上弦に問う 1
鵟衆に加わってから五日ばかりが過ぎた。あれから満尋は何度か体調を崩したが、今はほとんど回復し、新しい生活に少しずつ慣らしているところである。
太陽が昇る頃にはすでに身支度を整え、井戸へ向かう。
満尋は六畳一間の部屋に移り、そこで二人の若者と同室になった。一人あたりの空間がかなり狭くなるが仕方が無い。二人とも満尋と同じ新入りで、初めは気まずいものだったが、二日、三日と経つうちにだんだんと打ち解けることができた。
井戸に行くと先に部屋を出ていた同室の二人が顔を洗っていた。軽く挨拶を交わして釣瓶を落とす。井戸で水を汲むというのは中々大変で、一日使っただけで手の皮がずる剥けてしまった。それを見て、同室の二人には貴族の女みたいだと笑われたが。
「おはようさん、満尋。今日は庭の掃き掃除だってよ。かったるいよなー」
顔を洗い終わっても、まだ大あくびをしているのは同室の一人、勘吉だ。
「しょうがないですよ。当番なんですから。あたしだって本当は嫌なんですよ」
そう返すのは十壱。彼も同室だ。勘吉はあっちこっち跳ねた髪を手櫛で適当に一括りにし、ぱんっと頬を叩いた。反対に十壱は丁寧に髪を梳いている。腰ほどまである黒髪は、梳くだけでも大変そうだ。
「毎朝ご苦労だな」
「まあ、あたしの家は男も女も髪を大事にしましたからねぇ。あなたも伸ばしたらどうです?」
満尋は男が髪をだらだら伸ばすのに違和感があったが、ここでは短い方が少ない。どんなに短くても紐で結べるほどには長いのだ。十壱はたいして苦とは思っていないようだが、満尋には面倒に思えて仕方が無い。
「いつも思うけど、そうしてっとまんま女みてぇだな」
勘吉が呆れたように言った。十壱は体の線も細くてどこか中性的だ。さらに、柔らかな物腰がそれを助長させている。対して勘吉は身体を動かすのが大好きで、この三人の中では一番体格がしっかりしている。見た目通りの性格は良くも悪くもおおらかで、たいていのことはごり押しで通そうとするのは、この数日間で良く身に沁みた。これで自分より歳が一個上なのだから驚きだ。
「さあさ、朝餉の時間に間に合いませんよ。今日の朝餉当番には京太郎さんがいますからね。遅れたら抜かれてしまいます」
身支度を終えた十壱が、満尋と勘吉の背を押して歩き出す。十壱は満尋の一つ年下なのだが、この中で一番しっかりしている。勘吉が、そりゃ大変だといち早く駆け出して食堂へ向かった。
この鵟衆が拠点としている所は、もともとは寺だったそうでほとんど縁を歩いて移動する。まだ夏の終わりだからかまわないが、これから秋が来て冬になれば外を歩くのが厳しそうだと、建物を見ながら思った。しかし、建物自体は立派なものだ。屋根を支える垂木の並びに、格子窓のついた板壁、敷地を囲む塀は白漆喰が美しい。煌びやかではないが、質素な佇まいを満尋はほんの少し気に入っていた。宇木衛門は古くなった寺を改装したから大した事ないというが、文化遺産に住んでいるような気分だ。
「おおーい、こっちこっち。おめーらおっそい。どんだけ待たせんだよ」
食堂に行くとほとんどの衆徒が集まっており、その中で満尋たちに気付いた隣室の二之助が大きく腕を振っていた。二之助は鵟衆の中では一番年下で、今年で十三になるのだそうだ。二十歳前後が多い鵟衆の中でも物怖じすることなく振舞い、みんなからは弟として可愛がられているようだ。満尋とは部屋が隣同士ということもあり、勘吉、十壱と四人で一緒にいることが多い。
奥の厨からお盆を受け取り、食事当番の者からご飯とおかず、汁物をそれぞれ受け取る。二之助が空けてくれた場所に腰を下ろして、食事を始めた。テーブルも椅子もないので皆思い思いの場所に座り、床の上に直接盆を置いて食べる。日本の食事の作法では椀を持って食べることが許されているが、確かにこれは手に持たないと具合が悪い。テーブルに慣れた身としては、少し不便に感じてしまうが。
「満尋たちは今日何するんだ?」
かつかつと飯を忙しそうに掻き込む合間に二之助が問う。お行儀が悪いと十壱に注意されると、食べる方に集中した。鵟衆では基本的に部屋ごとで仕事や訓練を行うので、日中は隣室の二之助と別行動になるのだ。
「今日は庭掃除をして……、その後は馬術を教えてもらう」
「ん? お前馬乗れねぇのか?」
山盛りの玄米を食べていた勘吉が満尋を見た。その驚きの視線を受け、満尋は勘吉を少し睨み付けた。馬なんて乗ったことも無ければ、近くで見たことも無いのだ。
「あたしも乗れませんよ。そもそも、あたしらの身分で馬を操れるあなたが特別なんです」
十壱の言葉に二之助も箸を持ったまましきりに頷いている。どうやら、馬に乗れないのは二人も一緒らしい。何故勘吉が馬に乗れるのかと聞いたら、村に馬借を営んでいた家があったのだと言った。馬借は現代でいう運送業のような仕事だ。
「ガキの頃よく乗せてもらってたからなー。俺が教えてやろうか?」
懐かしそうに笑う勘吉を、満尋は少し複雑な気持ちでみていた。鵟衆は自分のように宇木衛門に拾われた人間がほとんどだ。きっと明るく笑う彼にも、村に居られなくなってしまった事情があるのだろう。だからだろう。ここの人間は皆、人との距離の取り方が絶妙だ。触れられたくないことには踏み込んでこないが、だからといって他人に無関心でもない。満尋が上手くここに馴染めたのも、そういう人間ばかりだからだ。
「止めといた方がいいって。勘にぃが教えたら、絶対習うより慣れろで散々な目に遭うに決まってるさ」
「あたしも同感です。基本は大事ですからね。別の方にお願いします」
なんだとお前ら! と立ち上がる勘吉に、うるせぇと別の場所から野次が飛ぶ。勘吉はしぶしぶまた座ったが、完全に拗ねてしまった。黙々と飯を口に運んでいる。その様子を十壱と顔を見合わせて苦笑すると、満尋は静かに食事を再開させた。