてきたのか。人をつい、で遊ばないでほしい。満尋はがしがしと頭を掻く勘吉を恨めしげに見つめると、夢かもしれないけど、と前置きをして昨夜の話をしてみせた。
「う~ん、それは幽霊でも夢でもなく『影映り』ですねぇ。望月の夜はよくあることです」
話を聞いた面々は特に驚く様子も無く、さも日常的なことのように言った。雨が降ったら雷も鳴る、みたいな感覚なのだろうか。
「いーよなー、俺なんて『影映り』で可愛い子が出たことなんて一度も無いぜ?」
二之助が心底羨ましそうに言った。そもそも『影映り』とはなんなのか。満尋には怪奇現象にしか思えないのだが、怖いものではないような素振りだ。勘吉や十壱も経験があるようだし、一体何なのだろう。
「その『影映り』って何なんだ?」
考え込んでいた満尋を他所に、俺はこんなのを見たことがある、だの各々口にしている三人に聞くと皆目を見開いて驚きを隠せないようだった。
「おいおい、本当か? どんだけお前は世間知らずなんだよ。どんな偏狭の地から出てきたらそんなことが言えんだ」
勘吉は満尋に呆れた視線を送り、二之助は「信じらんねぇ」と呟いた。十壱ですらその形のいい口をぽかんと開けている。微妙な空気に居心地が悪くなってくると、満尋は視線を彷徨わせて上手い誤魔化し方を考えていた。
「えーと、『影映り』というのは、まぁ水面に幻が映ることです。あたしらはその幻の国を『月夜里』と呼んでいますが」
十壱は戸惑いながらも簡単に説明してくれた。
「望月の日はとくにその『影映り』が良く起きるので、月見よりもこちらを楽しむ方々が多いんですよ」
「ま、大体は『月夜里』の景色だけで終わるけどな。人が映ることなんて滅多にない」
勘吉がつまらなそうにそれに続けた。それで女の子が映ったと言ったら騒いでいたのか。ビギナーズラックではないが、図らずもレアな体験をしてしまったらしい。
「『影映り』ってそれだけじゃないぜ」
井戸に寄りかかって言う二之助の言葉に十壱が頷いた。
「移ろうと書いて『影移り』と言う場合もあります。いろんなものが無くなったり、反対に現れたりするんです。無くなった物はきっと『月夜里』にあるんでしょうねぇ」
あたしの気に入りの櫛も一つ無くなってしまったんですよ、と十壱は溜息をついた。切なそうなその横顔から察するに、本当に大事だったのだろう。
すると、いくつもの足音が近づいてきて後からぞくぞくと衆徒たちがやってきた。
「おっと、せっかく混む前に来たのにこれじゃぁ意味ねぇな。お前ら急ぐぞ」
それを見て勘吉が破顔した。この勘吉のくしゃっとした笑い顔を見ると、いつも難しいことはどうでも良くなってくる。それは満尋だけではないようで、「いけねぇ、いけねぇ」と四人慌てて顔を洗った。やってくる顔見知りの衆徒たちに朝の挨拶を交わして、朝餉を食べに食堂へ急いだ。