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朔の日の終わり 3

 翌朝、宣言どおりに宇木衛門と六郎が朝餉を持ってやってきた。この時代にやってきて初めて食べるまともな飯である。人に刀を当てるようなやつから食事を貰うものか、と思っていたが、美味そうな匂いに腹の虫が我慢できなかった。膳に乗せられた玄米、貝の味噌汁、煮魚を残さず胃に納めると、なんとも言えない幸福感に満たされた。

 食事が終わり膳を下げた後は、六郎から傷の手当てを受けた。古い包帯を取り、新しいものに六郎は持ってきた木箱に入っていた薬を塗って、腕や腹、足などに手馴れた様子で巻きつけた。その薬がまたとても臭くて、宇木衛門も顔をしかめて部屋の戸を全開にした。

 その後、着替えなどの身支度を終えて三人は昨日の続きに入った。二人は、満尋が袴の着方を知らないことに驚いていたが、気さくな六郎が着付けを手伝ってくれた。

「では、鵟衆の話からか」

 部屋に三人座り込んで、宇木衛門が話し出した。

 鵟衆というのは、宇木衛門が集めた自衛集団のことらしい。十代から二十代の若者が中心で、町や村の依頼で見回りや街道に出る賊退治などを請け負っているのだそうだ。その背景には、最近春日部の当主に就いた幸望が関係しているらしい。

「あの人は(まつりごと)にはとんと向かない人だからな。おまけに、家臣の多くは戦で領を広げようと謀計をめぐらしている奴らばかりだ」

 宇木衛門は新しい領主が領民を守ることに期待はしていない。そればかりか、逆に危険視しているようだった。

「町の人間も同じ考えだ。鵟衆が強くなれば、俺たちを材料に交渉もできる。俺たちで惣をつくるんだ」

 宇木衛門はぐっと拳を握った。そこには、彼の強い決意があるのだろう。「惣」というのは確か、室町時代にでてきた自治権を持つ共同体のことだったはずだ。教科書に良く出てきた「惣村」は、村の防衛や年貢の徴収を自分たちで行っていたそうだが、鵟衆はその自衛を請け負う集団になろうということだ。満尋は話を聞いて窃笑した。「惣」が出てきたということは、今は室町時代ということだ。今まで人と関わらなかったためにこの世界の情報を得ることができなかったが、彼らからはいろいろと聞き出せそうだ。

「俺からも一ついいか。今は足利の誰が将軍をしているんだ?」

 年号で答えられても分からないので、将軍の名前を聞いてみた。これなら、おおよその見当はつく。しかし、返ってきた言葉は意外なものだった。

「足利? 兼定(かねさだ)というものがいたと思うが、あの家は将軍職についたことはないぞ?」

「おれも聞いたことねぇべ。そもそも、将軍なんててーした力はねっからな。今は大名があっちこっちに領国をつくってんべ」

 大名が領地を支配しているということは、もう戦国時代に入ったということだろうか。室町幕府の足利家を知らないのは気になるところだが。

「じゃあ、尾張の織田信長は?」

「知らん」

 その後も、武田、上杉、今川と名だたる戦国武将たちをあげていったが、誰一人知っていると答えたものはいなかった。さらに、その時に一緒に挙げた尾張や、甲斐といった地名にも聞き覚えはないという。これには満尋もお手上げだった。ここは、過去の日本ではないのだろうか。

「ここは、別暮(わくれ)の国だ。お前くらいの歳なら聞いたことはあるはずだが」

 満尋は旧日本の地名もほとんど覚えている。しかし、別暮なんて国は聞いたことが無い。

「ちなみに別暮は、三静(みしず)岾許(はけもと)挟河(さかわ)の三国に囲まれている。これも聞いたことが無いか」

「……ない」

 どれも初めて聞く国名だ。これは、過去の日本ではないことが確定しそうだ。では、自分は一体どこに来てしまったのだろう。

「おめー、家族はいねーのか?」

「いない。この世界のどこにも」

 膝の上に置いた拳を白くなるほど硬く握り締めた。日本史は得意だから、これからはそれでうまく立ち回れると思っていた。しかし、それはできない。

「俺は、鵟衆の頭としてお前を正式に仲間に入れるつもりで連れてきた。先ほども言ったが、俺は鵟衆を強くしたい。だが、鵟衆はまだ駆け出しだ。もっと人が要る」

 すっかり威勢を無くした満尋を、宇木衛門は真っ直ぐ真剣な眼差しで見つめた。昨日出会ってから、彼の視線と声は少しも揺らぐことがない。

「俺は、どこの誰かも分からない、盗みを働くようなヤツですよ」

「知っているさ。異国の輸入品よりも珍しいものを身につけて、当たり前の常識を知らないひどい世間知らずだ。それに、お前は盗みを働いたことを悔いているようだが、あの程度の盗みならどこでも日常茶飯事だ。皆それぞれ事情を抱えているからな。このご時世どうしても、まともに生きていけない人間は山ほどいる」

 彼は何か思い出すものがあるのか、目を瞑り一瞬沈黙した。六郎も静かに彼の言葉を聴いている。

「それでも、根の腐っていない奴ならば信じようと思う。お前は誰より手はかかるが使えそうだ。まあ、この辺は俺の勘だがな」

 そう言って宇木衛門は笑った。それは、自信に溢れた気持ちのいいものだった。

「カリスマってあんたみたいなやつのことだろうな」

 きっと意味は分からないだろうが、それでも口に出していた。今まで、ずっと細い綱の上を渡っていたようなものだったが、今ようやく地に足が着いた気がする。

 満尋は、今まで楽にしていた胡坐を正座に正し、宇木衛門の方を向いた。そのまま手を突いて床に頭を擦りつけ、

「よろしくお願いします」

と、一言だけ口にした。


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